嘘つきなライア(1)
舞台:2180年
混沌の世の中で人はそれぞれの人生を生きていた。
時に全てを嘘で偽って、真実を隠しながら。
ライア・セシウス。
人は彼女を『嘘つきなライア』と呼ぶ──。
彼女は、いつも嘘をつく。
もしかしたら、自分自身にも……。
+ + +
カーテンなんて上等なものなどない。
切り取ったような窓から無情に差し込んでくる陽射しが、惰眠を共に貪る彼等の上に差し込む。
「……今、何時だぁ……?」
気だるげ声がベッドを占領する二人の内、片方──男の方の口から漏れる。その声に反応したようにまだ眠りの中にある女の方も、もそりと身じろぎした。
二人は当然のように揃って全裸だったが、そこには色気も昨夜の情事の余韻の欠片も残っていない。
どちらかと言えば、寝相の悪い子供が無理やり一つの狭いベッドで寝た結果、一つしかない布団――この場合、しわくちゃなシーツ――を取り合ったような有り様だ。
「……おい。ライア……、起きろ」
男がついに目を開き、そのままの体勢で女の頭を小突く。
「ぅるさいな……」
流石に目を覚ましたのか、女の口から不機嫌さを隠さないハスキーボイスが零れた。
「眠い、もう少し寝かせろよ……」
ぞんざいな口調でそれだけ言うと、女はしわになったシーツを手繰り寄せ、身体を丸めると再び自分だけ夢の世界へと逃避を図る。だが、それを易々と許せるほど男は心優しくもなければ、寛大な性質でもなかった。
「人の事言えねーけど、もう昼だぜ。そろそろ動き出さねえと、今夜の仕事に差し支えるだろうが。おら、さっさと起きろ!!」
今度はそのまま丸まった女の背中を軽く足蹴にして、男は身体を起こし伸びをした。
あごの無精ひげをくせのように撫でながら、もう片方の手が床にだらしなく散らばっている服を探り取る。そのまま持ち上げて、それが傍らの女のものだと気付くとそのまま隣に放り投げ、また別のを探す。
部屋はコンクリートをそのまま打ちはなしたような無骨な造り。それ程広くもないそこは、見事としか言い様がない程に散らかっていた。
散乱する酒瓶、無造作に積み重ねられたプリントアウトされた書類と、うっすらと埃をかぶった雑誌の山。放り出されたようなデータディスクの山が、窓から差し込む光を受けて惨めったらしく照り返している。
そして床にそのままでん、と設置された年代ものの端末機(それでもまだまだ現役だ)。今は電源を落とされたその上に、女のものらしい靴下が片方乗っているのを見つけても、男は特に気にしなかった。
ようやく探し出した自身の服を男が全て身に着けた頃、ようやく女がひどく大儀そうに身を起こした。
「レイ。貴様……、人を足蹴にしたな……?」
恐竜並の神経の鈍さで、今頃そんな事を言う女を冷ややかに見て、レイと呼ばれた男はけっと鼻先で笑った。
「お前の低血圧、さらにひどくなったんじゃねえの?」
「……うるさい」
怒りのこもった返事に、女の完全な覚醒を感じ取ったのか、男はへらっと笑みを浮かべ、器用な足取りで障害物を避けながら壊れかけたドアへと向かう。
「じゃあ、俺、情報長屋に顔出して来るからよ。いつも通り、18時にな」
それだけ言うと次の瞬間にはもう廊下の向こうへと姿を消している。こちらの返事など待とうともしない。
「……チッ。相変わらず逃げ足だけは早いな、あいつ……」
追いかける訳でもなく、軽く舌打ちをした女は鼻先で笑うと、ようやく回転し始めた頭を軽く振り、その辺に散らばった衣服を漁って身に着け始めた。
+ + +
彼等の溜まり場は街の入り組んだ路地の奥、一見うらぶれた酒場だった。
地下にある入り口に向かう途中の壁に、何枚ものお尋ね者のビラ。その内の何枚かはすでに色褪せているが、それが残っている内はまだ『生きている』という証である事を彼等だけは知っていた。
意外な程長い階段をのんびりと降りていた女──ライアは、ふと足を止める。
目を向けた先、そこに貼ってある知人のビラに派手な赤いペンキで×が書かれていた。記憶が確かなら、前回目にした時はそれはなかったはずだ。
「やられた、か……」
それも、ごく最近。
そんな事を考える彼女の言葉にはなんの感情もない。ビラの男とは何回か仕事を共にし、時に関係も何度か持ったが、すでに過去の事だった。
気の毒に、とも思わないし、惜しむ気持ちもない。ここに貼られている人間は、いつそうなってもおかしくない連中ばかりなのだから。
赤い×印は、その男の他にもあちこちで見受けられ、それ以外には破られ、剥がされたものもある。赤い×印は敵に連行された、という意味。ビラが破られた時は生死不明、剥がされた時は死亡……だ。
そんな符牒を思い返しながら、ライアは再び足を進め始めた。
ちなみにライア自身のビラは今の所貼られていない。彼女の居場所は確かに裏社会ではあるが、生業自体は法に触れるものではないからだ──少なくとも、今の所は。
「よお、ライ」
店に入ると、すぐに店主が声をかけてくる。
「レイは来たか?」
「いいや、まだ来てねえな。……今日やるのか?」
「ああ」
主語の抜けた会話を言葉少なに交わしつつ、カウンター席の最奥に腰掛ける。何も言わなくても、店主は女の前に琥珀色の液体の入ったグラスを置いた。
