〜 人間の領域 〜
殺伐とした部屋の中
次第に張りつめていく空気
時折肩に置かれる手に不安が和らぐ
突如響き渡る轟音に
体も
心も壊されそうで
人が英知によって辿り着こうとする
不可侵な場所
その時、僕は神を感じた
僕は大きな荷物を抱えて
病院の受付を済ます
バッグの中には着替えのほか
ミュージックプレーヤーに
携帯ゲーム機や
鉄アレイが入っていた
ベッドにいれば何も言わずとも
三度の食事が出てくるが、
時間に縛られながら
薄っぺらなカーテンだけが
外界の喧騒を遮ろうと
無駄な努力をしている
自由か不自由か
そんな事はこの際どうでもいい
今わかるのは、窓の外には
変わらない空がある
そしてその太陽のしたに僕は行けない
何故なのか
自問自答しながら空を見ている
僕はただただ空を見ている
そんな僕はベッドの上で
生活をしながら待っていた
執行の日を
度重なる検査でなかなか
飽きのこない中
集団での回診があった
見たことない顔が多い集団、
資料を手に並べられたベッドを覗く
まるで動物園みたいだ
そう僕らは生きる事例として
並べられ晒されている
僕の周りに集まりだすとき
雑誌を閉じベッドの上で
あぐらをかいて
憮然とした態度で待ち構える
「 ジュンさん 調子は? 」
「 別に… 」
どんなに検査を重ねてみても
何度写真を見ても
僕の膝のお皿はとても座りが悪い
そして触ってみるとゆるゆるだし
角度が悪く外に引っ張られている
それは先天性
怪我をしていない左足も同じだ
当たり前と思っていたものは
普通じゃなかった
入院してから検査が続き
一週間が過ぎたころ
やっと手術の日程が決まり
書類や説明と忙しくなってきた
僕は中学のころから心配をかけ
共に怪我と戦ってきた母親を特別に
執刀医の説明に招きいれ一緒に聞いた
「 ここの骨ね うん 健康な骨
これを切ってね 少しずらして
この辺にボルトで止めるから 」
健康な骨を切る…
ボルトで…
少しずつ慣れてきたのか
それほどに大きなショックは
受けなかった
骨を切ってずらして固定するのは
膝蓋骨を繋ぐ腱の角度を
真っ直ぐにするため
それと合わせて
膝の後ろの方で余っている腱を
内側から回してきて皿に固定する
さらに皿周辺を覆う膜の内側を
少し切り落とし
短くして縫い、内側への力をかける
それが僕が受ける手術の詳細だ
麻酔は腰椎で下半身だけ
手術室にかける音楽の
リクエストを求められたが
特になく流行りのものをと伝えた
この頃は麻酔科や手術室の
看護婦さん達が頻繁に病室を
訪れては手術への心構えなどを
話しては帰っていくという
メンタルのケアが増えていった
この頃お見舞いにきたユウから
フェザーズの輝かしい第一歩である
区大会初戦の日程が
決まったことを知らされた
春季大会 5月
窓から見える外の景色は
僕がいるところとはまるで違った
世界かのように今まで
気付きもしなかった美しさを放ち
病室に春の優しい光を運んでくれる
壁に貼られたカレンダーは
何度見ても3月のままだ
なぜかもう手の届かない場所に
思える度に僕は自分の
馬鹿馬鹿しい考えにうんざりする
そして落ち着いて考えてみると
それほど間違っている
考えでもないのかなぁと
問い直してしまう自分がいた
だってこの先僕には何が残され
何処に向かうんだろう
そりゃ僕にはユウとの生活もある
仕事もあれば友達との
楽しい時間だってある
ただ情熱を傾けるべきバスケが
ないというのは
今の僕には想像もできない
一度は途切れかけたこの道は
僕の中でこんなにも
大きなものになっていた
そんな今の僕には
フェザーズの試合も他人事に
思えてどう向き合えばいいか
まだ分からずにいた
僕の精神状態に関係なく時は進み
ノルマをこなすかのように
日々は過ぎ
その日は迫ってくる
日に三度、何も言わずに
運ばれてきた食事が
今日の夜は出てこない
病室の他の人はいつもと変わらずに
夕食を食べている
「 ジュン 大丈夫? 」
「 全然平気… ただ… 」
これだけの準備と説明があれば
心の準備は十分だ
ただ…
それは受け入れざるをえない
出来事なだけで
復帰に向けてリハビリなど精力的に
努力していくという
モチベーションが
今の僕にはない
復帰という目標がなければと
思ってはいたが
何に復帰するんだろう
人として生活するだけでいいなら
歩ければ十分だ
そういう弱気な僕にユウは
「 別に誰に何言われても
バスケやればいいんじゃない? 」
君の言葉は人に勇気を与える
でも今の僕は
「 今はわかんない
手術で完全に治るかわからないし
左膝も同じ形してた
もしこいつがいかれたら… 」
「 たぶん今は体と一緒に心も
疲れてんだよ いろんな事あったし
今はあんまり考えすぎないで
明日の手術がんばんな 」
「 そうだな 」
その夜
体にメスを入れる不安
その先にある不安
僕には処理しきれない問題が
山積みだったが
処理しきれないという開き直りか
ゆっくりと深い眠りに落ちた
翌日
僕は身の回りを整理し
気持ちを落ち着かせながら
その時を待っていた
「 ジュンさん 用意しましょうか 」
「 はい 」
トイレを済ませローブをまとって
ストレッチャーに横たわる
「 気分はどうですか? 」
「 全然 いいですね
ただまだ元気だから
歩いて行きたいっすね 」
運ばれてる感じに少し抵抗がある
