〜 退院、そしてリハビリ 〜
小石に躓いて転んだだけだよ
ほら
立ち上がってまた歩き出そう
顔を上げれば見えるだろう
その道の先が
僕はもう長いこと休みすぎたみたいだ
さぁ そろそろ歩き出そう
ベッドの上
僕は溢れる想いの一つ一つを
取り零さないよう
せっせとペンをはしらせる
ホームページに載せる手記の
原稿を書いている
この頃まだブログという言葉は
聞かなかったが
自分のバスケサイトに日記として
更新を続けていた
試合から一夜が明け
ベッドに戻った僕はこのベッドの
上がやけに落ち着くことに危機感を感じ
視線を未来に向けるため
急ぎペンをとっていた
うちの区の大会は平日の夜間に
2面のコートで2試合が消化される
オフィシャルなどを前後のチームで
担当するため
1試合+1オフィシャルで
一日が終わる
第一試合のフェザーズは第二試合の
審判及びオフィシャルを担当し
大会運営に協力する
僕は傷の痛みに耐えられず
オフィシャルや打ち上げに
参加せず家路に着いた
足の痛みに深く眠れずに朝を迎え
僕はタクシーを呼び家の前の
駐車場に腰をおろしていた
見慣れた景色に降り注ぐ日差しは
いつもよりも少しだけ明るく
きれいに見えた
視線を横に移すと土手があり
緑の中にのどかさが溢れている
「 あれ? 最近
見掛けませんでしたねぇ 」
声をかけてきたのは
マンションの管理人さん
ほうきを持って歩いてきた
掃除の最中だろう
「 はい 今これで入院してます 」
そう言いながら足を指差し
松葉杖を見せる
「 若いのに大変ねぇ お大事にしてね 」
そう言うと管理人さんは
仕事に戻っていった
「 ありがとうございます 」
僕はギブスで曲がらない足を
なんとかタクシーに押し込んで
病院まで戻った
引出しからノートとシャーペンを
取り出すと意識を過去の中に
移していく
記憶の針は昨日の夕方を指した
止めどないほどの断片的な光景と
感情のページがめくられる
僕はそのひとつひとつを
書き残していく
試合の状況を順を追って
思いだしながら書く
頭の中のVTRは鮮明だ
試合終盤から総括にかけて
僕はフェザーズのメンバーたちに
賛辞を贈る
諦めないこと、頑張ることは
当たり前かもしれないけれども
勝ちのない状況に追い込まれても
フェザーズのメンバーたちは
目の前に勝利があるかのごとく
必死にボールを追いかけた
それは頼もしさも感じたし
僕がこれからチームに
戦力として合流するのに
多くの努力が必要であることも
僕に知らせているようだった
試合から一週間と少しくらい
経ったころ
ギブスを外すことになった
ギブスの両横から専用の
グラインダーの
ようなもので切断する
両方が切れるとパカッと
上下に分かれた
ギブスを巻いたときはわりと
きつめに巻いて圧迫感で傷が
痛んだほどだったのに
最近では少しすき間ができてきて
少し痩せたかなと思っていた
ギブスの上側を蓋を開けるように
外すとそこには想像も
できなかった光景が待っていた
少し痩せたかななんてのは
通り越して僕のものでは
ないんじゃないかと思うくらい
痩せ細った足が現れた
よく考えれば固定されたまま
まったくと言っていいほどに
動かさなければ
これくらい細くはなるのかもしれない
いろんな驚きやら痛みやらの経験で
多少のことは気にしないようになったが
正直少しショックを受けた
包帯も外して消毒を済ますと
上下に分かれたギブスを足にはめる
きっちり包帯で巻いていくと
開ける前の強度に近づいた
これなら普段は固定していても
はずしたいときに自分でできるので
風呂にも入ることができる
このころ始まったリハビリは
まずはギブスの固定で固まった膝を
曲げるということ
僕の場合は固定してただけでなく
傷口もあり中もいじってあるので
その部分が膝を伸ばした状態で
くっついたので
それを動く状態にするには
つながった繊維毛細血管などを
切らなければ足は曲がらなかった
痛みに耐えながら曲げようとしても
それ以上やると何かが
折れると思うほどに
僕の膝は伸びたまま固まっていた
回診に来た僕の主治医は
わりと若い先生だ
「 やってますかぁ? 」
ちゃんと曲がるようになったか?
