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嘘つきなライア(2)

「ふ……うふ、あはっ、……」

 『客』はライアの予想に反して女性だった。

 年の頃はおそらく二十歳を越えてはいないだろう。やつれた頬に青ざめた顔色、そしてあらぬ方ばかり見つめる濁った青い双眸が、彼女から若さというものを完璧に奪い去っていたが。

 壁に寄り掛かるようにして地面に直接座り込み、だらしなく開かれたその唇からはひっきりなしにくぐもった笑い声が零れ落ちる。

 その娘の横に一人の男がひっそりと影のように付き添っている事が気になったが、ライアは先に娘の顎をつかみ、強引に自分の方へと向けた。

「何を……?」

 驚いたような男の声が聞こえたが、彼女はそれを黙殺し、ひたと娘の目を覗き込む。

「……ふん」

 すぐに手を離し、そこでようやく付き添っている男に目を向けた。

「関係は?」

 用件だけの言葉に、その男は面食らったような顔をする。しかし、やがて我に返ったように軽く頭を振ると口を開いた。

「妹です……」

「そう」

 聞きたい事はそれだけだとばかりに一言で断ち切り、ライアは少し離れた場所に立つレイに目配せする。レイはその一瞥でその意図を理解し、腰に下げているバッグから二本のアンプルを取り出し、ライアに放った。

「それは?」

 自称・娘の兄が困惑を隠せない様子で尋ねるのを冷たい目で見つめながら、ぽつりと答える。

「……解毒剤のようなもの。ここまでイカレてる奴を正気に戻すにはちょっと手がかかるからね。そもそも正気に戻せるかもわからない。……確率は半々って所だね」

「そ、そうですか……。でも、その言い方だと妹は治る可能性があるという事ですよね? ここ以外にも何件かの医者を尋ねましたが……、ひどい所だと安楽死させるかなどと言われたんですよ」

「あんた、……こいつから聞いてないのか?」

「え? いや、説明は受けました。ですが……」

「──疑うのは勝手だけど、信用ならないなら他を当たりな。こっちも商売だ、信用されていないのにわざわざ危ない橋を渡る義理もない。こちらからキャンセルさせて貰う」

 ライアの言葉に、男ははっと我に帰ったように口をつぐむ。

 その反応を鼻先で笑い、ライアは何処からともなく銃型の注射器を取り出し、その本体部分にアンプルをはめ込んだ。そして──徐にそれを娘の首筋に先端を当て、一つ目を接種する。

「……うふ、は、あ、あ──っ!?」

 その刹那、それまで虚ろで焦点がぼやけたような表情だった娘が目を大きく見開き、身体を仰け反らせた。

「なっ!?」

 男が上げる驚嘆の声を聞きながら、ライアは手早く二つ目を装填し、今度は逆の首筋に薬を叩き込む。

「あ……ぁあ、う、うわああああっ!!!!」

 途端に娘が獣の咆哮を上げてもがき始める。爪が喉を掻き毟り、さらにアスファルトの地面を抉ろうとして逆に傷付く。血走った目が苦悶の表情を見せ、元から乱れていた髪はさらに乱された。

「何をしたんです!! 妹に何を……!?」

「何って……、治療だよ」

「これが!?」

 信じられないと語る目を、ゆるぎない目で見つめ返し、ライアは淡々と頷いた。

「まずは間接的にだが痛覚を戻してやったんだよ。……痛みというものはね、うまく使えば治療に本当に役立つんだ。人間に限った事じゃないが、痛みを感じるという事はそこに何かしらの『病』があるって事だ。神経の何処に異常があるのかがわかれば、回復の可能性は上がる。つまり、今後の治療もやりやすくなる」

「だからって……」

 会話する横で、娘は涙と涎を垂れ流しながらのた打ち回っている。ライアからすれば、この反応すらなければ匙を投げている所だが、客観的に見ればこちらが苦しめているように見えるだろう。