「……なんだ、これ」
訝しげに軽く眉を寄せるライアに、店主は片眉を持ち上げて肩を竦めた。直接答える気はないらしい。
普段なら彼女に出されるのは、アルコール度数が高いが、代わりに味も素っ気ない透明な蒸留酒だ。怪訝に思いながらも、取り合えずそれを口に運ぶ。
微かな芳香。何処となく、甘い……。
「……これは」
ほんの僅かな量を一口口に含んだだけで、ライアは射るような鋭い視線を店主に向けた。
「──なんだ、この合成酒は? 何処から出た」
「流石だな、ライア」
店主が感心したような口調でそんな事を言う。しかし、その目は妙に冷めていた。否、冷えたように見えるが、実際は彼がひどく腹を立てている事をライアは察した。
「そいつがガズを再起不能にしたブツさ」
脳裏を赤い×が書かれたビラの一つが過ぎる。直接の面識はないが、よくこの店の一角で静かに酒を飲んでいた男だ。
「これはひどいな。……おそらく薬の類が山のように入ってる」
不自然な甘みとアルコールの味の裏に混じる薬品臭をライアは正確に見抜いていた。口当たり自体は悪くない為、気付かない人間も多いだろう。その言葉に店主も頷く。
「そのようだな。そんなもんを飲めば、どんな人間もすぐにボロクズだろうさ。……汚え手だ」
吐いて捨てるような言い草にその酒の出所が知れる。
「連邦か……」
「ああ、こんな酒モドキを造っただけじゃなく、裏ルートに流しやがった」
つまり──『彼等』が守る善良な一般市民の口には絶対に入らない訳だ。表社会に出る事のないお尋ね者だけを効果的に潰す作戦とも言えるだろう。
世界が統一され、その結果完成した《連邦》──だが、それは決して世界平和の象徴とはならなかった。今となっては、完全に腐敗した組織と化している。
「向こうもそれなりの頭を持った奴がいるって事だな」
そう、彼等はばかではない。むしろ、それまでの平和ぼけした政治家の間抜けなやり方とは比較にならないくらいに、『治安維持』を理由に徹底的に危険分子を潰そうとしている。そして、それはかなり成功を収めているのだ。
この偽造酒にしてもそうだ。
入っているのは速攻性のある毒物ではないようだが(おそらくすぐ露見する事を避ける為だろう)、アルコールと共に口にすれば薬物漬けにする事は容易に違いない。
なお、薬物中毒者は正常な精神を維持出来ないという理由で捕縛、場合によっては処分の対象となる。
「末端を潰してちゃどうしようもないって事か……」
「ああ、《魔女狩り》もこれからどんどん厳しくなってくるだろうさ。実際……、聞いたか? 連邦の奴等、今度は殺人兵器を開発してるらしい」
「殺人兵器だって? はっ、……そりゃ、物騒な話だな」
流石にライアも表情を曇らせた。
そう、『彼等』の厄介なところはその知性でも冷酷さでもない。一般市民から搾り取った莫大な額の資金力と、それに物を言わせた組織力だ。
「”争いの時代は終わった”──そう吹聴するご当人が、か」
店主は沈黙し、今度はいつもの蒸留酒を彼女の前に置く。それを一気に呷って、ライアは乾いた笑みを浮かべた。
「……人を蛆虫扱いしておいて、その蛆虫が余程怖いと見える」
「そのようだな。何しろ、その兵器の製造目的は破壊活動を目論むテロリスト鎮圧の為って大々的に提示しているそうだからよ」
「へえ?」
「まあ、気をつけな。お前がしょっ引かれる事はそうそうないだろうが……、やってる事は法律違反スレスレだからな。女医様よ」
「言っておくが、資格は持ってるぞ? その辺の無免許と一緒にすんなよ」
ライアははっきりと冷笑を浮かべ、カウンター席を離れた。そろそろ約束の時間だ。『仕事』の密約はボックス席でやるように、いつの頃からか決まっていた。
(テロリスト鎮圧、ね……)
彼等がそう言えば、住民達もそう思う事だろう。
完全な支持こそ得てないが、正面立って逆らう者もいないこの現状では。──その裏にどんな事実が隠されていようとも。
思い出すのは、血と硝煙の臭い。ささやかな平和が、一瞬にして地獄へと変わった瞬間。
いっそ自分もあの時死んでいればよかったと思う時がある。例えば、仕事でまた少し、人間らしい柔らかな幸福から遠ざかった時とか。
「よう、ライア。時間通りだな」
ふと我に返ると、男──レイがいつの間にか当たり前のように前の席に座っていた。
相変わらず逃げ足が速く──気配をまったく感じさせない男だ。けれども、彼が『そう』なのもそれなりの理由があってのこと。
「……客は?」
「別の場所で待たせてる。……かなりここがイカれててな」
と、こめかみを示してレイは苦笑を浮かべる。
「どの程度だ?」
「半分はクスリらしい。あと半分は……やっぱりいじられてるみたいだぜ」
言いながら、こめかみを指していた指をくるくると回す。その返事を聞いてから、ライアは腰を上げた。その薄い唇が冷ややかに持ち上がる。
「……じゃあ、ちょっと荒療治が必要だな」
その、表情は。
どちらかと言うと、女らしさを感じさせない彼女をひどく蟲惑的に見せる。
本人にはまったく自覚がなく、それを知っているレイはひどく残念そうに苦笑し、客の元へ案内すべく彼女に倣うように立ち上がった。