ということだろう
「 まぁ ぼちぼちですね 」
「 じゃ ちょっと曲げてみて 」
僕が今できるとこまで膝を
曲げるとコンパスで計り
日誌に記入していく
「 よし 少し痛いよ 」
そう言うと僕の膝を
力任せに曲げようとする
「 ちょっ! 痛っ!! 」
あまりの痛さに僕は声をあげ、
膝はぶちぶちっといやな音をあげた
「 こんな感じで頑張りましょう 」
何言ってんだ
怪我してなかったら蹴り飛ばしてる
と心で思った
こうも思った
次はこれをやられないように
成果を見せなければいけない
次はホントに蹴り飛ばす危険性があるから
先生の思うつぼだ
それから数日間は自主的な
リハビリをしながら
穏やかな日々が続いた
テレビを見て
散歩をして
時間になればベッドに戻る
黙っていても三度の飯が出てくる
自分で売店へ買い物に行くことが
楽しみになりお菓子や雑誌を
ユウに頼まなくなった
歩行は多少不自由だがそれ以外は
不自由ない生活が続いた
快適な生活はすぐに退屈に
変わっていき
病室にいる時間が少なくなった
そんな日々は長く続かずに
次の回診で先生は
「 落ち着いてきたんで
そろそろ通院に切り替えよう 」
ん?
いまいちピンとこなかった
「 退院ですよ
まだ居たいなら先にしますか?
家での生活が大変だという
理由でわりと
ゆっくりしていく人もいますよ 」
僕ならだいじょぶだ
ユウがいる
「 最短の日程で退院します 」
次の週の水曜日に退院が決まった
この日から見舞いにきたユウに
少しずつ荷物を持って帰ってもらい
着々と帰宅の準備が整っていった
何十年と積み重ねる人生の中の
ほんの一ヶ月足らずの期間だったが
僕には忘れ得ない記憶となった
人体に手を加えたことや
見るも無残な縫い口
痛みに眠れぬ夜もあれば
五体満足の素晴らしさも感じた
肉体的にも精神的にも
様々な経験をした
曖昧に見えにくくはっきりと
しなかったバスケに対する、
復帰に対する想い
たくさんの考える時間をもらい
たどり着いた答え
僕にはこれしかないんだという結論
それを胸に僕は病室をあとにする
「 やっとこの日が来たね 」
荷物を片付けながらユウが言う
「 まだまだこれからだよ 」
そう答えながらも笑みがこぼれる
僕の愛車だった車椅子は
もうこの病室にはない
しばらくの間、生活をしていた
この場所に愛着はほとんどないが
シーツをきれいにひき直し
毛布もちゃんとたたむ
神妙な気持ちに今にも
手を合わせてしまいそうだ
それは一言で言えば感謝の想い
このベッドにだけ
感謝している訳ではない
病院関係者や僕を支えてくれた人達
この貴重な体験や
怪我をした事実にすら
元をたどれば生まれたことにまで
僕は感謝をし
その象徴であるこの場所に
特別な想いを感じる
そして僕はそっと頭を下げた
荷物を抱えてナースステーションへ
「 長い間
大変お世話になりました 」
深々とお辞儀をすると忙しい
手を止めて看護婦さんたちが
最後の笑顔を見せてくれた
「 大したものじゃないですが… 」
ユウが横から袋を差し出す
「 そういうの受け取れないのよ
ありがとうね 」
そう断りながらエレベーターまで
送ってくれたのは婦長さんだ
「 早く良くなってね 」
「 お大事にしてくださいね 」
婦長さんのあとから何人かの
看護婦さんが一緒に見送ってくれた
頭を下げエレベーターの扉を閉じる
「 ユウ 何それ? 」
僕は袋の中を覗き込んだ
覗き込んだ袋の中には
お菓子の箱が入っている
東京銘菓 鳩サブレー
「 なんか他になかったの? 」
それが悪いんじゃない
でもなんか渋いと言うか
若者の買うものじゃないような
「 いいじゃん 帰って食べようよ
退院祝いだね 」
そうだね
余り物だけど
そんなに久々でもないし
試合のときに一回家には帰っている
それでもこれからまた
自分の家で暮らせるということは
とても嬉しいことだ
