〜 決意の夜明け 〜
無謀かどうかなどわからない
辿り着きたい場所があるなら
その足で
歩みを進めること
その決意は弱い自分を守るため
手術をした
体を切り開き、足の中をいじった
大きな出来事が僕の身に降り続ける
それから少し前、停滞する時間の中でさえ、
僕の生活は変化を休まなかった
決定的な異変からさかのぼる事、四ヶ月
僕はユウとともに新しい暮らしを
始めていた
とりあえずは一人暮らしをしていた
マンションで二人で暮らすことにし、
来年の新しいマンションの完成を待った
僕の誕生日に一緒に休みをとり
二人揃って隣駅の前にある
区役所まで出向き手続きを済ませた
その足で二人大好きなテーマパークに
遊びに行った
恋人同士がデートで行くと別れるという
有名なテーマパーク
記念日など僕たちは事ある毎に、
そして何もない日々でも何度でも遊びに行った
その一月後の吉日にめでたく人並みの
イベントを開き、僕のたっての希望により
恩師である中学バスケ部の顧問の先生を
主賓として迎えた
そのおよそ十年ぶりの再会が、のちに
僕の道をさらにつなげて行く
僕には、今いるこの道がそんなに先まで
繋がっていくなんて知る由もない
僕の中には新しい道を探すという
今を卒業するわけではなく、
今を絶望する選択肢しか浮かばない
光を失い、明日が見えない僕は
手探りで進むこともできずに、
その場に塞ぎ込みただ時の経つのを
やり過ごしているようだ
ただ現実というものは僕の心と体に
思い知らせるように、
非情にも大きな大きな傷痕をつけた
長い手術を終え僕は病室に戻った
未だ動かない下半身に管だらけの体
僕はいろんな疲れからか
静かに眠りに落ちた
目を覚ますと横にユウがいた
少し早く仕事を抜けてきたらしい
「 ジュン おつかれ
どう? 気分は? 」
漫画を片手にお菓子を食べている
「 いいな 」
「 ん お菓子? 食べる? 」
「 いや 改めて健康ってやつがさ
ユウまでの数十センチの距離が
とてつもないように思える 」
まるで違った世界だ
「 何言ってんの
手術して治したんだよ
この状態は今だけだし 」
「 そうだよなぁ
なんか つかれたよ 」
気力というものが
僕の中には見つからなかった
夜になり食事が運ばれてきた
電動のベッドで上体を
起こしてとる食事は
あまりおいしいものではなかった
腕には点滴の管が繋がって
腰に入る管には麻酔薬の入った
風船がぶら下がっている
膝には血を抜くための管が
手動のポンプと抜いた血を
貯める袋と一緒に繋がっている
そしておねしょをしないための管だ
鼻から酸素用のがないだけ
いくらかましだけど
どうも管だらけな感じが
精神をまいらせる
食事もほどほどに終え
炎症止めなどの薬を飲み
くつろいでいると
母親と親戚のおばさんが
見舞いに来てくれた
動くことも出来ず
そして腰椎麻酔といえど意識レベルは
100%ではなく
まともな挨拶も出来ない
怪我人だけど重病人のような様だ
夜になって麻酔が切れてきた
いぜん腰には風船型のじわじわと
入っていくであろう
麻酔の管が繋がってはいるが
メインの麻酔が切れてきたのが
あきらかに自分でわかる
少し足を動かそうとするだけで
激痛が走る
麻酔でボケちゃってる腰の辺りが
だるくて上体を起こしたり
ひねったりするとき
よほど膝を動かさないように
気を付けなきゃ激痛の餌食になる
「 ヤバい 麻酔切れてきた 」
「 嘘 大丈夫? 」
「 力入れないようにすれば平気 」
「 そっか リモコンとか
ここ置いとくから
また明日くるからね 」
手の届くところにテレビの
リモコンやゲーム機、
ミュージックプレーヤーなどを
ユウが用意してくれた
「 じゃぁね 」
僕の孤独な戦い
長い夜が始まった
何もすることがない
出来ることがないというのもあるけれど
やっぱり精神的にまいって
いるようで何もする気がおきない
ボケッとテレビを見ているだけだ
それも22時くらいまでのもので
