Overture2202(5)
ロイの動揺の大きさが想定を超えるものであった事に困惑しつつ、プライマリーは尋ねられた問いに答えた。
「本当なのかって……、エデンが嘘とか冗談を言うはずないじゃないか。──仮にもこの《連邦》の『母体』、だよ?」
その言葉にロイからの反論はない。
そう──現在、アルフレッドがかかりきりになっている“エデン計画”とは、《連邦》のマザーコンピューターである“エデン”を《人形》化する計画なのだ。
連邦が保有する巨大化し過ぎた膨大な量の情報の内、“エデン”自身のパーソナルデータと連邦の最重要事項に関するデータの有事における保守および隔離を目的としたそれは、当初計画されていた内容を大幅に変更して、昨年から実行に移された。
つまり──《エデン》の言葉は、連邦における決定事項に等しい。
旧時代の理想郷の代名詞をその名に持つそれは、長年この巨大な組織を支配・管理していただけに、有する経験値は最初の《人形》であるプライマリーですらも遥かに凌駕する。
つまりそれは必要ならば『嘘』すらもつけるし、なかった事実を捏造する事すらやってのける程の個性──《人格》を有し、結果として連邦の管理システムは難攻不落で知られる事となった。
それだけ複雑な事をやってのける半面──最初に与えられた基本性格のせいか、それともそうしようという選択肢を必要としないからか、どんな内容でも簡潔にしかも容赦なく言い切ってしまう。
それが当事者にとって、どんなに残酷な事であっても。
「第一、ぼくが起動してからもう十年以上経つんだよ。本来の予定ならとっくにそうなってたって、前にロイだって言ってたじゃないか」
「ああ……、そうだ。そう言ったのに、な……。そうか……」
相槌を打ちながらも、その言葉は何処か不安定で顔色は冴えないまま戻らない。その青い瞳がじっとプライマリーの顔を見つめ──そして不意にぎゅっと身体を抱き締めてきた。
「……ロイ? どうしたの」
「悪い。俺には……、何も出来ないな」
包み込む腕は暖かい。プライマリーは口元に笑みを浮かべた。
「何言ってるんだよ、ロイ。そんな事気にしないで」
そう──彼にどうにかしてもらいたくて話した訳ではない。第一、一度上層部が決定した事が翻される可能性は0に等しい。
だからただ少し、そう、少しだけ別れを告げる練習をしたかっただけなのだ。気の許せる、そして自分を一個の存在として認めてくれる相手で。
「ぼくは平気だよ。こうなる事は生まれた時からわかっていた事なんだし──」
だからその事の対する恐怖は実の所、ない。その事に関しては、そのようにプログラムしたアルフレッドに少し感謝している。
もし人と同じように『死に対する恐怖』を抱くように作られていたら、きっとどんな手段を使っても生き残ろうとしたに違いないから。そうしたいと思えるだけの、『執着』を得てしまった今ならば……。
(だって、まだ早いよ)
人の子は成熟にとても時間のかかる生き物だ。一人では何も出来ない未熟な状態で生まれ、自分で立って歩くまでに一年ほど、言葉だって身に付くまでに二三年はかかる。
先程顔を合わせた時の事を思い返す。
フリックは六歳。身長はプライマリーの胸辺りほど。手だって何倍も小さい。非力で自分の身だって守れない。身近な誰かの庇護が必要だ。
(まだ、必要とされてるんだ)
必要とされる──それは人の為に生み出された『物』にとって、どれほど尊く誇らしい事か。きっと生み出した人間にはわからないだろう。
「ただ、フリックに何て言えばいいのか──それだけが悩み所なんだ。ぼくはあの子の涙には本当に弱いからさ。……泣かせたくないんだ。いつものように元気で笑っていて欲しいんだけど──でも、どう想定を立てても泣く結果になるんだよね」
「………当たり前だろう。お前はフリックにとっては、《人形》以上の存在なんだから」
プライマリーの少し困ったような言葉に、ロイはやりきれない思いを隠さずに呟く。
「それはお前にとってもそうだろう? プライマリー」
耳元で聞こえたその質問には、何故かすぐに返事が出来なかった。
確かに自分にとって、フリックという存在は他の人間とは何処か違う。マスターでありクリエイターでもあるアルフレッドとも、自分にとって初めての『友人』であるロイとも違う。
──そう、『特別』なのだ。
人形である自分には有り得ないはずの感情。『こうしなければならない』という義務や受動的な意志ではなくて、『こうしたい』という願望や能動的な意志が働く。
最初は義務感からだった。ある人に『側にいてやって欲しい』と頼まれたから、フリックの面倒を見ていただけのはずだったのだ。いつからなのかも、どうしてなのかも、自分だってわからない。
「……どう、言ったらいいかな?」
どんな別れの言葉を想定しても泣かれてしまうように思うのは、人ならば『自惚れ』という言葉で片付けられるかもしれない。それも作り物である人形にはあるはずのないものだ。
そう──おそらく自分は『悲しんで欲しい』と願っている。
失われる事を惜しんで欲しい、そんな──浅ましい願いを抱いている。この頭の中にも、胸の中にも、金属の部品しか入っていないはずなのに。
そんな困惑と迷いを見せるプライマリーに、ようやく身を離したロイは、ただ励ますようにポンポン、と頭を撫でてくれる。
まるで普通の人間の子供に対するようなその態度に、プライマリーは誰よりも先にロイに打ち明けた事は正しかったのだと理解する。
彼ならば何も言わずともわかってくれるのではと思った。この自分が感じている不可解な『感情』を──。
そしてロイはその予想を覆す事なく、プライマリーが今一番聞きたい言葉を口にしてくれた。
「いつかはわかる事なんだ。当たって、砕けて来い。それが一番傷にならないんじゃないか? ……お互いにとってな」
+ + +
ロイに背中を押されて向かったフリックの部屋。
いつものように『お帰り』と笑顔で飛びついてくるのを受け止めてから、プライマリーは大事な話があると切り出した。
「プライマリー、……ていし、って……どういうこと?」
先程知った事実を打ち明けると、フリックは何を言われたのかわからないような顔でぽつりと呟いた。
言われた言葉の意味はわかるものの、それが具体的にどんなことを示すのかを理解出来ない──そんな様子だった。
「今、言った通りの意味だよ。……動かなくなるんだ」
感情が凍りついたような瞳は、否定してくれる事を望んでいる。だが、ここで誤魔化しても事態は悪くなるばかりで良くはならない。
プライマリーはフリックの微かな期待を打ち砕くように、ことさらきっぱりと言い切った。
「もう、フリックとは一緒にいられないって事だよ」
「どうして!?」
反論の声はすぐさま上がった。
「何でなの、プライマリーは何にも悪い事してないじゃないか!!」
納得出来ない──その気持ちをあらわに、フリックはその腕を伸ばすと、ぎゅっとプライマリーにしがみ付いてきた。言葉だけでなく態度で『離れたくない』と意思表示する。
「フリック……」
「嫌だよ、プライマリー……! 一緒にいてよ、いなくなるなんて、駄目だ……!!」
泣かれてしまったらどうしよう、どう宥めたらいいのだろう──そんな事を心配していたのに、フリックは予想に反して涙は見せなかった。
泣きそうな顔はしている。睨みつけるように見上げてくる大きな目も潤んでいる。
しかしこの小さな身体を支配していたのは、奪われる事に対する悲しみではなく、理不尽さに対する怒りだった。




