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規則という名の回覧板とは

掻き集めた雑草をアパートの裏に備えてある古い木箱の中にコンシェルジュと共に突っ込んだ。

こうして雑草を溜め込んでおくのは、それを腐葉土として庭に植える花などの肥料として利用するらしい。

「さてと」

草と土で汚れた軍手を外し、それを腹回りにぽんぽんと打ち付けるコンシェルジュの肉がプルンと揺れる。

雑草を詰め込んだ箱の上に軍手を乗せたコンシェルジュはゆっくりと振り向き、ふうっと一息つくと俺に笑いかけた。

「近藤さん、私の部屋で少し休みましょう」

そういうと黒い自室の扉を開け、俺の返事を待たずに中に入っていった。

とりあえず俺も後に続きコンシェルジュ部屋へ上がりこんだ。

壁にそって並ぶちょうちんなどは昨日となんら変わりはない。

しかしコンシェルジュの部屋の中は、甘い香りで充満していた。

おもいっきり日本風の部屋に何故か洋菓子店を感じさせるふんわりと柔らかい砂糖の香り。

「何だかいい匂いがしますね」

流しで手を洗わせて貰った俺の隣りでやかんにお湯を沸かし始めたコンシェルジュが嬉しそうに笑う。

「そうでしょう。お菓子を作ったんですよ」

「お菓子ですか」

「ええ、昨晩近藤さんがお部屋に戻られてからまた」

「すごいですね」

「好きですからね」

コンシェルジュに促され、昨晩と同じ紺色の座布団に腰掛ける。

窓から入り込む生ぬるい風が部屋の中の空気を揺らし、甘い匂いは更に鼻先に絡みついた。

業務用並の冷蔵庫を開き、中から何かを取り出すコンシェルジュ。

「素晴らしい、素晴らしい」と呟きながら俺に差し出したお菓子は、何処かで見たような形のものだった。

「あ、これ見たことあります」

「少し前に流行りましたからね」

「なんでしたっけ」

「クイニャマンです」

「ニクマン」

「どうやったらそう聞こえるんですか、クイニャマン、です」

「クイ、にゃまん」

「クイニーアマンとして日本で流行ったお菓子ですよ、クイニャマン」

「ああ、クイニーアマン、そうそれです」

「ブルターニュ地方で最も古いとされるお菓子です、クイニャマン。ま、フランス語ではないんですけどね」

「へえ」

「ブルトン語でお菓子をさす「クイニー」とバターをさす「アマン」が結びついた名前なんですよ」

「クイニーとアマンが結びついた名前ですか、へえ」

「そうです」

「だったら普通に「クイニーアマン」…でいいと思いますけどね」

「それを言っては実も蓋もないでしょう」

「はあ」

「このお菓子もね、失敗からできたものと言われてるんですよ」

「フランス、意外と失敗だらけですね」

「失敗だらけというのは聞き捨てなりませんね、失敗から学ぶと言ってください」

ぶっと少し吹き出してしまった俺を一瞥いちべつし、ピーピーと鳴くやかんの方へ身体を捻じ曲げたコンシェルジュは立ち上がった。

「パン屋のおばさんがパン生地の上にうっかりバターを放置してしまいましてね、その生地は使い物にならなくなってしまったんですが、それを無駄にしたくなかったおばさんは、それを何度も何度も折り返してそこに砂糖をまぶして焼いたんです」