この先の苦労などは一度
頭のすみにやって
帰宅をとりあえず素直に喜んだ
とにかく僕は完全復活への
道を歩き始めた
まだまだ道具を使っては
いるけれども自分の足で
しっかりと自分の足で
しばらく職場復帰せずに
自宅療養の形をとった
現場仕事のため事務所に出ても
それほどやることはないし
そのためだけに松葉杖で大変な
通勤をする気にはならなかった
できるだけ早く現場に復帰してくれ
それまでは家でよいと
会社側には一応の理解をもらった
とは言っても
家にいてもやることがない
ユウに新しいゲームソフトを
買ってきてもらいだらだらと過ごす
気が向くと膝を曲げるリハビリと
上体と腕や左足の筋トレをする
テレビを見ながら延々と筋トレ
それしかやることがない
数日が経つと痛みは和らいできて
家の中で立つ練習をする
立つのはすぐに出来たが歩くのは
まだ少し痛みがある
少し歩くと膝はひどい熱を持って
痛みだし腫れてくる
少しやったらよくアイシングをして
明日の歩行練習にそなえる
一番に気を使ったのは
オーバーワークだった
僕がかかった病院は
大きな大学病院だったがスポーツを
専門にはしていないし若い患者の
リハビリに力を入れてもいなかった
そんな病院でしっかりとした
レクチャーもなく
自宅療養を開始したにしては
僕は熱心にリハビリを繰り返した
退院から一週間
経過の観察に病院に行く
傷を消毒しレントゲンを撮る
「 まだ骨くっついてないね
ここんところ 隙間あるでしょ 」
レントゲンを指しながら
説明をしてくれる
きれいに切断された骨が
2本のボルトで繋がっている
その隙間に空洞があるのが
はっきりと見える
「 これが埋まってきたら
本格的に動かしてもいいよ
多少なら歩く練習も始めていい 」
それはもうやっているんだが…
退院から10日
松葉杖をついて電車に乗り
フェザーズの練習に行く
当たり前と思った
動けないんだから見学をする
それだけでもみんなに開けられる
差は小さくなると信じていた
中学でバスケを始めてから
見学経験は多い僕ならここで十分だ
ここから座って眺めるだけで
練習になる
置いてかれるものかと力が入る
さらに一週間
すでに松葉杖なしで
軽く歩けるようになった
とは言っても引きずりながら
普通には程遠くどちらかと言えば
立てると言った方が正確だろう
しかし歩けるというのは
大きな進歩で
壁に向かいパスの練習も出来るし
椅子に座ってのドリブル練習は
立つことにより
また一つレベルが上がった
まだまだ転がったボールも
追いかけられないが
それでも近い場所からの
シュート練習も始めた
ところがチーム練習に邪魔に
ならない場所のリングのネットが
付けたばっかか狭くボールが落ちてこない
きれいに入れば入るほど止まる
その度に横に置いてある松葉杖で
ボールをつついては落とす
これがまた病み上がりの
体にはこたえる
そんなで復帰に向けてのんびりと
練習を進めていった
足の状態が良くなっても
骨がしっかりとくっついて
くれなきゃどうしようもないので
焦らずにゆっくりと
一歩一歩やっていこう
チームもボールも
いつでもここにあるから
さらに少しの日が流れ
手術から一ヶ月半が
経とうとしていた
歩くこともでき、軽い基礎練習に
膝の筋力トレーニングも
追加することにした
無理はできないが膝を使わないと
ふくらはぎから太ももと
足全体の筋力が戻らない
のんびりではあるが秋の大会を
視野に入れて
無理のない計画をと思っていた
ところがその計画に
思わぬ誤差が生じた
それは春季大会の最終戦を
見に行った時のことだ
区のスポーツセンター
2階にギャラリー席がある
そこからコートを見下ろす
「 すげぇ たかが区の決勝だけど
想像を絶する世界だ 」
シンジの口が開いている
「 何ビビってんだよ シンジ
いずれあいつら倒しに
ここまで上がってくるからな 」
「 マジっすか?
