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第4話 密談と影

 王国近衛第七騎士団本部は、城壁内でもとりわけ厳めしい石造りの棟だった。

 中庭に面した回廊を抜けると、磨かれた床板が足音を静かに返す。ラグナーに導かれ、グレイとリセルは会議室へ通された。重い扉が閉まると、外の喧噪は嘘のように遠のいた。


 先に待っていた男が立ち上がる。四十前後、浅黒い肌に刻まれた細い傷、広い肩。紺のマントの留め金が階級を物語る。

「よく来てくださいました、グレイ殿、リセル殿。息子さん……ラグナーはよくやってくれています。副長に据えてからというもの、隊の締まりがまるで違う」

 男は頭を下げ、笑みを見せた。

「隊長代理のエルンスト・ヴァルドです。かつては、お二人の遠征に随行し始めたばかりの小僧でしたが」


 グレイは目を細め、頷いた。

「……声の響きが渋くなったな。姿勢も、面構えも」

 リセルが柔らかく笑う。

「昔は、巻物を落とし、古地図に水をこぼし、火口箱をどこに置いたかも忘れる子だったのに」

「まったく……お恥ずかしい。あの頃の私はまるで三枚目で、皆さんの緊張をほぐす役回りしかできませんでした」

 エルンストは苦笑しつつも、しかし姿勢は崩さない。

「いまは違うようね。貫禄がある」

「ほんの少しだけ、ね」

 リセルの付け加えに、エルンストの姿勢が少し崩れる。


 だが、すぐに空気は引き締まった。

「本題に入ります。西方の件です」

 エルンストは机上の地図に手を置く。薄い羊皮紙には河川、砦、森の名が細かく記されていた。

「行方不明になったのは王宮近衛の補佐役、名はカドモス。騎士団の最上位学校の出で、将来は団長候補と目されている人物です」

 指が地図の一点に止まる。

「ここ、ウル=リムの谷間で任務中に消息を絶ちました。同道していた一小隊ごと、書類も馬の蹄跡も、綺麗に消えている」

「任務の詳細は?」

 グレイが問う。

「伏せられています。私にも、断片的な指示書しか回ってこない。……ただ、谷の古いほこらで“何か”の封鎖確認が必要になった、とだけ」

 リセルの睫毛がわずかに揺れた。

「あなたはその捜索を?」

「はい。私の隊を二つに割り、ひとつを先遣として送った。が……」

 エルンストは言葉を切り、低く続けた。

「先遣隊もまた、消えてしまった。国内の動揺を避けるため、この事実は公にはしていません。なので、旧友を頼らせてもらいました。こちら側での表向きは“副長に会わせるため、両親を呼び寄せる”ということにして」

