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出会い (1)

約13年前

「エル、大丈夫?」


 お母さんの言葉に、私は黙って頷いた。お腹が痛くなりそうな気配はあるけれど、それはたぶん、目の前の門を通って中に入るのが怖いからだった。つまり、どうしようもないことだった。


「今日は話を聞くだけなんだから、緊張することないよ」


 師匠が言った。私は彼女を「ナターシャ」と名前で呼ぶこともあるけれど、最近はよく「師匠」と呼ぶ。「おばあちゃん」と呼んでいた時期もあったが、正確にはこの人は祖母ではなかったし、私がおばあちゃんと呼ぶべき相手は他にも居たので、師匠と呼ぶことにしたのだ。


 緊張するな、だなんて無理な話だった。ここは初めて来る場所だし、何より「学校」なのだ。私は学校という場がもともと苦手だったが、最近では苦手を通り越してもはや恐ろしいくらいになりつつあった。しかも今日の話の中心になるのはおそらく、私のことだ。


 三人で敷地の中へ入っていく。私はなるべく周囲を見ないようにして歩いた。もう夏休みに入っているから人は少ないはずだが、今はあまり誰かと目を合わせたくなかった。そもそも人の目を見るのも苦手だが。受付らしきところへ進み、お母さんが名前を告げると、すぐに奥から別の人が出て来た。校内を見学させてくれるらしい。


 少しの間見て回ったものの、正直よく分からなかった。校内は明るくて綺麗に見えたが、それは夏の光のせいかもしれなかった。

 私がいま通っている学校と違うところと言えば、エレベーターが多く、スロープも設置されていて段差が少ないところや、通常のドアノブや引き手より下に、もう1つ取っ手がついている扉が多くあるところなどだ。手洗い場にも一段低くなったところがあった。つまり、バリアフリーとかユニバーサルデザインといった面では進んだ学校のようだった。実際、ここには本当に様々な人たち──私の地元ではあまり見かけない人々も含まれる──が通っているらしい。

 質問があればどうぞ、と言われたけれど、何を聞くべきか分からない。案内してくれている人は教員ではなく事務員さんか、広報担当の人だろうし、質問したところで学校にとって都合の良いことしか言ってくれないのではないだろうか。お母さんがいくつか質問をしていた。お母さんはいつものように笑顔で愛想良く振る舞っているが、少し無理をしているような気もする。……だとしたら、それは私のせいなのだが。対して、師匠は黙っていたが何やら楽しそうだった。興味深そうにあちこちを見回していた。

 では応接室の方でもう少しお話しを、と言われて私たちは移動した。それらしき部屋の前に着くと、既に扉の前で女性が待っていて、「どうぞ」と言って扉を開けてくれた。


「失礼します……っ」


 応接室の中に居たその人を見た瞬間、私は、驚いた顔をしてしまったと思う。その人はすぐに立ち上がり、そんな失礼は一切気にしないかのような笑顔で挨拶してくれた。


「はじめまして。教頭のリタです」


 すらりと背の高い女性だった。鮮やかなオレンジ色のシャツを着ている。髪はとても短い。そして、焦茶色と言ってもいいくらい、濃い色の肌をしていた。まるで夏の太陽神みたいな綺麗な人だ。こういう容姿を持つ人も居ると、私も当然知ってはいたけれど、実際に会うのは初めてだと思う。私の地元ではほとんど見かけないからだ。


「はじめまして」

「はじめまして。今日はお時間いただきありがとうございます」


 私とお母さんも挨拶した。


「はじめまして、ナターシャです。お会いできて光栄ですよ」

「こちらこそ」


 師匠と教頭先生はお互いの存在を知っていたようだ。なんとなくそんな気配があった。師匠の家は「魔女の家」とも呼ばれていて、この町ではそれなりに知られた場所らしいから、教頭先生が知っていても確かに不思議ではない。

 こんなことなら、師匠に学校のことを詳しく聞いておくべきだった。師匠は、新しくなった後の最近の学校のことはほとんど何も知らない、と言っていたので、なら行ってみないことには何も分からないだろうと思って諦めたのに。

 もしも私がこの学校に入学を希望したとしても、断られるのではないだろうか。いろんな人が通う学校だと知っていたのに、教頭先生の容姿くらいで驚くなんて、この学校にはふさわしくない気がする。早くも暗い気持ちになって来た。

 

