7. 立場が違うと見えるもの
動きやすい服装と靴を指定されたアデルは、王城に来るのに不適切ではないギリギリのシンプルなワンピースで登城した。
馬車に乗せられてしばらく進む。
「あのー……、川ということですが、どのあたりに行くのですか」
「すぐ近く、すぐ近く」
ランデ通りもヴォルデ街も抜けて、だんだんと建物が少なくなってくる。
しばらく走って大きな門を抜けた。
門に王家の紋章が記されていて、アデルは二度見した。
頭の中に地図を広げるが、もしかしなくても王家の所有している土地に入って行っているらしい。
ただのいち伯爵令嬢が入って行って大丈夫なのかと思うが、言っても無駄だと思って口をつぐむ。
それなりの時間走り、降ろされたところで御者と別れた。
目の前に森が広がる。
フランシスが「よいしょ」とリュックを背負った。侍従はいないので、二人だけ。
どうやら森の中に連れ込まれるらしい。字面だけだと危険度高く感じる。大丈夫なのだろうか。
「ここから少し歩くからね」
「本当に一体どこへ……」
「大丈夫、大丈夫」
本当にすぐ近くだろうかと疑いつつ、フランシスの後に付いて歩くこと数十分──。
着いたのは宣言通り川であったが、馬車移動が基本のアデルは長時間歩かされ、疲労のあまりしゃがみ込んだ。
「ぜ……、全然近くじゃないじゃないですか!」
「そんな遠くなかったでしょ」
「フランシス様の大丈夫はもう信用しません!」
「ははは」
フランシスがリュックから敷物を出し、「休憩してていいよ」と言うので、遠慮なくその上に腰掛ける。
王家の所有する森であることは間違いなさそうだが、ここはどのあたりなのだろう。
森の中を通ってきたが、人が通れる道になっていたので、管理はされているようである。
川といってもさほど大きくなく、川と河川敷の周りは背の高い木々に囲まれている。
木の葉から差し込む光と影が水面でキラキラしていた。
「ああ、疲れた」
フランシスしかいないし、靴を脱いで敷物の上で足を伸ばして深呼吸したら気分が良かった。
川のせせらぎの音と鳥のさえずりが聴こえる。目を閉じたら眠ってしまいそうだ。
家と全然違って、気持ちがいい。
少しくらい眠ってしまってもいいか。
そう思って足を抱えてまぶたを閉じようとしたら、フランシスが目の前で手をぱんと叩いたので驚いて目が覚めた。
「ハイ、休憩おしまい! 始めるよ!」
「え……」
突然の豹変にうんざりして見上げると、フランシスがスラックスの裾を膝まで上げていてぎょっとした。しかも裸足。
袖もまくっていて、どこからどう見ても入水スタイルである。
「な、なにが始まるんですか」
「石探すから手伝ってよ、アデル」
「いし……? 見ていちゃダメですか?」
「ダメ! 夜会で一緒にいてあげたでしょ」
別に頼んでないけど……と思いながらも、アデルは重い腰を上げた。
言っても無駄なのだ、この人は。
しかしながら気付いた。
動きやすい服装とはいえ、スカートである。川は浅いようだが、それでも素足を見せるのには抵抗があった。
「……あの、フランシス様、素足を見せるのはちょっと……」
と、もじもじして顔を上げると、すでにフランシスはいなかった。
ざぶざぶと川に入り、水を掻いたり、水底の石をひっくり返したりしている。
「あの人……」
恥じらって損した。
アデルはもう諦めて靴下も脱ぎ、スカートを膝近くで結んで、そうっと水に入った。
思いの外冷たくて、身を竦ませたが、すぐに慣れた。
足首の周りをさらさらと流れていく水が気持ちいい。足の裏に当たるつるりとした石の感触も新鮮だった。
しばらくそうして水の流れを楽しんでいたら、飛沫を上げながらフランシスが近付いてきた。
「いい感じのキラキラした石を探してくれる? 大きくなくていいから」
「何に使うんですか?」
「姪っ子に宝石が欲しいって言われてさー」
「め、めいっこ……!?」
王弟の姪っ子といえば、すなわち国王陛下の娘、王女であろう。
国王陛下には三人の子がおり、そのうち一人は確かに王女だ。
まだ幼いものの、れっきとした王女である。身に着けるものも一流品であるはずだが。
「あの、ちゃんとした宝石じゃなくて大丈夫なんですか……?」
「大丈夫、大丈夫。四歳だよ、本物なんてあげたってなくすかもしれないし、綺麗な石見つけてダイヤだよって渡すから」
「大噓じゃないですか!!」
「大丈夫、大丈夫。バレない、バレない」
いまバレないにしても、いずれ必ず気付くのではないのだろうか。
そもそも、いたいけな少女にそんな適当な嘘をついていいのだろうか──。
アデルは迷ったものの、諦めた。
王族は意外とそういった冗談の通じるフランクな関係なのかもしれないし。それに将来怒られるのはフランシスだ。
「ええと、キラキラの石……」
探し始めると、意外と色々な石が見つかった。
水中だと分かりづらいので、底から石や砂をすくって手で広げてみる。
大きさもさまざま、透明がかった丸っこい石や、白く濁った角のある石、少し青みがかったつるつるの石など。
