8. 自分の気持ちを口に出すこと
時折、二人だけでの外出を挟みながらも、アデルがフランシスと夜会に出席する回数は増えていった。
始めのうちは当初話していた通り、フランシスの側で参加者の情報を囁くだけ。
そのうちに話を振られることも出てきたが、その度にフランシスが会話を持っていってくれる。
また、王弟と一緒にいるということもあり、以前のように不躾な視線や言葉を投げかけられることが減ったことに気付いた。
結局、以前は後継を外されて結婚相手を探す哀れな女として舐められていたということなのかもしれない。
同時期、父伯爵がジェフを後継にすると正式に届け出た。
確定事項だったので、アデルはさほど気にならなかった。むしろ、今まで周りに問われても曖昧にしか返事できなかったので、明確になってすっきりしたと思った。
たまに具合が悪くなりそうになることはあれど、大きな発作を起こすことはほとんどなくなったことは、アデルにとっては大きなことだ。
ロランやルネと話していれば気負いすることもなく、そのうちに他の人とも一般的な世間話であれば戸惑いなく返せるようになった。
当初、フランシスからは人の名前を教えて欲しいからと同伴させられていた。
それが自分にとってはよいリハビリになっているとアデルは思った。
彼がそこまで見越して、自分を同伴させていたのかどうかは分からない。
けれど、発作を起こさず無事に夜会を終えられる回数が増えていくだけで、アデルはとても嬉しかった。
──とはいえ、ずっとフランシスに頼りきりでいられるわけではない。
アデルはその夜、晩餐会に出席していた。
主催の家が楽団を呼び、演奏を聞きながら各テーブルで懇談するかたちだ。
最近はフランシスと一緒に社交に出ていたが、今日はシャグラン伯爵家として弟ジェフとともに出席している。後継に決まり、ジェフも社交に出ることが増えてきている。
フランシスも出席しているが、少し離れたテーブルにいた。
正直に言えば、フランシスと離れて不安な気持ちはあった。弟も一緒なので、みっともないところは見せられない。
ただ、ここ最近は大きな発作は起こしていないのでなんとかなるかもしれないという気持ちもあった。
一つの丸テーブルには五人が座っていて、右隣にジェフ、左には顔見知りの子爵夫人が座っていた。
演奏が始まって早々、子爵夫人はアデルを飛び越えてジェフに声をかけた。
「シャグラン伯爵様の後継になられたそうで。ジェフ様、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
片眼を黒い眼帯で覆ったジェフが礼を言う。
自分の弟ながら、しっかりした男なのだ。片眼は失ったものの、騎士だったので体は大きいし、姿勢もいい。
顔も整っていて、いつだったかフランシスが言っていたように、黒い眼帯の隻眼はかっこいい。
子爵夫人はジェフに興味津々だった。というのも、子爵夫人には娘がいるのだ。
ジェフが次期伯爵になったので、娘をジェフの結婚相手にどうかと考えているのだろう。話しかけられないのでアデルは気楽だ。弟には悪いが。
「お家に戻られて、やはりお忙しくなられましたか?」
「ええ、そうですね。騎士の時とは違う緊張感と忙しさです」
「そうでしょうね。怪我から復帰されてまだ時間も経ってないのに立派なことですわ」
しばらくの間、アデルは子爵夫人とジェフの会話に耳を傾けながら食事を楽しんだ。
左の離れた席、子爵夫人の方向に顔を向けた先にフランシスがいる。
両隣が若い令嬢で、なにやらフランシスが話していることに目を丸くして笑っている姿が見えた。また彼がなにか突拍子もないことを言って笑わせているのだろう。
あの人って誰に対してもいつもそう。人の懐に入るのが早いというか、口がうまいというか。
それはフランシスのこれまでの人生経験によるものなんだろうともアデルは感じていた。
誰かに自分を知ってもらうには表面上の事柄だけではなく、自分独自の経験や思い、考えを口にする必要がある。そのことをアデルは、フランシスと過ごしている中で知るようになった。
知識が豊富でも、人間性を理解してもらうには心を開かなければならない。
また、それには自分自身のことを知る必要がある。