 彼は自嘲めいた笑みをこぼす。

「腰が引けた策に見えるでしょうが、密かに片づける必要があったもので」


 グレイは肩をすくめ、リセルは唇に笑みを乗せる。

「さっきの発言は撤回ね、エルンスト。貫禄は半分だけ」

「半分は昔のまま、可愛いらしいわ」

「お二人に言われると、胸に刺さる……」


 軽い冗談はそこまでだった。扉の外で、羽音のような低い唸りが重なった。

 リセルの視線が上がる。

「来るわ」

 次の瞬間、窓格子の影が揺れ、暗い塊が複数、音もなく滑り込んできた。

 金属の匂い。油。硫黄。

「使い魔だ、下がって!」

 ラグナーが剣に手をかけるのと、リセルが指先を弾くのは同時だった。


 空気がひっくり返るような衝撃。

 リセルの小さな詠唱が、室内の温度を一気に下げる。

 飛びかかった影犬かげいぬの顎が霜に閉ざされ、黒羽の鴉型が翼ごと床に縫い付けられた。

 窓から跳躍した蜥蜴のようなものは、床板の紋様に絡め取られて動きを失う。

 リセルは手のひらを裏返し、指輪に封じられた印をひとつ解いた。

静止スティル

 凍った時間の薄膜が、他の使い魔たちの関節をわずかに固める。グレイとラグナー、エルンストがその隙を逃さずに踏み込んだ。

 剣の腹で顎を叩き、槍の石突で関節を砕く。生き物というより器物の壊れる音が連続する。


「終わりだ」

 ラグナーが息を吐き、最も大きな影犬の死骸へ歩み寄った。

「待て」

 グレイの声が低く走る。だが、息子の足は半歩、速かった。


 影犬の口腔の奥で、光が反射した。

 牙の根元に仕込まれた細い管、冷たい粘液。

 ラグナーが死骸の顎を蹴って確かめようとした瞬間、管が弾け、小さな霧が噴いた。

「伏せろ!」

 グレイはさやごと剣を投げ、死骸の口を叩き潰す。同時に体ごとラグナーを抱き倒して、マントで頭と顔を覆った。

 霧が床板に触れ、じゅ、と音を立てて黒い斑を残す。鼻腔に刺す苦い匂い。

 リセルがひざまずき、掌をかざす。

拡散ディフューズ

 淡い風が渦を巻き、霧を窓外へ押し出していく。エルンストが素早く窓を開け放ち、通気を確保した。


 数呼吸。

 グレイはラグナーを起こし、瞳孔を確かめる。

「吸っていない。皮膚もただれていないな」

 ラグナーは歯を噛みしめ、拳を握った。

「不用意でした。……父上、礼を言う」

「死体に近づくときは、“次の一手”が用意してあるものと思え」

 グレイは短く叱り、ラグナーの肩を軽く叩く。

 リセルが死骸の口元に布をかけ、銀のピンセットで残骸を摘み取る。

「揮発毒。粘性が高いから接触も危険。……都の錬金術師が作ったものね。田舎の工房の手口じゃないわ」


 エルンストは剣を収め、部屋を見回した。

「今日の会談のことは、ごく限られた者しか知らないはず。が……どこからか漏れている」

「内部からでしょうか?」

 ラグナーの問いに、エルンストは答えず、顎を固くした。

 グレイは窓際に倒れた鴉型の羽根を拾い、逆向きに撫でる。

 黒い羽毛は、根元が藍色に染められていた。王都の闇市で流行する“印”だ。

「王都の中に、調達と運用の線がある。しかも複数だ」

 リセルが壁際の燭台に視線をやる。炎は細く、薄い。

「ここに来るまで、誰かに尾けられてはいない。なら、案内の経路を把握できる立場……近衛の内側、もしくは宮中の書記局」

 エルンストの目が陰を帯びる。

「書記局は、二人に宛てた文書の封印に関わっている。だが、その程度では何もわからないも同然」


 部屋の外で、騒がしさが戻ってきた。気づいたつわものたちが駆け寄り、廊下に控える。

 エルンストは短く指示を飛ばす。

「騒ぎは最小限に抑えろ。動物の侵入と窓の破損で片づける。死骸は私の命で処理、記録文書は私に」

 彼の声は揺れなかった。先ほど「半分は可愛い」と揶揄された男の面影は、そこにはない。


 やがて扉が再び閉まり、四人だけになる。

「……改めて頼みます」

 エルンストは一歩、机の前に進み、頭を下げた。

「この件、表向きには依然、“副長の両親を王都に招いた”だけに留めたい。先遣隊の失踪は伏せたまま、ウル=リムの谷へ密かに向かう。あなた方が受けてくれるなら、私も同行する。」

 グレイはリセルを見た。リセルはわずかに目を細め、頷く。

「条件があるわ」

「何なりと」

「書記局文書庫の閲覧印を、第三級でいいから今すぐ発行して。過去十年の西方出動記録、補給品の収支台帳、回収された使い魔の型式票。あと、毒物の調達票」

「……三日、いや二日くれ」

「一日ね。わたしたちが王都に長くいるほど、疑いが増す」

 エルンストは悩み、頷いた。

「手を尽くします」


 ラグナーが静かに口を開いた。

「父上、母上。西方で魔導の痕跡は見つからなかったのでは……」

 リセルは息子を見た。その瞳は柔らかいが、奥に冷たい光が宿っている。

「“ない”のではなく、“消されていた”のよ。風に溶かす薬品、土を均す機械。……素人の手ではない」

「誰がそんなことを?」

「それを、これから確かめる」

 グレイは死骸を覆った布を見やり、低く言う。

「会談の最中に奇襲をかけるほどの手際。思ったより、事件の解決を嫌がる者の輪は大きい」


 沈黙が落ち、四人の視線が交差した。

 窓の外では、鐘が時刻を告げる。

 王都は今日も華やかに回っている。だが、その光の裏で、確かに歯車が軋み始めていた。


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