無想の剣イリアム 対 毒弓のプドル 及び 半死人のグリム(一)
さすがに疲労困憊のイリアムは、宿へ戻るためにふらふらと歩いていた。辻馬車の御者や露天の女たちは、この弱った昆虫のような剣豪の姿を指さして笑ったが、イリアムはただ微笑み、足を早めようとした。しかしまる一日戦い続けた身体は思い通りにならず、ますます滑稽な歩き方になって周りの人間を笑わしてしまう。怪しげな身なりの男たちが彼の腰の宝石だらけの剣を盗む機会をうかがって、ぞろぞろその後を追尾する。子供たちはふざけて、水や藁をイリアムの頭にぶちまけた。とにかく何を差し置いてもまずは眠って体力を回復したい彼は、ほんの少しの怒りすら抱かずひたすら進む。
「これは面白い道化が朝からぴょこぴょこ歩いているな。こうした気持ちのいい朝日を、笑いと共に迎えるというのは王侯の贅沢のようなものだ。どれ一つ、こいつを恵んでおこう」
貴族らしい立派な身なりをした男が、馬車の中からイリアムに金貨を投げた。貴族にしては不躾な口のきき方だが、イリアムにとってはそんなことはどうでもよく、肩に当たって落ちた金貨には目もくれない。
「受け取ってくれたまえよ剣士さん」男は地を揺るがすような低い声で笑った。「そいつは宰相ブレンドロス殿からの心尽くしなんだからなあ。地獄への駄賃に取っとくことだよ。つぶれたコオロギみたいな貴公の生命は今朝、はかなく露と消えるだろう」
「!」
イリアムはただならぬ男の言葉に反応して、本能的に剣を抜いた。
「誰だ貴公は。わたしに対し宰相殿の名前を挙げて脅しを仕掛けるということは、われわれの行く手を阻もうという類の者だな」
男は車から降り立ち、帽子を深くかぶったまま目も見せず、御者に合図をして先に行かせ、鷹揚な態度でイリアムに向き合った。
「その通り。わたしはグリムという宰相殿から雇われた傭兵。そちらで弓を構えているプドルという毒使いと共に、貴公の生命を奪おうとやってきた。覚悟のほどはよろしいか?」
グリムが顎で示した商店の屋根の上に目をやると、イリアムは初老の男が弓を放とうとしているのを見つけた。イリアムの視線が自分に与えられるのを待ってから、その男、すなわちプドルは口を開いた。
「イリアム殿、お命を頂戴致す。先に知らせておかなければ卑怯だから言うが、わたしの弓には皮膚に触れただけでも体内に浸透して、血液を汚染し、肉体を死に至らしめる猛毒が塗布されている。神に祈りを捧げられよ!」
かくして宰相と長老によって送り込まれて来た傭兵と勇者の弟子たちは、イリアム対プドル、グリムという形で初めて相見えることとなった。傭兵の四人はパタロンダへと転送された後、プドル、グリムの組と魔女のリングミス、ユナヒェルの組に分かれて標的を追跡していたのだが、イリアムが疲労困憊の状態にあるのをいいことに、この修行明けの剣士に近い位置にいたプドル、グリム組が先に仕掛けることとなったのである。この時リングミス、ユナヒェルの二人は、ロンバロンを襲撃する算段をしていたのであるが、その様子についてはまた後で述べることとしよう。ちなみに暗黒の儀式によって用意された、勇者の武具の位置を探索する魔術はかなり有効であり、傭兵たちは難なくイリアムたちを発見し、その隙をうかがうことが出来ていた。
「それならばわたしも知らせておくが」イリアムは二人を静かに見据えた。「プドル殿、グリム殿、わたしは故あって二十四時間にも及ぶ死闘を終えたばかりであり、もう一戦やるのにはいささか体力が不足している。しかしながら遠慮は不要。神聖な剣の前では、武勇の誇りを金銭で譲り渡すような下賤な魂も死をもって平伏するだろうから」
「よくぞそれを言われた! 覚悟!」
叫ぶと同時に、プドルの手から正確無比な射撃が放たれる。イリアムは場の殺気を読み、なんなく矢の軌道を予測してそれを避けようとした。しかし、次の瞬間、イリアムは脚に違和感を感じた。
「(なんだこれは、まるで幼い子供に膝を抱かれているような感触がするぞ!)」
危機一髪、毒矢はイリアムのぼろぼろの着物をかすめていった。毒によって布は溶かされ、その周囲は黒く腐食した。違和感の正体を確かめるために視線を脚にやると、そこにはなんと半分透明の、手のひらくらいの大きさの蜘蛛がくっついている。プドルは第一射を外したものの、にやりと余裕の笑みを浮かべ、グリムは得意げにその蜘蛛を指差した。
「その蜘蛛は霊力によって構成されているから貴公ではおっ払えまい。この半透明の両腕を見てもらえば分かると思うが、わたしは半分霊体の男。暗殺者の仲間内においては『半死人』で通っている。先ほど貴公に恵んだ金貨に呪いを込め、そいつを宿らせたのだ。その50テラスの金貨と同時に霊蜘蛛も受け取ってくれたまえよ。霊蜘蛛は貴公の動きを妨害し、貴公から生命力を吸い取っていくから、あと三時間もそのままでいたら立っていることも出来なくなるだろう」
「まさかそんな、わたしは人の殺気を読む力に長けているから、殺意を伴ったあらゆる策略に気がつくはずなのだが、貴公の金貨に呪いが込められていたとは知らなかった」
「そうだろうとも」グリムは口元だけで笑った。「殺気というのは生命力豊かな人間が、死への憎しみと恐怖の念を発することによって生ずるもの。かたやこのわたしは肉体が半分霊体だから、生命力などといったものとは真逆の原理で活動している。そのため殺気も発さないのだ。ただただ静かに標的の背後を狙うことが出来るのだよ」
「なるほど、だがこれを試してみよう」イリアムは勇者の剣の、刃の付け根部分に刻まれた魔力封印術式を人差し指でそっとなぞる。「この剣には魔女王の魔力が込められているから、ひょっとしたら霊くらいは斬ることが出来るかもしれない」
撫でられた勇者の剣は猫のように震えると、昼でも光っているのが分かるほどに強く発光し始めた。脚の蜘蛛にこれを近づけると、蜘蛛はたちまちどこかへ逃げ出してしまった。どうやらこの不思議な剣の光は霊体に有効らしい。プドルはそれを見て苦い表情をし、グリムは余裕を失って、一歩後ろへ下がる。




