ピロの都と弟子たちの再開(三)
軍令院はパリア帝国軍全体の行動を取り仕切る機関であり、また都の防衛にあたる帝国中央方面軍の根拠地でもある。
かつて後宮として使われていた建物が今では軍令院として活用されているのであるが、広い庭に後から建てられた兵士詰め所や厩、武器庫などによって、ちょっとした要塞のようになっていた。
その日は宰相の指示により、普段よりも多数の兵が警備の任に就いていた。不自然なほどの増員に気がついた者は、軍令院内に要人を招いて重要な会議でも行うのだと思ったろう。
勇者の武具が軍令院、帝国将軍の間に安置されているなどとは、宰相の腹心の部下以外予想できなかったに違いない。
宰相ブレンドロスは持ち運ばれた武具を眺め、臨席していた帝国将軍ガンクレオンと感想を交換しあっていた。
「どうだ将軍、このきらびやかな武具は。こう、目の前に置いてあるだけで圧倒されるような、強力な力を秘めているのが分かる」
将軍ガンクレオンは皇帝よりもむしろこの才知に長けた宰相にこそ忠誠を誓う男である。髭を撫でつつ、にやけ顔で答えた。
「そうですな宰相殿。これは並大抵の武具じゃあありませんや。武人であれば一度は身につけてみたい、身につけ戦うことが出来たらもう死んでも未練は無い、そのくらいに素晴らしいものですな。そしてもうじきこれが……」
「そう、これが将軍、あなたのものになる。あなたがわたしの剣となり盾となり、働いてくれるということであれば」
「それは勿論です宰相殿。この将軍の職も宰相殿のお力添えがあったればこそこうして手に出来たのですから。将軍職の特権、政治力は、全て宰相殿のお役に立つことのみを目的に用いる所存です」
「では、間違いなく、この武具はあなたのものとなる。閲兵式ではあなたがこれを身につけて、陛下の前に出るのだ。この装飾の星のような輝きを纏って、全軍を指揮するのだ」
「おお、おお! まさに武人の、男の夢が叶うというわけですな! それを想うだけで胸が張り裂けそうだ!」
大げさな身振りで将軍が感動を表していると、突然一人の兵士が将軍の間にいきなり駆け込んできた。
何事かと目を向けると、宰相はその兵士が頭から血を流しているのに気づいた。そして、持ち前の鋭さによって、この武具を取り返すためにさっそく勇者の弟子たちが乗り込んできたのだと推理した。
「申し上げます! 近衛兵イリアム他三名、計四名の不埒な男たちが侵入しました。現在建物の入り口で防戦しております!」
「よろしい。絶対に通すな。……将軍、その武具を誰か腹心の者に着させ、侵入者たちと戦わせるつもりは?」
「なんと……! たかが近衛兵との喧嘩事のために、この鎧や兜を一番に身につける権利を、他人に譲らなくてはなりませんか!? 後生ですからそれだけはお許しくだされ。まさかたった四人に後れをとる帝国軍の兵隊たちじゃありません」
「だが……おそらく侵入してきたのは勇者の弟子たちだ、この武具を取り戻すために」
「そうとも! われわれは勇者の八人の弟子、その内の四人! 宰相殿、そして将軍殿、武具は取り返させてもらいますぞ」
威勢の良い声とともにまずなだれ込んできたのは、槍で兵士たちを蹴散らし進んだロンバロン。その後からイリアム、ニンバス、ホセが続いた。
まさかここまですぐに警護を突破してやって来れるとはさすがの宰相も思っていなかった。驚愕のため、窓から飛び降りて逃げようと思えば可能だったかもしれない一瞬の隙を逃してしまった。
「冥府の氷河! Ldainest seim Porik ori!!」
氷の魔法使いニンバスが簡単な四つの魔術単語からなる術式を詠唱すると、たちまちにバキバキバキバキと大きな音を立てて、まるでこぼれた水のようにニンバスの足下から氷の膜が伸び、それがやがて宰相と将軍の靴から下半身へと上って、すっかり下半身を氷柱に包んでしまったのである。
「宰相殿、将軍殿、このようにいささか礼儀を失した訪問となってしまったこと、深くお詫び申し上げます。そしてこの武具はわれわれが預かることに致します」
イリアムが実直な調子を崩さず言うと、宰相は皮肉な面もちをして、
「陛下がお前たちを遣わしたのか。ずいぶんとやって来るのが早いじゃないか」
「いいえ。陛下は何もお命じになっておりません。ただ勇者マホローンの弟子として、為すべきことを為しているのです」
「そういうことなら……政治的な後腐れが無く事が済んでよろしい。ただ身に降りかかる火の粉を払う、それだけなのだから。ゼフォー! 出てこい!」
「はっ、ここに!」
カーテンの陰から、黒衣の男が出てきた。イリアムが宮殿前で見た男である。そして、ロンバロンもこの男に見覚えがあった。
「この男は、おれの命をずっと付け狙ってるメントガ人だ! 宰相殿の腹心であったとは驚きだが、ここで斬り殺してやろう!」
ロンバロンが腰から剣を抜くと同時に、ゼフォーと呼ばれた男も、黒衣から一冊の魔導書を取り出した。
「Yaming sei rcheos piropiro!」
低い声で簡単な詠唱をしつつ、ゼフォーは手で宰相と将軍の下半身を覆う氷に触れた。するとたちまち氷ははじけ飛んだ。
「宰相殿、将軍殿、お逃げください。ここはゼフォーにお任せあれ。必ずこの者たちを追い払い、武具を守ってみせます」
「では頼んだぞゼフォー。将軍、窓へ」
宰相と将軍は、窓から飛び降りて逃げ出した。宰相は驚くべきことに、闇属性魔法の心得があったので、魔力によって重力を操作し、怪我することなく自分も将軍も着地させた。
ゼフォーは襲いかかってくるロンバロンに対して、すぐさま闇魔法を放った。
「Poiecs tem Fongi anoru yam i Benndennon Que!」
どろどろした影のようなものがゼフォーの魔書から飛び出し、ロンバロンの剣の刃に絡まった。ロンバロンは剣を手から放し、短刀を懐から出してゼフォーの胸へ突き出した。しかし、それも魔書から飛び出る黒い影によって弾かれた。
「どうにも闇属性魔法の使い手とは、やりづらいな! どんな攻撃を繰り出しても防がれちまう。ここはホセ、貴公に任せよう」
ロンバロンは蛮勇を以て知られるような荒武者ではあるが、何度も殺されかけているこのメントガ人相手には慎重である。珍しく戦いを仲間に譲った。ホセは一歩前に出て、
「引き受けた」
とだけ答え、左の足を大きく引き、右の拳を胸の前に据え、左の拳を腰にためる「鬼神の構え」をとった。これは勇者マホローンが考案しホセに教えた五つの構えの中でも、特に一撃必殺を狙う型である。
「Teimorni honpo akachan da Isukim yam Irope n Quofee!」
ゼフォーは素早く詠唱して、今度は闇の物質で出来た槍を頭上に出現させた。六、七回ゆっくりと回転した後、黒い槍はホセの心臓に向かい真っ直ぐ襲いかかった。