Overture2202(11)
話がある、と言うと『彼女』──《エデン》はまだ正式稼働前の状態だというのに、これ以上となく得意げな笑みを浮かべた。
いわゆる中身がプライマリーすら凌駕する経験と知識、そして『個性』を有している事は確かだが、つい先程得たばかりの『器』だというのに最初からそうであったかのように馴染むとは恐るべき順応性である。
「……何故笑う」
「おや、笑っていたかい? そんなつもりはなかったのだが」
澄ました口調で答えつつも、人工である証の鮮やかな紫を宿した目は笑っている。
相手に悪意がまったくないと理解していても、今は非常時である。アルフレッドは不機嫌さを隠さずに用件に入ろうとし──まるでそれを遮るように、エデンもまた口を開いた。
「──先程、賭けをしてね」
「賭け?」
「無論、賭けといっても金銭の絡むものではないぞ。私は無一文だからな」
確かにエデンの元である【エデン】は《連邦》にとっては替えの効かない母体だが、同時に備品でもある。給与など払われる事はないし、そもそも金銭を必要とする場面もないだろう。
それはともかく──何に対してのものかは不明だが、今のエデンの状態からすると彼女がその賭けに『勝った』らしい事は流れ的に理解出来た。
そしておそらく、その賭けが自分──アルフレッド・ケブラーに関わる事である事も。
「エデン、……その賭けは私にとって重要なのか?」
慎重に言葉を選んでアルフレッドは尋ねた。
【エデンプロジェクト】はアルフレッドが総責任者ではあるが、管理セクションも絡んだ複数の部署の合同チームで動いている。つまり、通常では考えられないほどに厳しい管理体制が敷かれているという事だ。
【エデン】本体に直談判するよりはマシだろうが、うかつな事を口にし、それが記録に残ってしまった場合はアルフレッドが考えている計画が水の泡になるだけでなく、最悪協力者であるロイにまで疑惑を向けられかねない。
するとエデンはやはり楽しげな表情のまま、小さく頷いた。
「ああ。……信じなくても結構だが、今のやり取りに関して音声の記録は保存されない事は伝えておこう。映像に関しては諦めてくれ。故意に塞ぐ事は可能だが、目を閉じて会話するなんて不自然だろう?」
《エデン》の耳は音声を、瞳はそのままカメラの役割を果たし、映像に関してはほぼリアルタイムで本体の記録媒体へ保存される事になっている事を思い出し、アルフレッドは苦笑した。
──少々わかりづらいが、エデンなりに気を使ってくれたようだ。この辺りも通常の人形なら有り得ない対応である。
「私は大体、用件の内容に推測がついている」
きっぱりとエデンは言い放ち、その瞳はやはり何処となく楽しげな色を湛えてアルフレッドを見つめた。
「また『彼』との繫ぎを取りたい──そうだろう?」
「……御名答だ、エデン」
かつての自身の行い等によりアルフレッドの行動には過剰なほどの制限がかけられている。連邦外部と直接のやり取りを禁じられている事もその一つだ。
通信する事自体は禁じられていないが、事前に相手が誰でどういった内容なのかを伝え、上層部の許可を得た上で記録を取られる事に同意せねばならない。
完全にプライバシーの侵害だが、特に外部に友人や血縁者がいる訳でもないアルフレッドは今まで甘んじて受け入れていた。だが──今回ばかりは外部に協力を得るしかない。
「もう、時間がない」
準備するだけの時間も、正誤を判断する時間も──何もかも。可能ならもっと周到に、出来るだけ完璧な計画を立てて実行すべき事柄であるにも関わらずだ。
おそらく破綻は出る。それも、最悪の方向で。
(だが、迷っている時間もない)
ロイという協力者を得られた事は僥倖と言えたが、無謀である事には変わりない。それでも──。
「……このままでは、あの子は人殺しの道具にされる。それだけは避けたい」
たった一人の息子の為に、アルフレッドは危険な橋を渡る事を決意した。
自身の手で生み出すモノがその『人殺しの道具』の最たるものである事を理解しつつ、アルフレッドは自身を鼓舞するように断言する。
この決断は本人の意志を無視した身勝手なものだ。ひょっとしたら自身がそうでありたいと望む可能性もゼロではないが、それを自分で決められるほど大人になるまで守ってあげられるとは限らない。
明らかにエゴとしか言えないが──親とは、おそらくそういう生き物なのだろう。
憎まれても構わない。この選択は少なからず傷つける事になる。実際、すでにもう『大嫌い』だと言われた後だ。
ほろ苦い物が漂うアルフレッドの言葉に、エデンは不思議そうに首を傾げた。
「あの子──とは《プライマリー》の事ではないな?」
その言葉でエデンがアルフレッドの用件を別の物と推測していた事を理解し、思わず苦笑する。確かにこの場面で助けを必要とすべきはフリックではなく、突然処分を突き付けられたプライマリーの方だろう。