「早速ですが、我が校の中等部への編入、または高等部からの進学についてご検討中と伺っております」

「ええ。まだ調べ始めたばかりなんですが」


 私の不安をよそに、先生とお母さんは話し始めた。


「もし、我が校の高等部へ進学をご希望なら、私としては、中等部からの編入をお勧めします」


 先生ははっきりとそう言った。この学校も、いまの学校と同じく、基本的には中高一貫校だと聞いているから、どうせなら早くから慣れたほうが良いということだろうか。


「というのも、最近ありがたいことに中等部高等部ともに入学希望者が増えておりまして、倍率が上がる予想なんです。もし外部の学校からうちの高等部を受験する場合、もともとこの州内、中でも特にこの町内に住んでいる──つまり住所登録がこの町になっている生徒の方が優先されることになります。いま州外にお住まいのエーリカさんが高等部を受験する頃には、今より難易度が上がっている可能性が高いです」


 私が高等部に上がる時。外部の高等部を受験するなら、学校によっては仮成人試験に加え二次試験のようなものもあるだろう。遠くの学校に行くなら引越し準備もある。しかも当然それで終わりではなく、高等部に入学したらすぐにその先の進路を考えなければならないのだ。……憂鬱になって来る。だが、それ以前に今の私は、そんな近い将来よりもずっと手前のところで躓いているのだった。


「もし、エーリカさんがナターシャ様のお家にお引越しされて、住所登録をこの町に変更したら、基本的にはお住まいから一番近くの学校、つまり我が校に編入することになります。あるいは、州内のどこかの通信制中等部に籍を置いて、面接授業の場所ををうちの学校に指定することもできますよ。その場合、高等部に進学するなら選考がありますが、我が校を受験する場合、地元枠として町外在住の受験生よりは優先されます」


 先生はそう続けた。師匠の家に住む。つまり実家を出て、お母さんとも離れ、地元ですらない場所で暮らすということだ。そんなこと、本当に私にできるのだろうか。夏休みになったらこの学校を見に行こう、という話が出た時からずっと考えてはいたけれど、正直、自信がなかった。


「そうなんですね。でもやっぱり、中等部からよその州というのは、少し不安で」


 お母さんも、私と同じ気持ちのようだった。先生は頷いた。


「うちの学校には、寮もありますよ。すぐには難しいかもしれませんが、来年度中には入れると思います。それよりも」


 先生が私の方を見た。寮は嫌だな、と考えていた私は慌てて背筋を伸ばした。


「エーリカさんは、いまの学校に通い続けたいという気持ちはないのかしら? 中等部受験をして入った学校なのよね? 受験勉強、がんばったんじゃない?」

「いまの……」


 いまの学校に通い続けたい気持ち。そんなものは、無い。無いけれど。

 

「……いまの学校に居たいとは、正直、特に思っていません。ただ、高等部でまた受験するのは、大変そうだし、いまの学校を辞めるというのも、なんだか、途中で投げ出すみたいで……」


 私は思い切って言った。その様子を見て、お母さんが補足してくれる。


「いまの学校には、エーリカの兄も通っているんです。家から一番近くの公立中等部が、その、あまり良い環境だとは思えなかったので、私が同じ学校を勧めました。本人が強く望んだ学校というわけではないんです」


 先生はまた頷いた。


「うちの中等部からそのまま高等部へ進学を希望する生徒に関しては、仮成人試験の成績だけで選考を行いますが、内進生が進学できないということはまず無いです。これは途中編入の生徒でも変わりません。もちろん、仮成人試験を2回受けても不合格だった場合は、来年度の再受験で合格するまで進学はできませんが、これはどこの学校でも同じですね」


 先生はそこまで言うと少し間を置いた。何か言葉を選んでいる気がする。


「エーリカさん、いまの学校に通い続けるのが難しいのなら、私は思い切って転校するのが良いと思う。もちろんうちの学校でなくても良いけど、地元を出てみるのもありだと思う。最近、あまり学校に行けていなかったのよね?」


 その言葉を聞いて、私は体が一気に冷たくなっていくように感じた。先生は続けた。


「さっき、途中で投げ出すみたいで、と言っていたでしょう? 確かに、何でもすぐに投げ出すっていうのは良くないし、最後までやり抜くっていうのは立派なことよ。でも、行かなくちゃいけないと思っているのに行けない、そういう状態がもし続いているなら、あなたの心身は既に限界が近いんじゃないかしら」


 私は何も言えない。


「あなたが学校に行けなくなった原因が、何か取り除いたり解決したりできるようなものなら、あなたが無理に転校までする必要はないと思う。でももし、それが難しくて、あなた自身が転校もありだなって思えるのなら、これは良い機会かもしれない。この町とか、うちの学校のこと、どう思った?」

