Overture2202(3)
『ぼく』が目覚めた時、目の前にいた人はこう言った。
──初めまして、《プライマリー》。
それが最初に『ぼく』が認識した言葉──そして、人。その《プライマリー》という音の羅列が、自分の事を示しているのだと認識するのに、大して時間はかからなかった。
最初に認識した人は、最初に覚えた人でもあった。その人は《クリエイター》──『ぼく』を造った人。人間で言う所の、親みたいな存在。個人名はアルフレッド・ケブラーといって、比較的『若い』部類の人だった。
『ぼく』は最初、生まれたての赤ん坊のように何も知らず、何も出来なかった。
『ぼく』はそのクリエイターの元で、日々学習を繰り返した。人間だったらすぐに飽きてしまいそうな単調な動作や簡単な言葉を繰り返し、自分に備わっている機能の使い方や発音の仕方を覚えて行く。
基本的な知識は生まれる前から与えられていたけれど、その概念が実際どのような事象を指し示すのか、『体験』する事で理解しなければならなかった。そう、『人』が成長するのと同じように。
時折、様々な人が『ぼく』を見に来た。
──初めまして、《プライマリー》。
やっぱり彼等も、最初にそう言った。
人によって、その言葉を口にする時の表情が違うので、割と早く『ぼく』は言葉というものが、その言葉通りの感情を伝えるものではない事を理解したように思う。
本音と建前という、人がごく当たり前に持つ二面性を、彼等とのやり取りから『ぼく』は学んだ。
『ぼく』には随分長い事、稼働時間の制限があった。元々、クリエイターがその方面の専門ではなかった事も関係するのだろうけれど、思うに色んな部分で『初めて』だったから、調整が後手に回ってしまったに違いない。
その状態で『ぼく』は一日数時間だけ『目を覚まし』、学習する。そしてやって来る人々から『人間』を知った。『ぼく』は毎日経験を積み、日々少しずつ『人間』へ近付いて行く。
複雑な感情を解析し、喜怒哀楽を知る。好意を知り、悪意を知り、笑顔を知り、涙を知った。
でも。
『ぼく』がどれ程に『人間』に近付いても、結局周囲の人達の『ぼく』への認識が『物』のレベルを超える事はなかった。そして『ぼく』も、『人間』の模倣をする事しか出来なかった。
──あの人が、やって来るまでは。
+ + +
『これが業と言うものか』
先程アルフレッドが漏らした言葉を思い返しながら、プライマリーは特に目的もなく歩いていた。
プライマリーは十歳程度の子供の姿をしていても、結局の所は連邦の『備品』である。当然ながら専用の個室など与えられていない。
アルフレッドに頼まれてフリックを呼びに行ったまではいいが、その後の行動は特に指定されてもおらず、かと言って一応居場所と言えるアルフレッドの部屋に一緒に行く訳にも行かなかったので、しばらくその辺りをうろつく事にした結果だった。
(『業』か……。どういう意味で言ったのかな)
意味合いは理解しているが、そこに内包されている意図を類推するのは難しい。
どんなに経験を積んでいても、ちょっとした言葉のニュアンスや挙動によってその人の内面や言葉の裏側を『察する』というのは、人程簡単に出来るものではない。
(フリックの適職が《人形師》じゃなくて《人形使い》である事が、どうして『業』になるんだろ)
フリックも人形師としての才能を受け継いでいたのなら、まだその真意を理解出来そうだった。だが、そうではない。人形師と人形使いは、むしろ全く畑違いの職業と言っても過言ではないのだから。
(うーん、これでも結構わかるようになったと思うんだけど。まだまだだなあ)
フリックのような幼い子供ならさておき、アルフレッドのような人生経験が豊富な──しかも決して幸福とは言えなかった──相手になると、なかなか理解が難しい。
何しろ彼等は悲しくても笑えるし、余裕などなさそうな時でも別の事を考える事が出来たりするのだ。
そして──何より、『嘘』をつくのが上手い。
その度に思い知るのだ。自分はどんなに『人』に近くても、そのものにはなれないのだと。
(別に、人間になりたいなんて思っちゃいないけど)
ただ自分は確かに『人』ではないが、かと言って他の《人形》と同じかと言うと、また違う気がしてならないのだ。
最初の《人形》──それが、自分だ。
正しくは現在存在する《人形》のプロトタイプと表すべきで、一番最初に造られた訳ではないのだが、公式記録では自分よりも以前のものが全て消去されている為、結果的に一番の古株という事になっている。
起動してからもう十四年になる。外見は決して年を経ないのに、中身はそれだけの時間の蓄積を抱えているのだ。そのアンバランスさが、この違和感の原因なのだろうか。
だがそう考えると、同じ製作者に造られ、製作時期も二年しか違わない《ヴァニラ》などは、十年経っても起動間もない頃とさほど変わった様子は見られないのでそれが原因ではないような気もする。
何故なら『経験』という部分だけを見れば、ヴァニラの方がずっと上のはずなのだ。……ただし、その経験は対人兵器としてのものだが。
──という事は。
(残る可能性は、一つだけ……っ!?)
