~ 見えない運命の糸 ~
不良、出来損ない、
落ちこぼれだったのかもしれない
しちゃいけないって言われた事もしたし
反発もした
でもグレる事はなかった
誰にも迷惑をかけていないと勘違いしていた
他の人よりほんの少しだけ運動神経が
良いという事だけで、僕の立場は
子供社会の中で少しづつ目立っていった
けして特別な存在とかではなく
八方美人といった感じで、
誰からも多少の人気が出てきて
各派閥のリーダーからは
「お前どこのグループだよ
うちならあいつらと口きくなよ」
と迫られることもあった
その度うまく立ち回っていた
協調性ではない、取り繕い
集団生活ができないというレッテルは
貼られたままだった
その人間関係の難しさの中、
人に殴られた事も沢山あった
僕は学校で泣いた事がなかったので、
あいつは泣かないから強いとかの
子供的な発想で多人数に囲まれることは
一度や二度ではなかった
そんなつまらないものに僕は決して屈しなかった
間違っているものには間違っていると、
言えば言うほどに増えていくいざこざに負けず
自分を押し通した
骨があると思われたのか、結果的に僕は
そんな他人と違う事を恐れ、
群れるような連中ともうまくやるようになった
しかし子供心に人間関係は難しいと
思い知らされることもあった
僕の小さな両手は人を殴ったりもした
もちろん向かってきた敵と認識できる相手には
多勢だろうが力に頼っていた
でもそれは間違った力の使い方だった
些細なことだった
僕にはそのころ、よく遊ぶ
仲の良い友達が数人できていた
休み時間、仲良し組の一人と
何か紙を渡した渡してないだので口論になった
僕はその紙を渡したつもりで
ちゃんと確認もしていなかった
友達は執拗に僕に詰め寄った、
次第に僕は鬱陶しくなってきて
揉め事の原因をどこかにやってしまい、
自分が調べないといけない立場なのに
感情に任せ悪態をついた
友達は我慢ならなくなり僕を殴った
即座に僕は殴り返していた
たった一振りの力だったが
友達は大きく飛ばされ、廊下に背中を打ち付けた
倒れたまま顔をおさえて僕を見上げる
子供の力なんてそんなもので、
小さな体も使い方次第で
大きな差を産み出す事ができた
身構える僕は友達ではなく
敵として向かってくるのを
待っていたのかもしれない
でもその友だちがこちらに
歩み寄ってくることはなかった
友達は何も言わずに去っていった
今日、あいつ来てないなぁ
ふいに聞こえた話し声に僕はぐしゃぐしゃの
整理されていない机をあさった
あっこれ
あいつに渡したと思っていた紙だ
今日は休みか
明日にでも謝ろう
そう思っていた
しかし、それきりあいつが
学校にくる事はなかった
僕は謝る事もできなかった
この出来事は、いつまでも胸を痛めながら
持ち続けていかなければならない僕の罪の一つだ
小学校高学年になっても、授業はでない
途中で家に帰るなどは続いていた
家に帰ると中学にあがった兄とその友達が
家にたむろっている事が多かった
自然と兄の友達は、自分の友達の出来損ないの
弟を可愛がった
本当によく面倒を見てくれた
僕が学校に来なかったり抜け出したりすると
先生は家に電話をした
学校の時間に共働きの両親は家には居ない
でもその電話は無情に鳴り響くことなく繋がった
いるはずのない時間帯に兄達は
家にいる事がよくあったからだ
校長室や職員室で怒られている僕を
よく兄が迎えに来た
そんな中、一度職員室でとんでもない事件に
発展しそうな事が起こった
まだ僕が校長室にいるときにそれは起こった
職員の一人がつい、
「またあのバカ何かやったのか、
ほんとどうしょうもないなぁ」
というような事を言った
毎度のことなのでわかる気もする
それを聞いた中学生が職員室で暴れだした
真っ先に突っ掛かっていったのは兄の友達だった
「バカってどういうことだ!
てめえぇっあやまれよ!」と
その場に兄の友達がいるのもどうかと思うが、
その当時の僕の保護者は兄達だった
僕は僕だけが知らなかった、
たくさんの人に支えられていたという事を
大人になってようやく理解した
僕だけが知らなかった
好き嫌いが激しい僕の、好物のハンバーグに
食べられない人参が擦られて入っていたように
見えない運命の糸は
知らずうちに紡ぎ合う
ここまで話せば分かるが、
僕の兄も優等生という側ではなかった
中学校では生活指導に目をつけられ、
派手な校則違反のズボンを没収されて
ジャージで帰ってくる事もあった
問題児だった兄には高校受験が控えているし、
親はそちらにも手を焼いていた
中学の3年生の時の担任の先生が良い先生で、
厳しくも問題児の進路に親身になってくれた
母親曰く、あの先生じゃなかったら
兄は高校なんていけなかった
その先生には親子共々非常にお世話になった




