Overture2202(4)
「そんな所で、何をやってるんだ?」
後方からの声を認識して、プライマリーは待ち人が現れたの知る。振りかえってみれば、やはり見慣れた人物がそこにいた。
「決まってるじゃない! ロイを待ってたんだよ」
そう答えると、待ち人──ロイ・ウェルナーは呆れ顔になってため息をついた。
「待つなら中で待てばいいだろ。廊下の真中に突っ立っているから何事かと思ったぞ」
言いながら先に部屋へ入るロイを追いかけて、プライマリーも室内に入る。入ると同時に嗅覚が感知するのは、機械油の匂い。そこは居住セクションではなく、研究・開発セクションにある彼の個人ラボだった。
当然ながら同じ連邦に属する者でも簡単に入室する事が出来ない場所なのだが、プライマリーはかなり以前にこの部屋へのフリーパスを獲得していた。
もちろん、それが例外どころか一般に認められた行為ではないのは言うまでもない。
自立行動が可能な《人形》はプライマリーくらいしか今の所存在しないので、何かあれば真っ先に疑われる事にもなってしまうのだが、ロイは『特に見られて困るものはない』とプライマリーの勝手な立ち入りを許可しているのだった。
(うーん、いつもながら本当にこんな適当でいいのかなあ。困るものはないって言うけど、あの辺にあるデータチップの山とか、その辺の床に落ちてるメモとか、わかる人が見たら多分『お宝』なのにさー)
入る度にそう思うのが、何度忠告しても『だからどうした』の一言で片づけられてしまうので何も言わないでおく。何度言っても改善されない以上、これ以上の忠告は無駄と言うものだ。
アルフレッド・ケブラーの唯一の助手──今となっては片腕と称されてさえいるこの人物は、昔からどうも自分の価値というものを理解していない節がある。
一介の技術者に過ぎないし、代わりなど他にも山のようにいるとロイは言うが、《プライマリー》を筆頭に現在稼働している人形全ての駆動系の元となったシステムを開発したのは彼で、それはアルフレッドにすら出来なかった偉業なのだ。
自己認識の低さはそのアルフレッドにも言える事だったりするのだが──こういうのを、いわゆる似た者同士というのだろう、とプライマリーは認識していた。
今日も無造作に手にしていた書類(おそらくそれなりに重要書類)をばさっと奥の机の上に放り投げる姿に、困ったものだとプライマリーは苦笑する。
「で、何の用だ?」
金髪碧眼という、いかにもアングロサクソン系の外見。アルフレッドよりも幾分背が高い為、向き合うと完全に見下ろされる形になる。その顔を見上げて、プライマリーはにっこりと笑ってみせた。
「来てみただけ~♪」
「……ほほう?」
ロイの目がすっと細まる。口元が笑っているものの、目が笑ってないという器用な表情は、プライマリーの見慣れたものだ。
しばし、沈黙。やがてそれはロイの押し殺した声で破られる。
「そんな事を言う口は、……これか?」
「あふ! はにふんだよ!!」
いきなり両の頬を横に引っ張られて、プライマリーは悲鳴をあげる。
「痛いか? 痛いよな~。お前痛覚あるし、一応」
「ははへ~! ほに~! はふま~~っ!」
涙目で訴えれば、あっさりとロイはプライマリーを解放した。
人間のように抓られた頬を摩りながら、上目遣いに睨むと、その顔に反省の欠片もない様子で笑いかけてロイは椅子を勧めた。
「ほら、座れよ。何か折り入って話したい事でもあるんだろ?」
「……わかっててやるんだもんなあ、ひどいよ」
プライマリーも大概ロイの行動パターンは学習済みなのだが、ロイにとっても同じ事が言えるらしい。
わざわざ部屋まで来てロイが戻ってくるのを待っていたのは、実際彼にだけ話したい重要な事があるからに他ならない。
見透かされているなあ、と思いつつ、プライマリーは勧められた椅子に腰掛けた。
それを横目で見ながら、ロイは自分で部屋の隅にあるポットからコーヒーを淹れている。インスタントながらも、独特の芳香がすぐに部屋の中を立ち込めた。
「何があった?」
聞いてくる瞳は優しい。
プライマリーを人形──《ドール》と認識した上で、一個の存在、一つの個性として扱う人間は少ないが、特にロイは初対面からこういう調子だった。
だからこそ、話せる。信頼出来る。
「──さっきさ、管理セクションの方で《エデン》に会ったんだ」
「《エデン》だって? ……もう完成したのか」
意外な名前が出たせいか、ロイの目も丸くなる。
プライマリーも遭遇した時は驚いたのだ。知っている限りでは、《エデン》と名付けられたドールは、まだ完成するはずではなかったのだから。
「違うんだって。今日は稼動実験だったんだってさ。実際の完成はまだ先だと思う」
「だろうな。……しかし稼動実験がもう出来るというだけでもすごいな。流石は“エデン”と言うべきか」
言いながら、ロイもまた椅子に腰掛ける。
この様子だと現在アルフレッドがかかりきりになっている仕事に手を出していないようだ。少し意外で、プライマリーは首を傾げた。
「ロイは“エデンプロジェクト”には参加してないの?」
尋ねると、ロイはコーヒーを飲みながら目だけをこちらに向けた。そして視線で肯定する。
「今回は俺の手はあまり必要ないからな。……人形と言っても、《エデン》と《グリフォン》はむしろ大型端末に近い。動力系はパペットレベルで十分対応出来る」
言われて納得する。
アルフレッドの片腕として扱われているが、実際の所、彼の専門は動力機構の開発・改良だ。
つまり、今回のように頭脳に当たるものの方へ重点が置かれると、従来の動力機構で十分事足りる為、彼の出番がなくなる訳である。
「それで? エデンに会ってどうしたんだ」
この辺が付き合いの長さと言うのだろうか、ロイは話の要点がそこにはない事を見抜いている。
──だが、きっとその内容までは思い至ってはいないだろう。そうでなければ、ここまでいつも通りでいられるとは思えなかった。
もし知っているなら──プライマリーの知るロイであれば、今頃平静ではいられないはずだ。この、ちょっとお人好しな所のある男は。
プライマリーは少し迷ってから、エデンから聞いた事を彼に話す決心をした。
「──エデンが教えてくれたんだ。例の件が、ついに本決まりになったって」
「例の件……?」
案の定、ロイは何の事かもすぐにはわからない様子だ。今までそういう話が出ない方がおかしいと言うのに、逆に今まで出なかったからこそ、想像の範疇を超えているのだろう。
そう予想した上で、プライマリーは殊更いつもの口調を意識して言った。
「ぼくに、停止処分の決定が下されたんだってさ」
言った瞬間、ロイは何を言われたのかわからないような顔をした。しかし、その言葉が意味する事を理解するにつれて、その顔が驚愕に強張り──。
「……何だって!?」
「うわっ!? ちょ、ちょっとロイ!?」
いきなり立ちあがったかと思うと突然掴みかかられ、反射的に逃げかけるのを何とか踏み止まる。その顔はと言えば、いつになく怖い位に真剣だった。
「おい、プライマリー……それは、本当なのか!?」
ロイの大きな手が強い力を込めて肩を掴んでくる。いつもならもっと手加減するのに、明らかに余裕を無くしていた。
「……本当だよ」
言葉だけでなく、頷いて肯定する。
ショックを受けるのではと予測はしていたものの、よもやここまで激しく動揺するとは想像以上だった。何しろ、この話はもう数年前からいつ下されてもおかしくない事で、ロイもその事を知っているはずだったからだ。




