第7話 雲海の上
目を開けたとき、そこは荘厳な広間だった。
天井は高く、壁は古びた石で組まれ、色褪せた旗が垂れ下がっている。足元には淡い光を失った魔法陣が刻まれ、つい先ほどまで輝いていたかのようだった。
「……どこだ、ここは」
グレイが低く呟く。
私は壁際へ歩き、窓から外を覗いた。眼下には果てしない雲海が広がっている。
吹き込む風は氷のように冷たく、塔の外壁は長い年月で風に削られていた。
視線の先、壁に残る紋章を見て、リセルは息を呑む。
「……この紋、覚えているわ」
グレイも険しい顔でそれを見つめる。
「北方の……魔族の塔か」
かつて幾日もかけて攻略した塔。その最上階に、彼らは立っていた。
どうやってここに来たのかはわからないが、転送魔法によるものだと直感していた。
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一方、王都西方の森。
エルンストがカドモスの胸倉を掴み、鋭い視線を向けた。
「二人をどこへやった!」
カドモスは口元だけで笑い、落ち着き払った声で返す。
「そんなに目くじらを立てずとも……お二人なら、きっと大丈夫だ」
「ふざけるな!」
エルンストが剣を抜き、踏み込む――その瞬間。
背後から、深くフードをかぶった影が無音で近づき、柄頭の一撃を首筋に叩き込んだ。
エルンストの視界が暗転し、地面に崩れ落ちる。
「おや……思いのほか乱暴だな」
カドモスはそう言い、倒れたエルンストを一瞥すると、影と共に静かにその場を去った。
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再び塔の最上階。
外に出ようとした瞬間、空を裂くような咆哮が響いた。
上空を巨大な影が旋回する。黄金の鱗をまとったドラゴンが、塔を警戒するように飛び回っていた。
「……外からは無理だな」
グレイが剣を握りしめる。
「一階層ずつ、地道に降りるしかないわね」
リセルは息を吐き、周囲に漂う魔力の濃さを感じ取る。
一度攻略されたはずの塔だが、まだ残党の魔族が棲みついているようだった。
その上、カドモスの言葉からして、ラグナーに危険が迫っている可能性がある。
一刻も早く王都に戻りたいが、この状況では時間がかかる。
「……急ぎたいが、どうにもならんな」
その時、周囲の影が動いた。
扉の向こう、壁の陰、天井からも、魔物たちがじわじわと姿を現す。すでに取り囲まれていた。
「ちょうどいい……今、怒りをぶつける相手がほしかったところだ」
グレイが静かに剣を抜く。
「私も同じよ」
リセルの声は冷えていた。
魔力が全身を駆け巡り、視界が白く瞬く。
久々に制限を外し、異形の姿へと変貌する。ここには他に人間はいない――躊躇う理由はなかった。
グレイの剣が閃き、魔物の首が宙を舞う。私の放った魔力が壁を穿ち、塔の石組みを震わせる。
崩れる音と悲鳴が交錯し、階層そのものが形を失っていく。
塔の一角が崩落し、外の冷気が雪崩れ込んだ。
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王都。
カドモスが数名の隊員を伴い、城門をくぐる。
「ご無事で何よりです、カドモス殿」
駆け寄ったラグナーが深く頭を下げる。
「ああ、おかげさまで。隊員も無事に連れ帰ることができた」
カドモスは微笑み、軽く冗談を添えるように続けた。
「それと……お二人から『息子を頼む』との伝言を預かったよ」
「そうですか……もう少し王都で休んでいけば良かったのに」
ラグナーは小さく笑った。
「あの二人は昔からつれないところがあるからな」
カドモスは肩を竦める。その口調も表情も、いつもと変わらない――はずだった。
ラグナーはほんのわずかな違和感を覚えたが、仕事に追われる形で熟考する機会を逃した。