アデルはそれを大切に握りしめながら、水の中に何度も手を入れて綺麗な石を探した。
そうして夢中になっていたら、フランシスに言われるまで気付かなかった。
「おーい、アデルアデル。裾、濡れてる」
「え?」
指を差されてぱっと見ると、結んでいたスカートがほどけ、裾の部分がびっしょりと水に浸かっていた。
「わ! あーー……、やってしまいました」
「ははは、おしまいにしようか」
川から上がって、敷物の上にタオルを広げ、そこに戦利品を並べた。
アデルは白や透明に近くて、丸い形の石が多い。フランシスは反対に、色味のある石や変わった形の石が多かった。
「色々ありましたね」
「ね。これなんて翡翠っぽくない?」
「わたしのも、これはダイヤみたいじゃないですか?」
どれを王女に渡すか悩み、全ての石でトーナメント戦にすることにした。
一戦ずつ、どちらが綺麗かで選んでいき、最終的にアデルが拾った、白くてつるつるの石が優勝した。
「あー、よかった。これで姪っ子も喜ぶよ、ありがとね、アデル」
「どういたしまして。きっと将来フランシス様は王女様から怒られるでしょうけどね」
「そうかなあ」
「そうですよ。あー、変な体勢していたので腰が痛いです」
「お茶飲む?」
敷物に腰掛け、フランシスがリュックから取り出した水筒を受け取った。自分が飲んだ後、彼にも渡す。
拾った石たちを挟んで並んで座り、一緒に川を眺めた。
なんか変なの。
ぼんやりとアデルは思った。
王弟と川で石拾って、スカートの裾びしょびしょにして。
でも気分は暗くない。
いつもは縮こまっているような肺の中に空気がいっぱい吸えて、緊張もドキドキもしない。落ち着いている。
この瞬間はあまりにも非日常すぎるのに、心地いいと思った。
「ここは王家の所有地ですよね? とても素敵な場所ですね」
「そうでしょ。といっても、許可もらってないけど」
アデルは「ええ……」と呟いた。
毎度のことながらその行動に引く。せめて許可は取ってきて欲しい。
「フランシス様は本当に自由というか奔放というか……、どうしてなんですか」
フランシスはにやりと笑ったかと思うと、急に低い声色で言う。
「実はねアデル……、いずれ兄を蹴落とそうと思っているんだ。そしてそのために今は愚鈍なふりをしていて……」
「えっ……」
「いや違うな、実は悪の組織からのスパイで、この国を破滅に……」
一瞬何らかのカミングアウトかと思ったものの、いずれも明確な嘘だと分かった。
王家の転覆を狙うのであれば仲間を増やすはずだが、そもそもこの人は有力貴族の名前すら把握していないのだ。
アデルは大いに呆れてフランシスの肩を小突くと、フランシスがけらけらと笑う。
「もう……、王太后様も陛下もフランシス様に苦労されていると思いますよ」
「おかげさまで僕は本当に気楽にやらせてもらってありがたいねー、代わりに兄は可哀想だけどね」
可哀想という言葉と、凛々しい現国王のイメージが合わず、首を傾げる。
「可哀想、ですか?」
「だって、弟は自由にしているけど自分は国を背負わなきゃいけないんだよ?」
「まあ、それはそうですね……」
フランシスと国王は一回り近く年が離れており、アデルが物心ついたときにはすでに現国王が政治を行い始めていた。
清廉潔白な王はこれまで問題行動やスキャンダルを起こしたことはなく、尊敬される人物である。アデルももちろん、何度も挨拶したことがある。
しかし本当の彼個人の姿は分からない。
「陛下は嫌々、即位されたということですか?」
「そんなことはないけどね、立派な人だから。でも好きなことしてる僕に『このやろー』って思ってるかも」
「弟君が問題児なので『このやろー』って思っていらっしゃる可能性はありますよ」
「ははは! そうかもね。そう考えると君の弟も」
フランシスが小石を拾って川に投げる。ぽちゃんと音がしてすぐに消えた。
「ジェフですか?」
「そうそう。今まで仕事をこなしてきた姉に代わって、周りにがっかりされないようにこなさないといけないってプレッシャーじゃない?」
「あ……」
言われてみたら、そうかもしれない。
弟は怪我をして騎士の道が閉ざされたものの、伯爵家を継ぐことになった。
アデルの心の底で、弟を妬ましく思う部分もあったのは事実だ。
挫折しても地位のある立場を得ることのできる優位性。
騎士の道が閉ざされて表面上は気の毒に思っているが、立場をかっさらわれ、アデルには何もなくなってしまった。それが弟本人のせいでは無いとしても。
だが、実際に弟の状況を客観的に見ると、それだけではない。
姉から引き継いだものの、これまでとは違う仕事に就く。周りからは試されるような目で見られるかもしれない。
そして、次期伯爵としてうまくいかなければ、弟には本当に後がないのだ。
アデルは大きく息をついた。
今まで自分のことしか考えていなかったのかもしれない。
「立場が変わると見え方違うよね」
「そうですね」
足元の平べったい石を投げる。
小さな飛沫をあげて、川に沈んでいった。