Overture2202(2)
ピピッ、と小さな電子音。
来客を示すその音に、アルフレッドは中からドアを開けてやる。微かな音と共にドアが開くと、その向こうに予想通り小柄な姿があった。
「……おいで」
何か叱られるとでも思ったのか、不安そうな顔を見せる少年を手招きする。外見的な色彩に関してはほとんど似ていない彼の息子は、途端に笑顔になると明るい茶色の髪を揺らしてぱたぱたと駆け寄ってきた。
「お父さん、ご用ってなに?」
今年で六歳になる少年は、利発そうな目を真っ直ぐに彼に向ける。その頭を少し乱暴に撫でてから、自分の前の椅子に座らせた。
「フリック、お前は父さんに黙ってたな」
「え?」
「……また、クリスティンに泣かされたんだって?」
「っ!!」
アルフレッドがその名前を出した途端に、少年──フリックの顔は真っ赤になった。それは恥ずかしさと怒りが混じり合った、何とも言いがたい表情。その顔を眺めて、アルフレッドは苦笑する。
──この負けず嫌いな所は一体誰に似たのだろう?
「だって、あいつ、ぼくのこと……」
「プライマリーから聞いた。──お前も無茶をするな、まったく」
先日から、フリックは《連邦》内にある教育施設で教育を受ける事になった。
《連邦》には夫婦で所属する者も少なくない。その為、彼等が仕事をしている間、子供を預かる場所が必要となり、託児センターなるものが《連邦》内に出来たのはかなり前の事だ。
そして今では、託児センターは教育セクションとして、一つの区画を占める場所へと変貌を遂げている。つまり、以前は《連邦》の外の学校に通わせていたのが、そうしなくても《連邦》内で教育を受ける事が可能になったのだ。しかし、そうした表向きとは別の目的があるのは明白だった。
──いわゆる、英才教育を施す為。
もっと乱暴に表現するなら、《連邦》にとって都合のいい人材を作り上げる為だ。だから子供達が学ぶのは、一般的な教養だけでなく普通の子供なら必要のない専門知識の数々も含まれている。
フリックはアルフレッドの──『天才』と呼ばれる人形師、アルフレッド・ケブラーの一人息子だ。教育施設に入る事は生まれた時からほぼ決められたようなものだった。
もっともまだ幼い当人達は、それがどういう意味を持つのかまで知りもしなかったし、この先理解する事があるのかも怪しいのだが。
「喧嘩をするな、とは言わないが……、相手を見る事も覚えなさい」
何かとフリックにつっかかるという少年──クリスティンについてアルフレッドが知る事は少ない。それでもわかるのは、明らかにフリックの方が不利な状況だということだ。
何でもクリスティンという少年は、フリックよりも二つ年上の八歳であるだけでなく、すでに現在《人形使い》クラスで上位に入るほどの実力を持つらしいのだ。
二年という時間は子供の頃ほど大きなものはない。体格的にもフリックが不利なのは目に見えている。
「だって……っ」
不満でいっぱいの顔でアルフレッドを見上げるグレイッシュブルーの目は、負けず嫌いの性格を如実に表している。
「あいつ、お父さんのことだってばかにした……っ」
その時の言葉でも思い出したのか、フリックの目と言葉に怒りが宿る。そうした表情は、今はもういない彼の母親を思い出させた。
「フリック……」
先程、プライマリーから聞いた話を思い起こす。
フリックはそのクリスティンに絡まれて、最終的に取っ組み合い寸前の喧嘩になったのだという。もっともフリックはほとんど相手にされず、一人相撲のようなものだったらしいのだが。
『担当官が気付いてすぐに止めたけど、フリックはしばらく相当な興奮状態だったらしいよ?』
プライマリーは何処から仕入れたのか、そんな事まで語った。
『で、戻ってきてぼくに聞いてきたんだ。「ぼくは本当にお父さんの子供だよね」ってさ。最初は何でそんな事を聞くんだろうって思ったんだけど、いろいろ話を聞いたら、どうも喧嘩した相手……クリスティンに言われたみたいなんだよねー』
──人形師の子供のくせに、何でこんな所にいるんだよ。
──能力を受け継がなかったって事は、血も繋がってないんじゃないのか?
──それとも、お前の父親は本当は大した能力を持ってないって事なのかもな!