俺たまにジュンさんが
何言ってるかわかんないとき
ありますよ 」
シンジはホントにキョトンとして
また口が開いている
「 いいんだよ
目標は大きくだよ 」
ギャラリーからコートを
見下ろしていると
プレーヤーは小さく見えるし
コート全体が見えるから
プレーも分かりやすい
下に降りたらみんなでかくて速くて
うまくてびっくりするだろう
そんなことはわかっている
でもあそこに立ちたいんだ
うまくなりたい
強くなりたい
だったらあいつら倒しにいく
無謀な目標だとしても
誰も文句は言わないだろう
「 それにしても
目標大き過ぎですよ~ 」
「 いいんだよ
それよりもちゃんと見てろ
ほらあの白の13番
背はないけど 体が強いから
良いスクリーナーになってる
リバウンドも取る
ああいう仕事お前だからな 」
「 わかってますよ
主役はジュンさんでしょ 」
「 よくわかってんじゃん 」
「 ところで
秋は間に合うんですか? 」
今は7月
僕はまだ松葉杖に頼って歩いている
「 なんとかね
間に合わせたいね 」
「 2ヶ月じゃ難しいですかね 」
ん?それは初耳だぞ
「 あれ?
シンジ10月か11月って
言ってなかったっけ? 」
「 いやぁ 秋って言うからそれくらいかな
と思って…
3部は試合が早いし
たぶん9月には始まるかと… 」
調べもせずに人の話を
鵜呑みにしていた自分も悪いが
大きく予定が変わるのは事実だ
「 そりゃ 無理だな 」
予定が変わるのは仕方ない
無理なら無理とちゃんとした
ペースでやる
焦ってやるよりはうんとマシだ
無理せずのんびりやっていこう
思いもしなかった大会日程
僕の練習計画ではその時期は
まだやっと骨がくっついて
少しずつ筋力も戻ってそろそろ
練習に参加しようと意気込んでいる
はずの時期だった
指折り数え、どう計算しても
かなり厳しい状況だ
だがない時間は
もうどうしようもない
その中でできることをするしかない
とりあえずは焦らずに
計画性を維持しつつ苦手ではあるが
出来る限りの努力をする
大会前の大事な練習に自分の力を
出すことが出来なければ
スタメン争いは諦めよう
それ以上にチームプレーすら
出来なければ大会出場も諦めよう
少しでも長く
現役を続けるための手術だったから
この頃よく考える
手術をしたことも影響はしている
このまま年齢を重ねていって
どう生き残っていくか
それは身体能力にまかせ
基礎を怠ることや
頭を使わずに感性にまかせて
プレーすることを減らしながら
知識と経験を生かしていくスタイル
そう
いわゆるベテランという域
程度は低くてもいい
そんなこと考えることが増えた
膝を治してこれからは以前よりも
ハードワークをこなす気は
十二分にある
それでも先の不安を
拭いきれないのはプレー出来ない
まともに歩けもしない状況の
危機感からくる心の弱さか
手術からおよそ二ヶ月
骨は6割くらいついた
でも階段とかは
気を付けるようにとのこと
そろそろ飛んだり跳ねたり出来る
かと思っていたがまだらしい
もう少しの辛抱か
最近は動けない分だけ頭が回る
考えることが多くなった
今思うこと
週一回、2時間の練習は少なすぎる
チームプレーを成立させる
個々の能力は必要不可欠だが
よそでも出来る
メンバーが揃う日はチームプレーを
優先すべきだと思う
最近練習を見てて思うのは
それくらいで疲れてんなら
走り込んでこいとか
家でボール回してんのかとか
そういう練習不足などの
自分自身での解決法は
他のチームの練習に参加すること
今は出来ないけど
そこでの心構えは
まずチームのためになる
自分個人の技術の向上
いろんな人との対戦や
いろんなポジションの経験
などのバスケの勉強
そしてそのチームのための練習
そのチームのための練習
っていうのはとても大事
礼儀
練習させてもらってるんだから
そのチームにプラスになることが
出来るならやらなきゃいけない
チームの弱点を表面化させたり
得意なプレーを止めて
もっと上のレベルを考えさせるとか
ただ単に全力で相手になることも
そういうのは結局自分のためになる
そういった点を気にしながら
よそで練習して少しでも
うまくなって週一回の
自分のチームの練習は全力で
内容のある良い練習にしたい
目標は段階的にでも
高くなければいけないし
限界の見えていないチームだから
期待が持てるはずなんだ
まだまだもっと上を
見てもいいんだと思う
チームでも自分自身でも