 物言いたげな男にすっと詰め寄ると、ライアは手にした注射器をその眼前に突き付ける。

「……あんたの妹とやらは脳までいじられてるんだ。この程度で驚かれたら困っちまう」

 この様子なら外科的な処置を必要とせずに済むかもしれないのだ。感謝はされても、まるで悪人を見るような目を向けられる謂われはない。

「この子の体内に蓄積したクスリが、さっき打ち込んだ解毒剤と急激に化学反応しているから痛いんだ。……大丈夫。死ぬほど苦しいだろうが、死ぬ程じゃあない」

 そしてにたりと笑みを浮かべてみせる。

「うまく行けば命が助かるんだ、ちょっとは苦しんだってバチは当たらないだろ?」


+ + +


「──なあ、さっきのわざとだろ」

 ベッドの上で、不意にレイがそんな事を言った。

「……ああ? 何の話だ」

「今日の依頼人の事だよ。……あんた、わざとひどくしただろ。このサディストが」

「はっ、悪いか?」

 上半身を起こし、女は男を睨み据えるように見下ろした、決して豊かとは言えない肢体。だが、薄暗い室内では妙に艶かしかった。

「いいだろ、ヤク漬けにされた女なんてろくな事をやってないのは一目瞭然だ。そんな事に自分から足を突っ込むからあんな目に遭うのさ」

「自分から? ……そうなのか?」

「わからなかったのか?」

 訝しげなレイの様子に、ばかにしたようにライアは冷笑を浮かべた。

「あの男、兄なんて嘘に決まってるだろ」

 外見的にまったく似ていない兄妹という可能性もあるだろうが、十中八九間違いないとライアは確信していた。

「……ああ。やっぱな。それは俺も思ったぜ」

 その点に関してはレイも同意見のようだ。

 伊達に裏社会に身を置いてはいない。嘘と本当を見分けられなければ、一方的に食われて簡単に身を滅ぼす。

 娘の為に方々を回った事は事実だろう。だが、あの男は薬の反応で苦しむ『妹』を前にして、助け起こす事もしなければ、その名前を呼びかける事さえなかったのだ。

「心配はしていたようだが、実際に心配しているのは……おそらくあの子が持つ何らかの情報に違いない。とても重要で、薬漬けにしてでも他に漏らす訳にもいかず、脳まで弄った。だが、そのせいで肝心の情報自体を引き出せなくなったんだろうさ」

 淡々と語るその口調には、憤りも悲しみもない。ライアは明らかに今日治療した患者に対して、何の哀れみも慈悲も持っていなかった。

「……これだから女は嫌いなんだ」

 ぽつりと呟く。つい先程までの行為が夢か幻であったかのように。

 自身が『女』である事を否定するような言動ながら、何故男に身を任せられるのか──レイは疑問に感じてはいたが、今まで敢えて尋ねた事はなかった。

 きっと、全て嘘なのだ。彼女は虚構の中で生きている。望めば、光の当たる場所で生きていけたはずなのに、敢えて闇に身を投じて。人間なんてばかばかりだ、と言いながら──廃人同様の人間を荒っぽいやり方ながらも治療する。

 感謝をすれば金を払えと言うけれど、本当に貧しい者からは何かと理由をつけて一銭も受け取らない。決してそのようには見えないが、ライアは『医師』としての在り方を高潔なまでに貫いているのだ。

 ──だから、みんなそれを知っていて、彼女を『嘘つき』と呼ぶ。

(……俺も、お前に救われた人間の一人だけどな)

 ある理由から一般社会に居場所がないレイに、ライアは住む場所と仕事──彼女の助手兼情報屋──を与えてくれたのだ。

「……ライア」

「何だ?」

 急に改まったレイに少々面食らったように、ライアは問い返す。

「その、……もし、俺があんたを自分の女にしたいって言ったら……、どうする?」

「──は?」

 虚を突かれた表情は、普段の皮肉な笑みに隠された素の彼女を少しだけ見せる。

「……何を言ってる? 正気か?」

 心底薄気味悪そうに、ライアは言う。予想通りの反応に、レイは軽く肩を竦め、冗談に決まっているだろ、と返した。

「俺はまだ、死にたくないからな」

 今まで、彼女をただの女扱いをした人間は半殺しの憂き目にあっていた。腕も細いし、一見した所そうは見えないが、ライアはこれで結構腕が立つ。

 一体何処で身に着けたのか、腕力に物を言わせて従わせようとした人間達を反対にやりこめる姿を過去に何度も目にしてきた。

 ──だから、本気の告白だって、冗談にしなければ丸く収まらない。

「……ったく、ばかな事言う暇あったら次の仕事を見つけてくるんだな」

 ライアは皮肉げにそう言うと、不意にレイに口付ける。予想外の事に目を丸くした彼に、ライアは悪戯っぽく笑いかけた。

「──それまでは、ここに好きなだけいるといいさ」

 それは今までに見せた事のない何処か柔らかな表情で、レイはぼんやりとその顔を見つめ──。

「お、おう。……そうさせて貰おう」

 間抜け面を曝したまま、それだけをどうにか答えた。


+ + +


 真っ暗な中、ライアは身を起こした。

 その顔には血の気がなく、身体が小さく震えている。

「……っ」

 ぎゅっと唇を噛み、漏れそうになる声を噛み殺す。そのまま、何かを探すように周囲に目を走らせた。

 ──隣から聴こえる平和な寝息。

 暗闇に浮かび上がる人の形をした影を確かめて、そっと溜息をつき、同時に強張っていた身体の力も緩む。

 思い出すのは先程の会話。冗談にしてしまったが、彼が本気なのは伝わっていた。そろそろと、起こさないように細心の注意を払って手を伸ばす。

 レイは気配に敏い。かつて生きるか死ぬかの死線を潜り抜けて生きてきた彼にとって、眠る時は自身が無防備になる時であり、出会ってからしばらくは重度の不眠症だったくらいだ。

 それが今、隣で人が寝ていても気にしない程になっている。医師として、そして彼を憎からず思う者として、喜ばしい限りだ。でも──。

(……あんたを愛せたら、幸せだったろうね)

 互いの過去については不可侵、それが同居──今となっては同棲の方が正しいが──の条件だった。

 これから先も、決して伝える事のないそんな言葉を心に思い描きながら、ライアは隣に眠る男の頭をそっと撫でた。



 彼女は、いつも嘘をつく。

 いつも──本当の心を隠した嘘を。

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