第3話 王都の門
王都の城壁は、近づくにつれ圧倒的な存在感を増していった。
切り立った灰色の石壁が陽を受け、鈍く光る。かつて数え切れぬ矢と火を退けた防御の要だ。
グレイとリセルは馬を引き、列を成す旅人や商人の後ろについた。早朝だというのに、城門前は荷馬車と人波で賑わっている。
十年ぶりに嗅ぐ王都の空気には、香料や焼きたてのパンの匂いに混じって、人いきれと油の匂いがあった。
「止まれ」
城門前に立つ二人組の門番が、無造作に槍の穂先を向けてきた。
「通行証と身分証を提示しろ」
グレイは首を横に振った。「持っていない」
門番の片方が眉をひそめ、もう片方が鼻で笑う。
「じゃあ入れねえな。規則だ」
「王都の人間じゃないなら、なおさらだ。……で、その若いのはお前の娘か?」
視線はリセルの顔から腰の曲線へと滑る。
「親子で旅? ……にしては、ずいぶん仲睦まじいな」
口元に下卑た笑みを浮かべる。
「妻だ」
グレイが短く返すと、門番は一瞬目を丸くした後、さらに笑いを深めた。
「へえ、ずいぶんお盛んだな、親父さん」
リセルは表情を変えず、淡々と視線を返す。
「年齢と外見は一致しないこともあるのよ」
その声音に微かな冷気を感じ取ったのか、門番は肩をすくめて口をつぐんだ。
だが、槍は下ろさない。
「とにかく身分証がなきゃ通せん。何者かもわからん奴を入れるほど、俺たちは間抜けじゃない」
その時だった。
「間抜けはお前の方だ」
低く落ち着いた声が背後から響く。
鎧の足音と共に、背の高い青年が現れた。
黒髪を短く刈り、紺のマントを翻すその姿を、グレイもリセルもよく知っている。
「副長!」
門番たちが慌てて敬礼する。
青年──ラグナーは門番の槍を押し下げると、両親に軽く会釈した。
「通せ。この二人は俺の客だ」
「は、はい……! し、失礼いたしました!」
門番たちは顔を青ざめさせ、深く頭を下げる。
だがラグナーは手を振って制した。
「いいんだ。身分証を持たないこの二人が悪い」
その言葉にグレイはわずかに眉を動かしたが、何も言わなかった。
形式ばったやり取りに、十年前よりも濃くなった“規則第一”の空気を感じる。
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城門をくぐると、朝日が石畳を黄金色に照らし、街のざわめきが押し寄せた。
香料商の呼び声、楽器の音色、焼き菓子の甘い匂い──かつてと変わらぬ賑わいだ。
だがよく見れば、街角の兵士は増え、行商人たちはやけに書類を気にしている。
西方国境近くを経由してきたことを、グレイは思い出す。
報告にあった魔導の痕は、少なくとも目には映らなかった。
廃村の井戸や森の切れ端まで探ったが、ただの風化と獣の足跡ばかり。
それでもリセルは時折立ち止まり、遠くを見ることがあった。
その横顔は何かを計算しているようだったが、グレイは問いかけなかった。
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「十年で、ずいぶん変わったな」
馬を引きながらグレイがつぶやく。
「どこが?」とラグナー。
「人の流れは増えたが、目が互いを見ていない」
「便利になった分、顔を合わせる必要がなくなったのかもな」
ラグナーはそう言ったが、目は笑っていなかった。
路地の先に、石造りの堂々たる建物が見えてくる。
「ここが俺の務め先、王国近衛第七騎士団本部だ」
ラグナーは門をくぐり、衛兵たちに軽く合図を送る。
「今回の件を頼んだのは、俺の直属の隊長だ。……あなたたちの後輩でもある」
その言葉に、グレイとリセルは互いに短く視線を交わした。