宗教剣士団「慈悲深き刃」とイリアムの過酷な修行(一)
さて、宰相の屋敷の地下室において、勇者の武具追跡魔法儀式の準備が慌ただしく行われていた頃、イリアムたちは街で解散し、各々自分の目的のため思い思いの場所へと向かっていた。われわれは、己に厳しく妥協を知らない不屈の剣士、イリアムの行動を追うことにしよう。
パタロンダには唯一神アザモンに対する熱狂的な信仰を組織の基礎とする宗教剣士団「慈悲深き刃」が存在する。この剣士団は街の信仰、治安の維持を目的とした自警活動を行っている。所属する剣士たちは日夜街道をうろつき回って、物騒な異教徒がいないかどうか目を光らせているのだ。街の中央にある彼らの道場は、剣士たちを訓練したり、あるいは寝床や食事を提供してやっているのであるが、その経営は信仰に篤い貴族たちの寄付に頼っている。パタロンダは様々な出自を持つ商人たちが集う場所ではあるのだが、やはりパリア帝国の領土だけあって、アザモン信仰の勢力が巨大なのだ。イリアムが腕試しのために向かったのは、まさしくこのパタロンダの顔ともいうべき「慈悲深き刃」の道場であった。
宿屋から数分歩いて、イリアムは道場の前へ到着した。道場は煉瓦作りの堅牢な建築ではあるが、門番などを置いておらず、誰でも勝手に入れるようになっていた。これは敵からの保護や食事を必要とする人々を受け入れるためであり、また泥棒や挑戦者を恐れない、剣士たちの自信の表明でもある。ここへやって来る途中、イリアムは自分と同じ白い粗布で作られた修行剣士の服を着ている人間を何人か見た。彼らは全員剣士団に所属する剣士たちである。こうした服は、剣を扱う者にとって生涯あらゆる瞬間が修行であり、信仰の時間であるという思想の現れであった。
イリアムが道場に足を踏み入れると、中では数人の剣士たちが壁に向かい瞑想の最中であった。剣士たちの内の一人、真っ白い長髪の老人が、瞑想の姿勢を崩さぬまま静かにイリアムに声をかけた。
「何用かな」
イリアムは無言の行の最中であるから、その問いかけには愛用の緑宝玉の剣を抜いて答えた。
老剣士は剣の抜かれる音を聞いて、初めてイリアムの方に顔を向け、剣の柄に結んである白い布を認めた。剣士たちの間では、柄に結ばれた白い布というのは、ある目的を果たすまで無言を貫くという誓いを立てた者の目印である。イリアムとこの老剣士の間の意志疎通は、これで十分だった。
「よろしい承知した。アザモンに仕える剣士として、われわれもこうした修行の希望者を歓迎せねばなるまい。まずはわたしが貴公のお相手を致そう」
老剣士は細身の剣を抜き、柄を額に当てて剣士の挨拶をイリアムに送った。イリアムも同様にしてそれに応じ、剣を構えた。
老剣士は剣を構えたまま数秒目をつむり、挑戦者の放つ意志や気概を読みとって力量を見極めた後、カッと瞼を開け広げると、その小柄で華奢な肉体からは想像もつかないような素早く鋭い動きでイリアムに斬りかかった。
死神の鎌のように容赦なく襲い来る刃を、イリアムは軽快に一歩退いて避ける。反撃の間を与えることなく老剣士は、次から次へとイリアムの手首や脇を狙った斬撃を放つ。
いくらイリアムがこれ以上無いほどに腕の優れた剣士であるとは言え、この老人を簡単に倒すことが出来ないのも仕方のないことだった。実はこの老いた対戦相手は、この宗教剣士団の剣術師範であり、テテローソという名の知れた剣豪なのである。長い歴史を持つ「慈悲深き刃」において、特に優れた剣士たちは「神腕」と呼ばれるのであるが、このテテローソも栄誉ある「神腕」の一人なのであった。テテローソは誇り高き神聖剣士父の地位を与えられて以来、一心に剣士団の精神と剣術の向上に努めて来た。役職を引退して後は、静かな祈りと瞑想の内に暮らしている。鋼の刃のみならず、精神までも研ぎ澄ませた、この剣そのもののような鋭き男、老人テテローソを倒すことは、とにかく並大抵のことではない。
イリアムが何とか隙を作り出して斬り込んでみても、まるで空気を斬ったかのように手応えを感じない。まさに紙一重、産毛を斬らせても肌は斬らせない、それほど卓越した境地の見切りによって、テテローソはイリアムの剣をものともしないのである。
「ふむ、なるほど悪い剣ではない」老剣士は全ての攻撃を避けつつ言った。「しかし剣士として悟らねばならない無我の境地へ、今一歩踏み出すことの出来ていない剣だ。卓越した剣豪は大抵、自分が人間なのか剣なのか分からなくなるほど、己を殺し剣を受け入れ、その冷たい鋼と一体化してしまうもの。貴公はどこか剣を受け入れることを拒み、邪念を捨て切れていないようだが」
この達人はまったく正確な指摘をしたのである。すなわちイリアムは、己の短い人生で唯一誇れる武器であった勇者直伝の剣術に対して、それが闇属性魔法を併用するものだと知ってからは複雑な感情を抱いている。あくまで強さと静けさを求める術としての剣自体には何の罪もないのだが、自分は皇帝陛下に仕える武人の身、やはり宮廷の習慣には従わなければならない――それが己の剣術を否定するものであっても。こうした迷いが、精神と剣との間にわずかなズレ、隙を作り出している。そしてそれをテテローソは見逃さなかったのだ。
「長年の修行によって身についた剣の扱いは結構。後はただ精神の問題を解決すればよい。貴公は幸いにもその卓越した実力によって、われわれの道場に伝わる最も過酷で有益な修行を受ける権利を有しておる。その修行に耐えることが出来たならば、貴公は間違いなく心の内の歪みを改善し、神々にも匹敵する比類なき剣豪の一人に加わることとなろう。――修行を受けるか、否か。受けるのであれば、死の覚悟を。これから行われるのは、まず生きて帰る望みの薄い荒行なのだから。受けないのであれば、早急にここを立ち去り、いっそ剣を捨てて武芸とは無縁の生涯を送られよ。迷いを抱き剣を握り続けることは、いつか取り返しのつかない不幸を呼び寄せる」
剣に産まれ剣に生き、普段己の生命など綿毛ほどにも思っていないイリアムのことである。老人の申し出は願ってもいないことだった。確かに現在、皇帝陛下から重大な任務を負わされているために、勝手な都合で生命を失い仕事を失敗させるわけにはいかない。しかし自分一人がいなくとも強力な仲間たちが代わりにそれを達成してくれるだろうし、剣のために生命を捧げた精進を行うことは、何よりも帝国の利益になることに違いないのだ――そう考えた彼は、膝を折り曲げて修行の提案に承諾の意を示した。
*