「 がんばってきてください 」
「 ありがとうございます 」
手術室まできて患者の乗った
ベッドが受け渡される
「 ジュンさん 来ましたねぇ
がんばりましょうか 」
説明などで何度も顔を合わせた
手術室の看護婦さんが迎えに来てくれた
こんなふうに迎えられたら
多少の不安があったとしても
少しは軽くなるだろう
自動で開くドアが横にスライドした
僕にはとてつもなく重く大きな
鋼鉄製のドアに見え、映画でみる
監獄のような気がした
ひんやりした空間
物が少なく色も少ない無機質な部屋
部屋の中心には台があり
たくさんの機材と人材がそれを囲む
その台に移るよう促され横になる
体では感じないが心が感じる
冷たい
周りでは用意が進み
空気が硬くなっていくのが分かる
僕の中学の時の記憶はここまでだ
未知の世界と乾いた空気は
事前に教えられていた段取りを
忘れさせ僕から心の余裕を
奪っていった
「 はい 横になって丸くなって
少し冷たいですよぉ 」
背中から腰にかけ消毒液が
大量に塗られる
少し冷たかったが
この部屋の冷たさほどではなかった
「 ちょっとチクっとしますよ 」
腰の辺りに微かな痛みを感じたが
すぐにわからなくなり
そこがだんだんと暖かくなってきた
暖かくなったと思うと何かを
押し込むような圧迫感を感じ
麻酔の処置が終わったようだ
麻酔なのか何かの管を気にしながら
手術台の上で仰向けになる
点滴をしながら辺りを
うかがおうにもお腹の上に
ついたてがあり足の方では
何が起こっているのかわからない
しきりにお腹あたりに
先の尖ったものを当てながら
感覚を確認するのは
麻酔が効いてるかどうかの確認だ
それが終わると足を
おそらくゴムか何かだと思うが
血流を止めるために縛り上げる
一通りの準備が終わったのか
教授が遅れて入ってきた
緊張が高まっていく
「 大丈夫だからね 」
笑顔に頼もしさを感じる
「 よろしくお願いします 」
ついたての向こうで何かが始まる
聞こえない程度の話し声がする
空気が張りつめていく
無意識に僕の両肩に力が入る
「 大丈夫ですよ 」
僕の頭の上に一人
看護婦さんが声をかけてくれる
「 寒くないですか? 」
「 だいじょぶです 」
さりげなく僕の両肩に置かれたその手は
この場所で唯一
暖かさを持っていた
無機質な箱の中で作業が進められる
そこで触れた人の温もりに肩の力が
抜けていくのがわかった
僕が戦った永遠のように思える時間
そのほぼすべての場面
その手は僕の肩の上に
優しく置いてあった
「 もう 始まってるんですか? 」
僕の視界の上から覗き込む
ひっくり返った顔に尋ねる
「 うん 始まってますよぉ 」
そこからは見えるんですね
この渇いた空間の中で
僕だけが何も知らず横たわっていた
足元では何が起きているか分からず
長い時間が流れ
退屈になった僕は肩にある
温もりに心をゆだね
眠りにつこうと思った
そんな僕の余裕を打ち消すように
部屋中に轟音が響き渡る
グラインダーのようなモータの
高速回転する音
次の瞬間
ガガガガガッ
っと何かをけずる音と共に
激しい振動が感覚を
忘れた足から響いてくる
あまりの音と振動に
僕の体は凍りついた
「 大丈夫ですよぉ 」
頭の上から声が耳に入ってきた
でも少しの間
僕の心には何も聞こえなかった
鳴り止まぬ骨をけずる音
骨が悲鳴をあげる振動
無造作に扱われる人間の足
自由を失った下半身は幸いにも
痛みを感じることはなく
僕の体は切られけずられ形を変える
僕の身に自然と起こった異変は
あらかじめ定められた
ものでないとしても
それがこの世の摂理だったのならば
僕は
人間は間違いを
おかしているのではないだろうか
どんなに文明を駆使しても
自然の流れに逆行はできやしない
そうならば僕は今
この身に罪を
刻み付けているのではないか
人間の上にも下にもまた人間を作り
不平等を造り上げたものが
何者なのか僕は知らない
もし人がその存在を神と呼ぶならば
僕はたしかにその時
罪とともにあなたを感じた
そんな僕の苦悩などは知らずに
作業は淡々と順調に続いた
次に僕が乗り越えなければ
いけないものは肉体的苦痛だった
足元で自分の足がどうなっているか
ついたてで見ることができない
僕が参考にできたのは感覚のない
下半身からの脳への信号だった
時間が経つにつれて
右足に圧迫感を感じてきて
足を曲げた状態が辛くなってきた
膝をいじっているはずなのに
いくら経っても膝を曲げたままだ
我慢も限界に近くなってきて
頭元の看護婦さんに聞いてみた
「 足って曲がってますか? 」
「 ちゃんと伸びてますよ
出血を押さえるため足の付け根を
きつく縛ってあるから
錯覚しちゃうんですよ
すぐ終わるから頑張りましょ 」
そういうことか
どうでもいいがかなりキツい状態に
なってきたので早く終わってほしい
「 よく頑張りましたね
今 先生があとが残らないように
丁寧に縫ってくれてますよ 」
丁寧に?
そんなのいいから
ちゃちゃっと終わらせろ
などと思った
「 はい 終わりましたよ
おつかれさまでした 」
「 ありがとうございました 」
何時間かかったのだろう
精神的な疲労と肉体的な疲労とで
時間を長く感じはしたが
知らないことがいっぱい起こったし
たくさん考えることもあったから
全体的な印象としては思ったよりも
早く終わったように思えた