「……いろんな人がいて、ちょっと外国みたいです」


 先生は微笑んだ。私はがんばって続けた。


「ここに、来てみたい気持ちもあります。でも、自信がなくて……学校も、転校してもまた同じようなことになったら……」

「学校は、何が一番大変だった? 言いにくかったら、分からないでもいいんだけど」

「……急に全部が変わりすぎて、ついていけなくなりました」


 先生は少し難しい顔になった。


「また環境が変わったら、さらに大変になるかしら」

「たぶん、拘束時間が急に長くなったこともあると思います」


 お母さんが言った。


「初等部は徒歩圏内にあった公立校でしたが、バスで1時間かかる中等部に行くことになって、朝は早く、夜も遅いことが増えました。先取り学習も売りにしている学校でしたから。校則も厳しい方だと思います。バスの本数も少ないですし、学校での自習や、スポーツなどクラブ活動が奨励されている校風も負担に感じていたようです。もともと、早起きも集団行動も苦手な子ですから」

「あーなるほど」


 お母さん、本当のこと言わないで。と思ったが、先生は何か閃いたような顔をした。


「エーリカさん、夜間クラスに入りますか?」

「やかん? ですか?」

「……中等部に夜間クラスがあるんですか?」


 少し驚いているお母さんに先生は頷く。


「ええ。基本は体質的に、あるいは持病などで、あまり日光を浴びてはいけない生徒のためのクラスです。ですが空きがあれば体質などの理由がなくても利用できます。授業時間が少ないので、半分通信制のような感じですね」


 そういうのもあるのか。すごい。でも……


「本当に利用していいんですか? だって……」

「朝早く起きれないし、疲れやすいからって理由だけじゃ、ずるいと思う? 朝が苦手でもがんばってる他の人や、本当に日光を浴びちゃいけない人たちに対して、失礼だと思う?」


 私はぎくりとした。先生は笑っている。


「私はね、使えるものは必要な時に使った方が良いって主義なの。子どもや未成年者の役に立つことなら尚更ね。それに、学校側、というか、私の都合もあるのよ。夜間クラスは数年前から試験的に始めたんだけど、利用する生徒は少なくてね。私としては、できればクラスの生徒数が1人とか0人にはならないほうが良いと思ってるの。どうしても必要とする生徒がいる時にだけ開講すれば良いって声もあるんだけど、私は常に維持することが大事だと思うのね。だって、休止期間が長いと実質廃止になっちゃうことが多いから。いざ必要な生徒が現れたとき、すぐに対応できなかったら意味がないじゃない?」


 なるほど。ちょっと分かる気がした。


「それから、これは私の小さな野望なんだけど、年に何回か、通常の昼間クラスの子たちが夜間クラスに合流して、夜にしかできないような授業とか、活動ができたらおもしろいと思うのよね。天体観測とか、夜にだけ咲く花を観察するとか」


 確かにちょっと楽しそう。私がそう思ったのを察してか、先生はにっこり笑ったあと、少し真面目な顔に戻って続けた。


「もちろん、毎朝決まった時間に起きられるに越したことはありませんし、規則正しい生活や集団行動に慣れることは、健康的な成長のためにも、将来のためにもとても大切なことです。ですが、その前にもっと大事なことがあります。それは今、大幅な後れを取らないようにすること。このまま苦しい時間を長引かせて、自信をどんどん失っていくようなことになるのは勿体ないです。そうならないために、一度仕切り直して、出来ることから始めるのが良いと思います」


 ……何故この人は、ここまでの話だけでそこまで分かるのだろうか。


「夜間クラスを一時的に利用して、昼間クラスに戻った生徒もいました。対応の仕方はいろいろとあります。もし我が校に編入されるなら、何もかも完璧に、とはいかないでしょうが、私共で出来る限りの配慮はさせていただきます。それから、そもそもですが、いまの学校に比べたらうちはかなり緩く感じると思います。こちらの資料に嘘はありませんから、ぜひご覧になってください。ちなみに()()()もいませんが、そのあたりは町でお聞きになって評判を確認されてみてください。手厳しいご意見も挙がるかもしれませんけれど」


 先生は最後にまた笑って、紙と冊子を差し出してくれた。






「……すごい先生だったね」

「うん」


 帰り道で、お母さんが言った。私も同じ気持ちだった。


(あんな先生も、世の中には居るんだな)


 私たちは何だか少し、圧倒されていた。師匠はというと、何やら満足げな顔だった。


エーリカ(エル)

アロン(アオ)

ニコラ(ニコ)

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