めぞんディコメの怪(仮) その3
池の周りをひたすら草むしった。
すっかり綺麗になった孝明の住む池の周りを見渡す。
草むしりなどしたのは何年…いや、何十年ぶりだろう。
そもそも土の道を見た最後がいつだったのかさえ思い出せない。
こうして土の上に立ち、雑草を取り除く。
何でもないその行為がすごく懐かしく感じられた。
田舎というものはそうだ。一度も訪れた場所ではないにしろ、こうした風景を見るとどこか懐かしさを感じてしまう。
草むしりをして綺麗になった周辺を見た俺はすっかり気分が良かった。
今ならガマカエルの孝明が現れても、そいつを両手に乗せ、そのぬめった身体を撫で回してやれそうな気分でもあった。
さすがに誰かさんのようにそれを口の中にまで入れて可愛がることはできないが。
「近藤さん」
後ろからのコンシェルジュの声に振り向くと、いつの間に戻っていたのか、庭に面したコンシェルジュ部屋の窓を明け、そこに腰を下ろしながら俺に話しかけるコンシェルジュが汗を拭いながら麦茶を啜っていた。
「そんなに夢中になって草をむしっていたら熱射病になりますよ、少し休んでください」
コンシェルジュの隣りには、もう一つのグラスが用意されていた。
それを指差しながらコンシェルジュが笑いかける。
言われてみれば頭のてっぺんが異様に熱かった。
汗に濡れた首筋がヒリヒリと痛む。
「ありがとうございます」
言いながらコンシェルジュの隣に座った俺は、用意された麦茶を一気に飲み干した。
「近藤さんに手伝って貰ったおかげですっかり綺麗になりました」
「いえ、たいした手伝いもしてません」
「いえいえ、私ひとりだったら、この状態にするのに、そうですね…あと10分は掛かってますよ」
「…たった10分ですか」
「10分あったらかなりむしれますよ、草。それだけの働きをして下さったということです」
「はあ」
「もう一杯いかがですか」
「いただきます」
麦茶の入ったやかんからグラスに茶色の液体が注ぎ込まれると、揺れる液体の上をスズメの影が横切っていった。
ひたひたに注がれたそれを、今度は一口啜って膝の上に置いた。
俺は気に掛かっていたことをコンシェルジュに聞いてみた。
「内藤さん、さっきから気になっていたんですけど」
「何ですか」
「他の皆さん、今日はなにされてるんですかね」
「他の皆さんと言いますと?」
「アパートの住人の方々です」
「どうしてです?」
「いや、朝からずっと荷物の運搬をしてたんですけど、その間、誰も見かけてないんです」
「そうですか」
「まだ起きてないんですかね」
「どうでしょうね」
この話にあまり興味がないのか、それとも話したくないのか、コンシェルジュは麦茶を一口啜り、目の前の池のほうをじっと見ている。
そんな様子を見ながら、コンシェルジュが先を続けてくれるのを待ってみたが、口を開く様子は無かった。
訝りながら更に俺は尋ねた。
「まあ、今日は日曜ですけど、皆さん揃ってお休みってこともないでしょう? どうして誰も出てこないんですかね」
池をじっと見ていたコンシェルジュが俺に向き直り、ぼそりと呟いた。
「今日はそんな日なんです」
「そんな日? どんな日ですか」
「誰も部屋から出ないという日です」
「あの…意味が分からないんですが」
「まあ、そのうち分かりますよ、近藤さん」
「そのうちって。少し説明しては貰えないですか」
自分でも眉間に皺がよっているのが分かった。
コンシェルジュの言葉はいまひとつ意味が分からないものが多すぎる。
孝明の話にしてもそうだ。
一体このアパートの周辺事情はどうなっているのか。
「内藤さん、」
「近藤さん」
俺の言葉をさえぎるようにしてコンシェルジュが口を挟む。
「今の話はほんの冗談です」
「はい?」
「皆さん、出かけられてるんですよ」
「え?」
「今晩には戻ってくると思います」
「出かけてるって…みんなでですか?」
「ええ」
「一体どこに?」
「それは秘密です」
「え?」
「ま、そのうち分かりますから」
「……」
コンシェルジュはそれ以上言葉を続けようとはしなかった。
話しかけるなオーラが酷く立ち上っており、俺もそれ以上聞くことができなかった。
首に巻いたタオルで額の汗、加えてタンクトップからムッチリと伸びた腕の汗を拭ったコンシェルジュは手にしていた麦茶をゴクリとふくよかな腹に収めると、「さて、草を片付けちゃいましょうか」と立ち上がり、ケツを揺らしながら池の方へと歩いていった。
俺はその後姿をしばらく眺めていた。
雑草をかき集めるコンシェルジュのタンクトップにハーフパンツといったいでたちは、後ろから見るとさながら鏡餅だ。
座り込む腹の肉とケツの肉が段々と積み重なり、丸餅を積み重ねたようである。
あの頭にヘルメットを被せたら、立派な巨大鏡餅だな…などとどうでもいい想像をするより仕方無かった。