それよりも遅くまでとなると同室の
早く寝る年輩の方に迷惑がかかる
カーテンで仕切られているとはいえ
電気の消えた部屋でのテレビの光は
かなり目障りだ
僕は音楽も聞かずいつもよりも
早く寝ることにした
本来、横を向いて寝ることの
方が多い僕は完全な仰向けで
真上を向いたまま寝るのは
ストレスだった
だけど足を動かすと激痛なので
仕方なく真上を向いて寝ようとした
気疲れもあってかなんだか今日は
早く眠れそうな気がした
うとうとし始めたとき
僕はあまりの痛さに
びっくりして起き上がった
気を抜いた瞬間に無意識に
寝返ろうとしたのか
膝が今まで以上の激痛を発した
例えようもないほどの痛みに
僕は声をあげるのを堪えるのが
精一杯だった
そしてその痛みはしばらくの間
引くことも慣れることもなく
そこにあり続けた
少し眠れそうになると激痛に
起き上がり痛さに慣れるまで
一時間ほど膝を抱えて集中する
集中しなければいつでも大声を
張り上げそうな激しい痛みだった
それを数回繰り返していると
窓の外から朝の光が差し込んできた
こうして一日の大部分を僕は
膝の痛みと戦わなければ
いけないことになった
手術を終えて最初の朝を迎えても
何かをやり遂げたというような
晴れ晴れしさはなく
ただ痛みと眠気が交互に
やって来るだけだった
何度となく寝入りと激痛を
繰り返しながら夜になり
また長い戦いが始まろうとしていた
ふと看護婦さんがやってきた
「 ジュンさん 大丈夫ですか? 」
昨夜、巡回で来る度に起きていた
僕を心配しているみたいだった
「 眠れないっす 」
「 睡眠薬とか出しますか? 」
そんな便利なものがあるのか
「 お願いします 」
夕食も終わり消灯時間が近づくと
看護婦さんが睡眠薬を持って
ベッドまでやってきた
睡眠薬を飲んでゆっくり
横になっていると
薬が効いたのかすぐに寝付いた
でも薬のおかげで朝まで快適な
睡眠が訪れるわけではなかった
寝付いたと思った矢先に
僕は目を開いた
足は痛くない
ということは少しも眠れてないのか
眠ろう
目を閉じようとする僕の意思に
反するかのように覚醒する意識
なんだこれ?
なんだか落ち着かない
一日中仰向けで慢性的に尻も痛いし
下半身がだるいので
とりあえず上体を動かして
体をほぐしてもう一度寝に入ろう
それでもなんだか落ち着かない
おかしなことに目を閉じるのが精神的に
非常に苦痛だった
しばらくは我慢していたが
もう限界に近くなり
何故かおぼつかない手つきで
やっとのこと枕元のナースコールに
手を伸ばした
ボタンを握るのもうまくいかない
自分に少し怖くなり
両手でしっかりとボタンを押した
すぐに駆け付けた看護婦さんに
状況を説明しようにも
うまく口が回らない
「 あの… なん…か
落ち着…かなくて…
今日 睡眠…やく もらって… 」
僕の体はいったいどうなって
しまったんだろう、と頭は
冷静に今の状態に戸惑ってはいるが
体が言うことをきかない
「 ちょっと待っててください
すぐに来ますからね 」
そういうと看護婦さんは
戻っていった
しばらく落ち着かずに待っていると
先ほどの看護婦さんが
先輩の看護婦さんを連れてきた
先輩というか資格の問題かは
僕にはわからない
僕にはみんなが看護婦さんなのだ
先輩看護婦さんは僕に何も聞かない
淡々と
「 お待たせしましたぁ 」
手際よく僕の寝巻きの裾を捲って
肩に消毒液を塗る
よく見ると持ってきたトレーの中に
その消毒液のピンセットと
一緒に注射器が入っている
あれ?注射するんですか?とか
考える間もなく
「 チクっとしますよぉ 」
そりゃ注射だもん
チクっとは…プスッ
もう手際よいどころの騒ぎじゃない
有無を言わさずとはこういう事だ
「 もう大丈夫ですよぉ 」
僕は体の異常と看護婦さんの
手際よさに混乱して
よくわからないままに
落ち着きを取り戻した
朝まではもちろん無理だったが
注射のおかげか少しだけゆっくりと眠れた
明け方に僕はまた眠気と激痛の