「へえ」

「もともとブルターニュ地方は塩作りが盛んでしてね、有塩バターを使う事が多いんです。塩と砂糖の絶妙なバランスで出来上がった奇跡的なお菓子なんですよ」

「へえ」

「だから失敗から学ぶと言ってくださいね」

「…はい」

まだ少し不機嫌そうなコンシェルジュの差し出した日本茶を啜り、目の前のお菓子を一口かじる。

「おお! まさに塩味しおみと甘味の絶妙なコンビネーション!」

機嫌を直すため、俺は大袈裟に驚いてみせた。

大袈裟に…とはいったが、コンシェルジュの作ったお菓子は本気で旨かった。

「内藤さん、これ、すごい旨いです、この…ニクマン?」

「近藤さん、わざとですか」

「…すみません、笑ってもらおうかと思いまして」

「気を使ってもらわなくとも大丈夫ですよ」

コンシェルジュの顔にはいつもの微笑が戻っていた。

「いや、本気で旨いです、このクイニーアマン」

「近藤さん、わざとですか」

「へ?」

「クイニャマン、です」

「ああ今は本気でした。そうでした、クイニャマン」

「美味しいですか」

「本気で美味しいです」

「それは良かった」

本気で感動する俺を見、内藤コンシェルジュの顔面もほころんだ。

ほっとした俺は、二つ三つと続けざまにクイニャマンを腹に収め、昨晩同様、まるでわんこそばのように空になれば注がれる日本茶をぐびぐびと飲み干した。

庭に止めてある軽トラックの影は、右から左に少し長くなっていた。

気がつけばもう夕方になろうかという時刻だった。

昨晩のコンシェルジュの言葉を思い出した俺は、5つ目のクイニャマンを半分までかじり、5杯目の日本茶を半分飲んでから話を切り出した。

「あの、内藤さん」

「はい」

「昨日の、規則のことですけど」

「規則?」

「ええ。このアパートの規則がどうのこうのって」

「ああ、規則」

「ええ。それについて教えていただけませんか」

俺の言葉に「そういえば」という顔つきになったコンシェルジュは、一度深く頷いてから立ち上がり、隣りの三畳部屋へ移動して何かを持って戻ってきた。

「これです」

コンシェルジュの手には、よくテレビなどで見かける回覧板としてのあれ、何と説明すればいいのか分からないが、板の上に銀色のクリップみたいなものがついた代物に、A4サイズの紙が挟まれている、いわゆる回覧板と言われるそれが握られていた。

回覧板というわりには何の変哲へんてつも無いただ真っ白な紙が挟まれているだけで、規則の規の字も書かれていない。

「これ、ですか?」

「ええ、これです」

意味が分からない。

「何も書かれてませんけど…」

「最初はこの状態なんですよ」

「最初?」

「ここに色々書いてもらうわけです」

「書いて、もらう?」

「ええ。私がお題を出すんです」

「お題?」

「そうです」

ますます意味が分からない。

「お題って、何ですか」

「私の気分によって色々です」

「気分…っていうか、お題の意味が分からないんですけど」

「普通の回覧板じゃ、つまらないじゃないですか」

「え?」

「前にもお話したように、コミュニケーションの一つだと思っていただければ結構です。ほら、この町は近藤さんも既にご存知のように何にも無いところでしょう。美しい自然と温かい人たちには恵まれていますがね」

「はあ」

「まさに吉幾三よしいくぞうって言いますかね」

「吉幾三?」

「テレビはあり、ラジオもあり、レーザーディスクも恐らくありますけども」

「…信号ねぇ、バスもねぇ、おまわり毎日ぐ〜るぐる」

「バスはありますけどね」

「そうですね、この町に来るときに乗ってきました」

「ええ。まあ、それはどうでもいいんですけどね」

「はあ」

「ここの管理は私が一人で行っていますが、何分なにぶん私の身体も一つしかありませんから、手の回らないことも出てくるわけです」

「はい」

「そのお手伝いをしてもらいたいこともあるんですね、ま、それだけのために回覧板をまわすわけではないんですが、主にそういったときに私の出すお題に答えていただいて、その評価が一番低い方にお手伝いしてもらうと考えたんです」

「分かったような、分からないような」

「皆さん、その回覧板を見て楽しんでいただけますし、私もお手伝いをしてくれる方を選ぶことができるので一石二鳥というわけです」

何だかよく分からないが、偶にこのコンシェルジュがお題を出すという。

それを回覧板としてまわし、住人がそれに答える。

一番面白くない答えをしたものが、何らかの手伝いをすることになる。と、まあこんな感じなのだろう。

「何だか大変そうですね」

「そうでもないですよ」

窓の外には薄っすらとオレンジに色づいた空が広がっている。

途切れ途切れに並んで飛ぶカラスが、深緑に色を落とした山の向こうへ帰っていくところだった。

「近藤さん」

「はい」

「今夜はもうこれ以上何も食べないでいてください」

「はい?」

「後で内線を入れますので、そしたら下に降りてきてください」

「はあ」

「どうせだったら斉藤さんと加藤さんもご一緒に」

そう言うとコンシェルジュは湯飲みに残った日本茶を飲み干して微笑んだ。

コンシェルジュの斉藤と加藤という言葉にすっかり二人の存在を忘れていた俺も日本茶を飲み干して「ではまた」と部屋を後にしたのだった。







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