教育セクションに入る際に行われる簡単なテストでフリックは二級上の、身体能力が優れた子供を集めたクラスに編入していた。いわゆる飛び級である。
その事自体はさして珍しい事ではないが(むしろ当たり前になりつつある)、自分よりも年下と机を並べる事を良しとしない者もいる。そう、クリスティンのように。
先程アルフレッド(とプライマリー)が見ていたフリックのパーソナルデータは、その後様々な角度から分析する為に行われた適正テストの結果である。
その結果、フリックは『人形使い』のクラスに編成される事が確定となった。《人形》を製作するのではなく、《人形》を操る能力の高さ故にだ。
クリスティンがその情報を知った訳ではないだろうが、そうなると今後は益々目の敵にされるだろう。
「フリック、お前は紛れもなく私の息子だよ」
そう切り出すと、フリックが軽く目を見開いた。
「お前の才能は……多分、母親譲りなんだろう。彼女は判断力、運動能力、そして……何より、柔軟な精神力を持っていたからな」
幼い顔に、驚きが広がる。それもそうかもしれない。何故なら──アルフレッドが自ら『彼女』について語った事は今までほとんどなかったのだから。
──彼女の死を受け止めるには、それだけの時間が必要だったという事だ。
今でも思い出すだけで胸の奥が苦しい。ああしていればとか、こうしていたら、と後悔ばかりが思い浮かぶ。
それでも、今のこの未来を望んだのは確かに自分と彼女なのだ。
「……ぼく、お母さんに似てるの?」
おずおずとフリックが尋ねる。子供心にその事には触れてはならないと思っていたのだろう。今までフリックが母親の事を尋ねてきた事は少ない。だから安心させるように頷いてやる。
「ああ」
「お母さんはどんな人だったの?」
「そうだな、……いろんな意味で強い人だったよ。自分の事よりも他の人間の事ばかり大事にしていたな」
その強さと優しさに、どんなに救われた事だろう。共に過ごせた時間は短くて、だからこそ喪った時はその事実を受け入れる事がなかなか出来なかった。
「形見もほとんど残ってないが、いつかちゃんと話してやる。だから、周りが何を言おうと気にするな。あまり無理を言ってプライマリーを困らせるんじゃないぞ?」
「……はーい」
渋々と言った様子で返事をする。その表情が何とも微笑ましい。彼は思わず苦笑を浮かべ、その頭をまたちょっと乱暴に撫でる。フリックは嬉しそうにその手を受け入れ──そして言う。
「ねえ、お父さん」
「何だ?」
「プライマリーって本当に《人形》なの?」
「ああ、父さんが造った《人形》だ。それは話してやっただろう?」
一体フリックが何を言いたいのかわからずに続く言葉を待つ。フリックは幼いその瞳を真っ直ぐに父親に向けて答えた。
「プライマリーには『心』があるよね? それでもやっぱり《人形》なの? 《人形》はそんなものを持たないって、今日先生が言っていたんだ。だから代わりに考えて、命令をする人間が必要なんだ──って」
「……そうか」
それはここ数年アルフレッドも考えて、思い悩んでいた事だった。
確かに《プライマリー》には『心』と呼べるものが存在している気がする。彼が今まで製作した《人形》達は、基本的に人といても違和感のない『人格』を有するように造られているが、プライマリー程になるとそれはもはや明らかな個性、あるいは自我といったものに変貌を遂げている気がしてならなかった。
「フリック、お前はどうしてプライマリーに『心』があると思った?」
「え? だって……」
フリックは言葉尻を濁して俯いた。おそらく言っては駄目だとでも思っていたのだろう。だが、結局不安そうな顔で答えた。
「だって……、プライマリーが前に言ってたんだ。『マスターよりも特別な人がいるよ』って。よくわからなかったけど、それならプライマリーは《人形》より人に近いんじゃないのかなって思ったんだ」
少し早口で言いきると、まるでこちらを窺うような目を向けてくる。それがプライマリーの事を案じているが故のものだと気付き、アルフレッドは表情を和らげる。
「そうか……。フリックはプライマリーが大切なんだな?」
「うん。だって家族だもん!」
そしてフリックは、自分がどんなに父親を驚かせる言葉を口にしたのかも理解しないまま、満面の笑みを浮かべたのだった。




