トゥギャザーできなくてすまん
自室、「レ・ミゼラブル室」の扉を開けると、斉藤部長と加藤の二人はまだ寝転んだままだった。
口を開け、高らかにいびきを繰り返す斉藤部長の足元には相変わらず加藤の頭がある。
驚いたのは、その足に加藤の鼻先がくっついていたことだった。
「お前、よく平気だな」
感心した俺はそっとその顔元に座り、斉藤部長の足を持ち上げ、さらに加藤の鼻先に押し付けてやった。
「ん…く、くせ…」
寝言なのか本気なのか、加藤は目を瞑ったまま訝しげな顔をしている。
可笑しくなった俺は笑い転げた。
その声に斉藤部長が先に目を覚ました。
「なんだ、近藤、一人で笑って」
「いや、なんでもありません」
斉藤部長の足を持ったままだったその手を離し、笑いをこらえて部長に向き直る。
「人の足で何をしていた」
「何もしてませんよ」
「してただろう」
「起きてたんですか」
「いや、寝てた」
「そうですか、何もしてませんよ」
うんと伸びをした部長の口元によだれのあとがある。
まさかと思い、目を移した畳の上に、よだれの海ができていた。
「部長」
「なんだ」
「そのよだれ、そこの畳、ちゃんと拭いておいてくださいよ」
「よだれ?」
「そこ、海ができてますから」
「ああ、ホントだ。シーだ」
「シー?」
「いわゆる、海だ」
「分かりにくいですよ、かなり。ちゃんと拭いておいてくだいね」
「オーライ、つまり分かった」
「…はいはい」
部長と俺の会話に気づいた加藤が目を覚ました。
「あれ、何だか薄暗いっすね」
「もう夕方過ぎだからな」
「え、もうそんな時間っすか」
飛び起きた加藤が流しでふきんを絞る部長に声を掛けた。
「部長、もうこんな時間です」
「どんな時間だ」
「夕方過ぎです」
腕時計を部長に向け、加藤が立ち上がる。
「そろそろ出ないと明日の出社、間に合いませんよ」
「ああ、出社」
そうだ。明日は月曜だった。すっかり忘れていた。しかし先程のコンシェルジュの話を思い出した俺は六畳部屋に戻り、畳の上のよだれをこすり始めた部長の後頭部に話しかけた。
「部長、内藤コンシェルジュが後で内線をよこすって言ってたんです」
「内線?」
「ええ」
「それがどうした」
「そしたら下に降りてきてくれってことなんですよ」
「ふーん。で、それがどうした」
「良かったら部長と加藤もどうかって」
部長のこする畳の上にはさっきよりも横幅が広がったよだれが伸びている。
うんざりしながらそれを見ていると、加藤が呟いた。
「でも…帰らないとまずいですよね」
何を考えているのだろうか、部長はひたすらよだれをこすっている。
時折その手を休めては、また思い直したように畳によだれを広げている。
「まあ、帰らないといけないんなら仕方ありませんね」
「もういいですよ」と部長の手から布巾を取り上げた俺は、それをどうしようかと一瞬悩んだが、とりあえず流しの隅に置いた。
畳の上に四つんばいになった部長はまだ何か考えている。
しばらくそうした後、ふいにヘルメットを装着した部長はどこかへ電話を入れていた。
「あ、もしもし、社長ですか」
どうやら電話の向こうの主は社長らしかった。
「ええ、そうです、ヘルメットの効果は確かでした。しかしまだ検証すべき点がいくつかありまして、もう一日こちらで調べてみたいんですが…」
そんな会話を交わした後、電話を切った部長は顔をあげて加藤に言った。
「よし、これでコンシェルジュ部屋にいけるぞ」
「え?」
「明日帰ればいいことにした」
「そうっすか」
どうやら今日はここに滞在するつもりらしい。
「コンシェルジュの誘いなら仕方ないだろう」
「部長、随分お気に入りですね、コンシェルジュ」
「ルーをくれたからな」
「そんな理由ですか」
まあいい。一日くらいならこの二人を泊めてやっても害をこうむることはないだろう。
「でも何の用なんですかね」
加藤が俺に呟いた。
「さあ、なんだろうな」
何も食うなと言われたことを思い出した俺は、夕食の誘いだろうと思っていた。
今夜も甘いものか。そう考えると、先程腹に収めたクイニャマンの欠片が逆流してきそうな気分にもなった。
俺たち三人は畳の上に座り、映りの悪いテレビを見ながら時間を過ごした。
コンシェルジュの内線がくるまでの間、階下から、時々ガタゴトと何かの音がしていたが、テレビに映るルーのルー語が冴えまくっている間、部長の真似事のルー語と笑い声に打ち消され、何の音なのかはよく分からなかった。
時計の針が七時を過ぎた頃、突然部屋に声が鳴り響いた。
もちろん、「コンシェルジュです、コンシェルジュです…」と繰り返すあの内線電話の呼び出し音…呼び出し肉声だ。
初めてそれを耳にする斉藤部長と加藤はかなり驚いた様子で腰を半分浮かせて固まっていた。
「トゥギャザーしようぜっ!」とデカイ目を見開き、俺たちに笑いかけるルーの顔が映る画面にリモコンを向けてルーの言葉をさえぎった俺は、「トゥギャザーできなくてすまんな」と言う斉藤部長の声を背中に聞きながら、内線電話を取ったのだった。