サイクルに苦しんでいた
その間に考えてみた
あれはなんだったんだろう
僕の予想は睡眠薬が体に合わず
拒絶反応か何かで精神が
不安定になって鎮静剤か何かを
注射されて治った
という予想に正解も何もないまま
奇妙な夜は過ぎていった
というのも昨夜の事態に関わった
看護婦さんには朝になって
会っていないしわざわざ
他の人に聞くほど興味もなかった
昼間に主治医の回診があったとき
僕は寝不足からうたた寝をしていた
「 ジュンさん 昼寝ばっかしてると
社会復帰が大変ですよ 」
「 違うんですよ 寝れなくて…
睡眠薬もらったけど合わなくて
夜だけでも何とかなりませんか 」
僕の精一杯の相談は二つ返事で
受け入れられる
「 じゃ鎮痛薬だしときますね 」
それが睡眠薬の時のような事が
起こらない保障はないけれど
こんなに簡単に出してもらえるなら
もっと早く言えばよかった
「 じゃ 足 消毒しますね 」
僕の右足には太股から
足首近くまであるサポーターが
マジックテープでしっかりと
止まっている
サポーターの中には縦に何本も固い
針金のようなものが入っていて
膝が曲がらないようになっている
そのサポーターを丁寧に外していく
サポーターを取り包帯を取り
最後に血液と消毒液とで
汚れたガーゼを取る
僕はまだ自分の足を
見ることが出来なかった
「 ありゃ バッサリいったねぇ 」
そう言うのはお見舞いに来てくれた
ユウのお父さん
お母さんと妹さんも一緒だ
僕の気を紛らわそうと明るく
言ってくれた言葉も
今の僕にはあまり笑えなかった
未だ術後の傷痕を見れず
現実をしっかりと受け入れられない
自分を少し恥ずかしく思い
僕は愛想笑いをした
管だらけだった体から日に日に
それが一本
また一本とはずれていくのは
嬉しいことだった
管が最後の一本
腕の点滴だけになったら僕にも
ほんの少しだけ人間らしさが戻った
最初は起こすベッドの角度さえ
決められていたのに
ベッドを離れることが許されたからだ
僕の病室は旧病棟にありそこは
古い作りで設備も古いものだった
僕に影響があった点は
空調設備が床置き一台だったために
寒がりの僕の横でも強運転しなきゃ
窓際の人が暑いらしく
僕は若者らしくなく
昼間も布団にくるまっていた
もう一点
僕の生活に一番支障をきたしたものは
トイレが狭く身障者用トイレも
なかったことだ
やっとのことでベッドを出ることを
許された僕は専用の車椅子を
用意されそれに乗って
移動することになる
片足は台に乗せ真っ直ぐに
伸ばしたままだ
専用機に乗り病室近くの
トイレに向かうも僕にとって
そこは何の意味もなさなかった
膝の曲がらない僕は狭いトイレに
入ることさえ困難だった
その日の夜
約束通り鎮痛薬をもらい食後に飲む
薬のおかげか昨夜までとは違い
ほんの少しだけ穏やかな夜だった
でもその夜も僕の眠りは妨げられた
同室の気の良いおじいさんが
その日、肘の手術を終えて
ベッドに寝ていた
どんな手術をしたのか知らないが
肘を天井から吊っていた
そのおじいさんが夜中苦しそうに
うめき声をあげた
体を固定している精神的負担
術後の肉体的痛み
わかります
がんばってください
と心の中で応援したけれども
おじいさんの苦しみは朝まで続いた
僕は眠れずに
延々と鉄アレイをあげていた
翌朝おじいさんが部屋のみんなに
謝罪をしたがみな暖かく
よく頑張りましたねと返した
すると隣のおじさんが
「 お兄ちゃんは結構切ったみたいだけど
だいじょぶだったねぇ 」
と聞いてきたが
僕が答える前に肘のおじいさんが遮る
「 とってもキツかったはずだよ
その人は必死に堪えていたんだよ 」
僕に筋トレする意味をこの時に
説明しろと言われても
当然無理だっただろう
体の自由もきかない
鉄アレイをあげるのと腹筋を
鍛えるだけしか出来なかったが
とりあえずやり続けた
手術をして三日目
僕にとって歴史的な日がやってきた
というのは大袈裟だが
僕の心に変化が生まれた
