2話
前回鹿を食べてから数日後の昼下がり。私は、森の外れの草原を必死に駆け回っていた。
「はあっ、はあっ」
足がもつれて立ち止まる。息も絶え絶えだが、まだ足を止めるわけにはいかない。
「待って…」
先に言っておくと、これは別にシリアスなシーンではない。
私が走る理由、それは、あの白い兎だ。
この前エンゼルに説教された後、私はこっそり狩りの自主練習をすることにした。森の地形だったりを把握しようと思ったのだ。
そして意気揚々と森へでてきた私は、手頃な獲物として選んだ兎に、出鼻を挫かれたのだった。
その兎は、私の4分の1ぐらいの大きさで、左耳は根本近くからちぎれている。はっきり言って、あれを捕まえるのにこんなに苦労するとは思っていなかった。
「…見失っちゃった」
整えた息をため息と吐く。私は匂いを頼りに兎を探そうとした。その時―――
「カサ」
右側の茂みから、草の擦れる音がした。
これはチャンスとばかりに、私は右へと向き直った。
茂みの真ん中に、小さな爪の生えた前足を力いっぱい振り下ろす。
手応えは、なかった。
「あれ?」
思わず漏れた間抜けな声に、背後から嘲笑の声が答える。
「後ろだよ!ちんちくりんの狼もどき!!」
私は鼻筋にシワを寄せながら振り返った。
「今なんて言ったの!?」
できるだけ怖そうな顔で、唸り声も使ってみたのに、兎は余裕を見せびらかすようにケラケラと笑っている。
「大きさの割に耳が悪いみたいだからもう一回言ってあげるよ、ちんちくりんの狼もどき!!」
兎は先端の黒い右耳をゆらゆらと動かしながら、挑発するように言う。
ちょっと頭にきたので、言い返してみることにした。
「そっちだって片耳しかないくせに!!!」
「つぇっ…」
ちょっとは効いたみたいだ。変な声を出して驚いている。
しかし、兎はすぐに元の調子を取り戻し話題を変えた。
「そんなことより!お前、狩りのコソ練やってんだろ?」
「へっ?なんで知ってるの?」
「僕の右耳を舐めるなよ。この森のことは全部聞こえてるんだぜ!」
得意そうに兎は言う。が、こちらとしてはひたすら気味が悪い。言ってしまえば盗聴だからね。
「お前、せっかく先輩方を見返したかったのに、この僕を獲物に選んじまうとは…
まあ、相手が悪かったな!」
こいつ、ほんとに全部知ってるんだ。そう思うと、急に怖くなってきた。面倒なやつを選んでしまった。私の言ったこと、したこと全部知ってて、しかも性格も良くない。ここで取り逃がしたら、狙われた恨みで私のこと、みんなになんて言うかわからない。
―――ちょっと卑怯だけど、油断して喋ってる今のうちに攻撃しちゃおうかな。
私はこっそり足場を整え始めた。
「おい。」
デジャヴだ。
背後から響く、低く鋭い声。最近、こんなことがあったよね?
体を兎に向けたまま目線だけで振り返る。
「こんなところで何をしてるんだ?」
やっぱり。エンゼルだ。
「あ、ははは。やあエンゼル。」
内緒で練習に来たのにあっさりと見つかり、つい言葉がぎこちなくなってしまう。
「もう狩りに出るぞ。スイギュウの群れが近い。」
「えぇ?スイギュウって大きいんでしょ?私は遠慮しておくよ。」
今はこの兎と決着をつけないと。と思ったちょうどその時、エンゼルの目が兎を捉えたようだった。
「アルスト。久しぶりだな。」
「あいつ、アルストって言うの?」
狼であるエンゼルと知り合いの兎?随分有名なんだなぁ。
「おっ、負け犬エンゼルじゃないか。」
あの兎!エンゼルにまで悪口を!!
「何言ってるの?エンゼルは強いんだよ!」
「アイナス」
せっかく私がエンゼルをかばったのに、かばわれた本人が制したのは私だった。
「いいんだよ。負けたのは事実だから。」
エンゼルがあの兎―――アルストに負けた?どういうこと?
「負けたって、何に?」
「俺が、アルストに、鬼ごっこで負けたんだ。」
「鬼ごっこ?」
「俺がお前くらいの子供の時な。」
しっかりもののエンゼルの子供時代…
あまり想像がつかない。
「エンゼルも素直になったね。前は負けるたびに駄々っ子みたいに…」
アルストはエンゼルの顔色をうかがいながら、にやにやと昔話を始めようとする。
私も、ちょっと気になって耳を立てた。
しかし、エンゼルは食い気味に、アルストの言葉を遮った。
「はいはい、そこまでにしろ。」
「…ふっ」
思わず笑ってしまった。エンゼルにしては珍しく恥ずかしがってるのかな?その証拠に、平静を装った顔とは裏腹に、アルストの死角では尻尾が小刻みに揺れている。
「何笑ってんだよ?行くぞ。」
エンゼルは私を一瞥すると、踵を返して仲間のもとへ歩き出す。
「はいはーい」
私は返事をしつつ、もう少しだけアルストと話すことにした。
「ねえ、エンゼルは駄々っ子って言った?」
「なんだ?気を悪くしたかい?」
立ち去ろうとしていたアルストがこちらを振り向いて答える。それを見て、私は気づいた。アルストには、左耳だけでなく尻尾もない、と。
「いや。ちょっと気になるなー、って思って。」
「別に教えてやってもいいけど…」
右耳を伏せてもったいぶってる。珍しく口ごもりながら、なにか言いたげな様子を見せる。
「けど?」
「お前さっき僕を襲ってきたじゃん!よくそんな普通に話そうと思えるね!!」
たしかに、そりゃそうだ。でも、私達にはこれといった天敵がいないから、つい他の動物に対する配慮が欠けることがあるんだよね。
「ああ、ごめんって。もう狙わないから。」
「まあよかろう」
アルストはゆっくりと頷きながら、尊大な台詞を口にした。
「どうせ君がどれだけ頑張って僕を狙っても、僕は絶対に捕まらないからね。」
私は喉から溢れそうになった唸り声を押し殺し、兎の甲高い主張を聞き流した。
「いいから教えて」
「わかったわかった。あ、安心して。そんなに長い話じゃないから。」
「それってこっちが聞いてあげる立場のときのセリフでしょ」
こうして、私と生意気な白兎のアルストは知り合ったのだった。
ここまで読んでくれてありがとうございました!前回と書き方が違うところもあると思いますが、小説執筆初心者なのでしばらくは書き方が安定しないと思いますのでご了承願います。