幾度も思考し、その度に辿り着くある結論に至ったその時、不意ににゅっと背後から二本の腕が伸びて来た。そして、そのままその腕に捕らわれる。
いくらプロトタイプで戦闘用ではないにしても、仮にも人形である。
常人以上の反射速度と感知能力を持っているはずなのに、その腕の持ち主の接近にも、そしてその腕から逃れる事も出来なかったなど、とてもではないが有り得ない事だ。
(何者──?)
疑問に従い目を向けると、それは予想に反して白く柔らかそうな腕だった。その腕はそのまま背後から身体を抱きしめるように動き、背後へと引き倒す。
あえて抗わなかった結果、プライマリーの小さな身体は背後の人物の身体にぽすっと受け止められた。
──柔らかい。
身体の後ろ半分で感知した情報で、自分を捕えたのが成人女性に類する存在だと認識する。同時にそれが自分と同じ《人形》である事も。何故なら、そこからは人ならば聞こえて来るはずの『心音』が聞こえてて来ないからだ。
「誰?」
そこでようやく誰何すると、背後からくすくすと柔らかな笑い声が零れた。そして──。
「──随分とご挨拶な事だ。ようやく同じ存在になれたというのにつれないな、プライマリー」
「……!!」
返って来た音声は今まで聞いた事のないもの。だがそこに含まれている情報には聞き捨てならない部分が含まれていた。
『ようやく同じ存在になれたというのに』
即座に可能性は低いが有り得なくはない答えを導き出し、プライマリーは確認を込めて身体を捻って相手の顔を見た。
緩やかに波打つプラチナブロンドに象牙色の肌。プライマリーを見降ろす目はアメジストの紫。
──普通の人間ではなかなかお目にかからない組み合わせの容姿である。
起伏の激しいグラマラスな身体は完璧なプロポーションで、いっそ神々しく見える。そう、さながら──人が想像する『女神』のような。
両肩の空いた身体の線を強調したシンプルなドレスが余計にそれを際立たせている。その姿はやはり見覚えがない。だが、その事でプライマリーの中に確信が生まれた。
「……。なんでそんな姿なのさ」
全てを端折ったその質問に、女性はおやと眉を持ち上げる。プライマリーに負けず劣らずの表情豊かさだ。
「何故と言われても返答に困る。この外見は私が望んで得たものではないのだからな」
「そ、そうかもしれないけど。というか、どうしてこんな所を普通に歩いているの? ここ、居住セクションだよ? 外部の人間だってその辺りにいたりするのに」
「質問が多いな。……いわゆる稼動実験中だ。『移行』しても問題が生じないかを調べるらしくてな。その辺りを自由に動いて構わないという話だったのでならばと『外』に出てみたら、丁度プライマリーが通りかかったので捕獲してみた」
「捕獲って……」
理由は判明したが、それでも納得出来ない部分は多々ある。
目の前の人物はどうやら確かにプライマリーの知る存在らしいが、いくら『一部』とは言え、こんな場所をほいほい歩いて良い存在ではない。
「それでも流石に『外』に出るのはマズイんじゃないの? 早く戻った方がいいよ。その格好だと、あからさまに《人形》って言ってるようなものだもん。……例の護衛? それもいないみたいだしさ」
「ああ、『彼』はまだ調整中だ。仕方あるまい? あちらは白紙からのスタートだ。私の倍、時間がかかるのは当然だろう。……それはさておき、捕獲したのは他でもない。プライマリーに話がある」
「話?」
プライマリーは首を傾げる。この『彼女』がわざわざ話などというからには、かなりの重要な事柄に違いない。
『彼女』はプライマリーを抱きしめる格好のまま、その耳元で一言囁いた。人の耳では捕えきれない程の言葉をプライマリーの耳は捕え、その意味を認識する。
やがて腕から解放されたプライマリーは、その目を真っ直ぐに『彼女』に向けた。
「……それ、決定事項?」
問いかけた声には、いつもの感情豊かさが欠けていた。まるで造られた当初のような無表情のプライマリーに、『彼女』ははっきりと頷いて肯定する。
「──上層部が気まぐれを起こさない限りはな」
「そう……。教えてくれてありがとう、《エデン》」
「何故礼を言う? 今のは良い知らせではなかったはずだが」
不思議そうに問いかける『彼女』──《エデン》に、プライマリーは微苦笑を浮かべた。
それは他の人形には出来ない、プライマリーだからこそ出来る表情。その表情のまま、プライマリーは答える。
「……だからだよ」