もちろん可能な限り足掻くつもりだが、こちらは完全に連邦の決定に逆らう事になる。そんな危険な橋を堂々と渡るつもりはなかった。
「ああ、プライマリーじゃない。……エデンは今回の件が急に決定した理由を知っているか?」
「知らないな。私は合議の結果を受け取るだけだ。確かに急だったが、元々いつ出ても不思議ではない話だっただろう」
「確かにそうだ。だが、管理権限者でありまた制作者である私に何の打診もなしにそれを決定するのは変だと思わないか」
「──ふむ、なるほど」
アルフレッドの言葉にエデンは理解を示した。実際、今回の決定は急過ぎるのだ。
《プライマリー》を筆頭に人形は全て連邦の所有物だが、他の備品とは異なり、いずれもとんでもない予算が費やされている。その為、耐用年数は設定してはあるが、あくまでも形式的なものに過ぎなかった。
たとえばヴァニラやナーガといった戦闘タイプであれば物理的に再起不能になる事もある得るが、それ以外に関しては特に深刻な問題が起こらない限りは半永久的に使用される事を想定されている。
プロトタイプであるが故に他のどの人形よりも経験と学習を積んでいるプライマリーは、研究対象としても貴重なサンプルだ。停止処分するという事はそれらを活かさずに捨てるという事でもある。
「この私のように『再利用』する事を考えないのはおかしい──という訳だな」
そう、【エデン】も最初から連邦の母体として開発された訳ではない。別の研究から生まれたものだった。
上層部の人間は無駄を嫌う。有益と思われる研究には惜しみなく予算を与える一方で、一定期間ある程度の成果が出なければ簡単に研究自体を打ち切ってしまう。
つまり、有益となり得る『結果』が出ている物をなかった事にするなど、通常であれば到底有り得ない事なのだ。
「ああ。つまりそれを捨てても元が取れるか……『そうすべき理由』があるという事だ」
「確かにそうかもしれないが、その理由が何かアルフレッドはわかったのか?」
「あくまでも推測に過ぎないがな。……フリック・ケブラーに特Aレベルの適正を判定したのは誰だ?」
「フリック……? ああ、アルフレッドの息子か。適性なら教育セクションの担当教官のはずだが」
それがどうした、と促す瞳にアルフレッドはあくまでも仮説に過ぎないと前置きをして自身の危惧を口に乗せた。
「一体何を基準に判断したのか──それはわからないが、少なくともプライマリーとフリックの関係性はおそらく無関係ではないはずだ」
家族だ、と当たり前のように言っていたフリック。そんなフリックを『兄』のように守りたいのだと言っていたプライマリー。
──それは、本来なら『有り得ない』ことだ。
だが、実際に彼等を間近に見ているアルフレッドには、非現実であると断じる事は出来なかった。
それは使役する側と使役される側を越えた、新しい関係性。
二人をよく知る者からすれば、そこに何の危険性も感じない。だが、研究者の視点から見ると様々な可能性が見える。
「……仮にだが。どんな人形であろうと──他に管理権限者がいる人形ですらも、『手足』として使役出来る人形使いがいたとしたら」
実の親子であっても関係ない。プライマリーの管理権限者はあくまでもアルフレッドであって、フリックではないのだ。
「なるほど、それは危険だな」
アルフレッドの危惧を、エデンはあっさりと認めた。
「ただ、これがフリックだけの特異的な能力なのか、プライマリーだからなのか、それともそれ以外にも起こり得るのか、他の人形を使って実験するしかない。その為には、フリックを『人形使い』にする事が必要だ」
特A判定はその理由に十分だろう。幼い内にそれ以外の道を示さなければ、余程の事がなければそのまま人形使いになるに違いない。しかもこの場合、フリック自身も被験者となるのだ。
(そんな事を許すわけには行かない)
もちろん他にも理由はあるのだろうが、その可能性だけでアルフレッドが動くには十分だ。
(フリックを逃がす──連邦の外へ)
その為にはどうしてもエデンの協力が必要だった。
「頼む──『テラ』と繫ぎを」
「──もし断ると言ったら?」
試すようにエデンが問う。そうなる事も想定はしていたが、アルフレッドは微苦笑を浮かべた。
「賭けをしたんだろう?」
それは相手がいなければ成立しない。エデンがそんな事をするような相手は知る限りでは一人しかいない。そう、『テラ』という呼称を持つ人物だ。
「これは一本取られたな。……まあ、最初からそうするつもりだったが。プライマリーを助けるなら彼の手を必要とするかもしれないと思って先程繫ぎを取っておいたんだ。理由がアルフレッドの息子だろうと、私に協力を求めてきた事には変わりはないからやはり賭けは私の勝ちだな」
仮にも連邦の母体だというのに、飄々とそんな事を言い放ち、エデンは楽しげに微笑んだ。