この日も日中に傷の消毒があった
先生と看護婦さんがサポーターと
包帯をはずしているのを見ながら
僕は決心していた
この日々にも少し慣れてきたころ
精神面はもう回復しているはず
もう現実を直視してよいのかも
いや受け入れなくてはいけない
僕は先生が作業している手元を
そっと覗き込んだ
そこには初めて目にする
生々しい現実が僕を待っていた
縦に一本
僕の右足の膝あたりに
汚い線が一本くっきりとあった
血とかさぶたと消毒液に汚れた
傷痕がくっきりと
15センチほどの傷口は腫れ上がり
皮膚と皮膚とを引っ張り縛り上げ
盛り上がっている
それを確認すると
横にある血抜きの穴や裏にある
傷口に気付かず
それだけを確認したら
僕はそのまま後ろに倒れ込み
枕に頭を預けた
ショックだった
中学のころに膝に穴を三つ開けた
時とは比べものにならないほどに
これだけ切って縫い合わせれば
痛いに決まっている
しかも中身は人工的な骨折だ
そりゃ痛いよ
見たという事実が
痛みを増やした気がした
なんとも言えないやるせなさが
僕を取り囲む
放心というより恐怖に近い
僕は黙ったまま天井や
窓の外に目をやった
今までと違う世界
僕の愛機であるベッド横の車椅子
ですら意味をなさずただそこにある
これはいったいなんだろう
心が押し潰されそうな
未来への希望を見い出せない
不安という恐怖
僕は得たいの知れない
おそらく自分自身というものに
負けそうだった
お見舞いにやってきたユウは
僕の元気の無さを心配したが
傷を見たショックという事実に
納得していた
僕の中では
それだけではなかったけれど
その夜はまったく眠れなかった
負けそうな弱気を忘れさせたのは
なぜか入院するとき
持ってきた鉄アレイだった
こんな不安なままでいられる
自信が僕にはない
精神が疲れたり
何かにやつあたりしたりしそうな
僕は容易に想像がつく
背中押す何かがないまま
足を前に進められるほど
僕は強くはない
ひたむきでも誠実でもない
僕の弱い心を守るためには
どうしたらいいんだ
答えを出すことはそんなに大変な
ことではなかった
平気なふりして前向いて
強がって背伸びして
弱い心を守るため
夢を見るしかないだろう
明日が来るなら前を向いていられる
誰に言われたって僕は止まらない
何があっても乗り越えられるさ
僕はもう一度戻るんだ
その先に何が待ち受けようとも
後悔なんかはしない
僕は戻るんだ
あのコートへ
僕にはそれしかない
夜通し考え込んだあげくに
そう納得したころ
外はもう明るい陽が差していた
ここにきてはじめて見る
いやもしかしたら生まれてから
はじめてかもしれないほどの
眩しくきれいな朝の光だった
僕はベッドの下に置いた
鉄アレイをもう一度手にとった
その日の回診
「 先生 明後日に
外泊許可をください 」
「 明後日? 術後まだ五日かぁ
普通は一週間くらいで抜糸して
ギブスできたらいいんだけどね 」
ギブスをしないと危ないので
外には出さない
抜糸をしないとギブスは出来ない
ということだ
「 その日に抜糸が出来るか
見てください 」
出来たらギブスをして外泊をする
なぜ 外泊を?
なぜ急に外泊なんてするのかという
先生の問いに僕は胸を張り答えた
「 大事な試合があるんです 」
僕はその場にいなければいけないんだ
その場に立つことが道をつなぐ
そう信じて
きっと外泊の許可が出なくて
試合に駆けつける事が出来なくても
僕はあそこに戻るだろう
でも今の僕には他のことは
考えられない
出遅れるわけにはいかないから
いや出遅れることには
なるかもしれない
だがそこにいないわけには
いかないんだ
片足でも何でもいないわけには
それは僕らにとって
とても大事な瞬間なんだ
そこは僕らの門出
そして僕にとってのスタートライン
望むものは遥か遠くても
今は歩けなくたって
そこから新しい第一歩を
踏み出せばいい
本当の意味でのゼロからのやり直し
これが僕の
スターティングオーバーだ