第6話 西方の森
昼下がりの陽光が、木々の葉を透かしてまだらに地面へ降り注いでいた。
西方国境近くの森――失踪事件の現場。
グレイは手綱を緩め、馬を止めた。並んで歩くエルンストが周囲を見回す。
背後にはリセル。深い緑のローブを羽織り、肩までの黒髪が風に揺れている。
「……やはり静かなものですね」
エルンストが呟く。
ラグナーは王都で部隊の指揮を執っている。表向き、エルンストは「休暇中」。
実際には、目立たぬよう少数精鋭――夫婦と三人での行動だ。
「俺たちがいれば、一個大隊分の戦力はあります」
エルンストが軽く笑った。
「むしろ多すぎるくらいだ」
グレイは淡々と返す。
西方行きが一日延びたのは、リセルが帳簿類の分析を終えるまで待ったためだ。
過去十年の西方出動記録、補給品の収支台帳、回収された使い魔の型式票、毒物の調達票――
膨大な紙束に埋もれていたリセルを置いて、グレイとエルンストはスパに行き、ついでに酒場で時間を潰した。
「……私が仕事している間、二人で湯に浸かっていたそうね」
森に入るなり、リセルが小さく嫌味を言った。
「体を労うのも任務のうちだ」
グレイは涼しい顔をしている。
「確かに、体調管理は大事だけど……」
呟きながらも、リセルは少し口元を緩めた。
分析の結果、帳簿に大きな不正や異常はなかった。
ただ――使い魔の型式票には、登録のないものが混じっていた。
さらに痕跡が徹底的に消されていることから、むしろ主犯はかなりの高位であることが窺えた。
「内通者を早めに特定しないと」
エルンストが低く言った、その瞬間――
ひゅ、と鋭い音が風を裂いた。
矢だ。
グレイは反射的に剣の腹でそれをはじく。
金属と木が衝突する甲高い音が森に響いた。
「……今の腕、覚えがある」
グレイは目を細める。
葉陰から次の矢が飛ぶ。枝と枝の間、かすかな影が動いた。
矢の名手――カドモス。失踪したはずの王宮近衛補佐役だ。
森に紛れ、矢を放つその姿に、グレイの口元がわずかに吊り上がる。
「なら、返すだけだ」
弾き落とした矢を素早く掴み、弓にかけるや否や、同じ軌道で射返す。
矢は空を裂き、短い呻きが返ってきた。
駆け寄ると、肩口に矢を受けたカドモスがうずくまっていた。
浅黒い肌に鋭い目元、切りそろえられていたはずの髪は乱れ、顎には無精ひげが伸びている。王宮近衛補佐役らしい端正さは残るが、その影には焦燥と憔悴が滲んでいた。
肩口に血が滲み、しかし目はぎらついている。
「なぜこんな真似を?」
エルンストが問いかける。
「……それに、うちの部隊の半分はどこだ?」
カドモスはかすかに口角を吊り上げた。
「俺が命じて遠征に向かわせた。戻るには数日はかかる」
リセルが一歩前に出て、冷たい声で問いただす。
「聞かせて。なぜ私たちを狙うの?」
「理由など語るに落ちる……。ただの痴情のもつれだ。本当はラグナーを釣り出すつもりだった」
カドモスは笑いとも唾棄ともつかぬ声を漏らす。
「俺の想い人が、愚かにも身分違いのラグナーに心を奪われた。ならば……始末するしかない」
グレイとリセルの目が同時に細まる。
「誰の息子をどうするつもりだったと……?」
グレイの声は低く、地を這うようだ。
怒りが空気を震わせる。
リセルの指先に魔力が集まり、周囲の空気が冷たくなる。
だが、エルンストが手を伸ばして制した。
「ここで殺してはダメです。まだ聞くべきことがある」
カドモスは血を吐くように笑った。
「俺の話は面白かったか? 時間は十分稼げた、お前らはもう終わりだ」
その瞬間――地面に刻まれた紋様が淡く光り始める。
森の奥、見えぬ方向から複数の魔力の波が押し寄せてくる。
枝葉がざわめき、鳥が一斉に飛び立った。
魔法陣の光が強まり、大地が低く唸る。
――罠が、始動した。