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第8話 剣と歌

 朝の演習場には、鋼を打ち合わせる音と、若い兵士たちの掛け声が響いていた。

 副長であるラグナーは、剣を振るう兵たちを見回しながら、時折声を飛ばす。


「腕の力で押すな、足の踏み込みを意識しろ!」

「防御の姿勢を崩すな、隣を信じろ!」


 厳しい口調に、若い兵士は歯を食いしばって応える。ラグナーはその姿にかすかな笑みを浮かべた。

 かつて自分も、同じように必死に食らいついていた頃があった。


 訓練が終わると、兵士たちは汗に濡れた鎧を鳴らしながら整列した。ラグナーは短く講評を述べ、解散を告げると、今度は執務室に戻った。

 机の上には、山と積まれた文書が待っている。訓練記録、物資の出納、巡回報告……副長の仕事の大半は、こうした事務処理に費やされる。


 椅子に腰を下ろし、筆を取る。紙をめくる音が静かに響き、ふと視線が窓の外に流れる。

 彼は思い返す。


 自分がまだ一兵卒だった頃のことを。

 雪の夜に行軍を命じられ、靴の底から冷気が突き上げ、倒れそうになったとき。

 敵の弓矢が降り注ぐ最中、盾を掲げ続ける腕が震えたとき。

 そのたびに傍らにいたのは、少し年上の先輩、エルンストだった。


『倒れるな。お前が立っていれば、後ろの奴も立てる』

 厳しい声に叱咤され、歯を食いしばった夜。

『よくやったな。次は俺が少し楽をさせてやる』

 苦笑しながら背中を押してくれた朝。


 エルンストの姿は、常に自分の背中を追わせるものだった。だからこそ、副長に任じられた今も、胸を張って剣を執れる。


 しかし――。


 ふと、記憶の底に引っかかる感覚があった。

 帰還時に交わした会話。あの時のエルンストは、何かが違っていた。


 本来なら、彼は両親への敬意を常に忘れない。

 ところが、あの時の彼は――

『……あの二人は昔からつれないところがあるからな』

 そう言って、そこで言葉を止めてしまった。

 普段なら、冗談めかして続けるはずなのに。

 “だが、そこが良い”と笑う一言が、なかったのだ。


 胸の奥に、不穏な影が広がった。



 扉が静かに開いた。

「やあ、ラグナー殿」

 現れたのはカドモスだった。にこやかな表情に、軽い調子の声。


「カドモス殿……ご無事で何よりです。失踪されたと伺っておりましたから、心配しておりました」

 ラグナーは立ち上がり、敬礼した。


「ええ、おかげさまで」

 穏やかに笑みを浮かべ、歩み寄ってくる。


 だが、その笑みが唐突に鋭さへと変わった。

 カドモスの剣が、稲妻のように抜き放たれ、ラグナーへ斬りかかる。


 咄嗟に椅子を蹴って身をかわし、剣を抜いた。

 鋼と鋼が激しく火花を散らす。


「……やはり、そういうことですか」

「ほう、さすがグレイ殿の御子息。反応が良い」


 剣戟は幾度も交わされ、そのたびに室内の空気が張りつめていく。

 鍛錬を重ねたラグナーの剣筋は冴え、次第にカドモスを押し込んでいった。


 だが――。


 カドモスが懐から取り出した小さな黒い結晶が、不気味な光を放つ。

 魔導の者による禁忌の道具。

 瞬間、衝撃波のような力がラグナーの全身を打ち据えた。


「ぐっ……!」

 剣が手から離れ、膝をつく。

 呼吸が詰まり、視界が歪む。

 カドモスの刃が、無慈悲に振り下ろされようとする。


 その一撃を、鋭い音が弾いた。


 窓硝子を割って、颯爽と飛び込んだ影があった。

「やれやれ、見てられないわね」


 ラグナーはうずくまりながら問う。

「その声…カリーナか……?」


 吟遊詩人の衣を纏い、背に細身の剣を背負った長女が、片目を細めて笑った。

「私が一緒に歌ってあげる。――カドモス殿、酔いしれてもよくってよ」


 言葉と共に、カリーナの剣が閃いた。

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