自分が何をしたくて、どうなりたいのかが自分自身で分かっていないと、人に理解してもらうのも難しいだろう。
これまで、アデルは次期伯爵になるという明確な将来があった。
次期伯爵になるという軸が自分を作っていた。だからこそ人と話すのが苦ではなかった。
しかし後継を外されて将来が曖昧になった。
その途端、自分が何者なのか不安定になり、かつ、それを他者に批評されること、そして自分自身を見失ったアデル自身への苛立ちや焦り、怒りがないまぜになって、発作に繋がっていたのだろうと解釈している。
「アデル様は肩の荷が下りたでしょうね」
子爵夫人に話しかけられて、アデルは子爵夫人を通して遠くを見ていた視線を戻した。
「ええ、弟がしっかりしてくれていますので、安心して仕事を任せましたわ」
「羨ましいですわ、我が家の息子はぼんやりしていて、本当に」
苦笑したら、ジェフが「失礼します」と席を立った。
それを見届けて、子爵夫人が顔を寄せてくる。
「それにしても伯爵も酷なことをなさりますわね。ずっと家のお仕事をされて貢献していたお嬢様を突然外されて。ご縁をお探しと聞きましたわ」
純粋な同情か、皮肉が混じっているのか。
アデルの思考は一瞬止まった。喉の奥に重いものが詰まるような気持ち。
これまでの自分だったら、微笑んで「父の決めたことですので」と返していただろう。
そしてその後、隙を見てその場を逃げ出すのだ。
しかし、気分が変わった。
別に多少どう思われようといいではないか。フランシスが言っていた。言葉の通りに受け取ってみよう。
アデルも子爵夫人に顔を寄せる。
「そうなんですよ、酷いと思われませんか? 男性とのお喋りの方法も学んできませんでしたから、大変苦労しているんです。教えて頂けます? あ、ジェフには内緒ですよ」
悪戯話でもするようにこっそり言えば、子爵夫人はけらけらと笑った。
「我が家にぜひにとお願いしたいところではございますけども、アデル様をお迎えするには息子はのんびりしすぎておりますので」
「まあ」
「代わりに娘もご縁を探しておりますのでよかったら我が家のパーティにご招待しても?」
「お嬢様にはジェフをお望みでは?」
「あら、ふふふ、分かりました?」
「でもジェフは本当に生真面目で、あまり面白みがないですよ」
「そうですね、先ほどお話ししてそう感じました」
あけすけな女同士の会話を楽しんでいると、ジェフが戻って来たので、子爵夫人とすました顔をして姿勢を戻した。ジェフが疑問の表情を浮かべる。
「なにか?」
「あなたの悪口を言っていたの」
珍しく驚いたような顔をした隻眼の弟が可笑しくて、アデルは肩を揺らして笑った。
久しぶりにたくさんお喋りをして、アデルは上機嫌で帰りの馬車に乗った。
フランシスも側にいなかったのに、一度も発作を起こさなかった。
それに自分に関する話題が出ても、嫌な気持ちにならなかった。食事を楽しめた。本当に久しぶりのことだ。
そんな姿を見てか、馬車の中で向かいに座るジェフがくすりと笑った。
「なに?」
「いや……」
ジェフが黒い眼帯の上を指でこする。
「姉様はずっと暗い顔をしていたから、今日はよかったと思って。一緒に出席するなんて、嫌な気持ちにさせるんじゃないかと思ってたんだ」
「そんなこと……」
言いかけて、止めた。
心配させていたのだろう。
たった二人の姉弟だ。思ったことを口に出さないと伝わらない。
「ううん、ごめんなさいね、ジェフ。正直言うと、あなたのことをなんていうか……、羨ましいと思っていたの。少し妬ましい気持ちもあったわ。あなたのせいじゃないのにね」
「いや、そう思って当然だ」
「でも自分の人生だし、前向きに頑張りたいなって思って。むしろあなたの方が大変な立場だわ」
同じ色をした隻眼を、じっと見つめる。
「だから、困ったことがあったら言ってね。相談してね」
「分かった、相談する」
力強く頷いた弟に、アデルも頷き返した。
気が楽になって背をもたれる。
外を見ると街灯の光が流れて行った。夜半だ。
フランシスはどうしているだろう。
今日あったことを、彼に早く話したいなと思った。
屋敷についてジェフと別れ、自室に戻ろうとしているところで声をかけられた。
母だ。
「アデル、ちょっといらっしゃい」