6. 夜会にて
予告された通り、公爵家の夜会にフランシスと一緒に行くことになった。
両親にどのように説明しようか悩んだアデルだったが、杞憂だった。
フランシスが当日早めに迎えに来て、両親に説明したからである。
「僕は留学からこちらに戻って来たばかりで、まだあまり知り合いがいないものでして。アデル嬢は色々とお詳しそうなのでしばらくお借りしますね」
「そ、そうですか、殿下のお役に立てるようでしたら……」
王弟に言われては反論も出来ないが、困惑するシャグラン伯爵に、フランシスが声を落として言う。
「アデル嬢のご縁談もお探しなんですよね? いい人がいれば僕からも口添えしますから」
「それはぜひ! よろしくお願いします。娘は大人しい性格で、なかなか男性とお近付きになれず……!」
「ま、いざとなったら僕のところに来てもいいですよ。あっはは!」
「いやいや殿下、そんな畏れ多い……」
適当なことを言うフランシスに、父が苦笑いしながら頭を下げるが、あれは本心だろう。
家への襲来と予告なしの娘の連れ去りを聞き、フランシスのことを「地位はあるが常識はない変人」と思っているだろうから。
相手が王族ともなると位が上過ぎて伯爵としての仕事にも影響が出るし、アデルにもそこまで望んでいないはずだ。
いや、言い方を変えれば、期待していないだろうともアデルは思った。
準備を終えたアデルは、フランシスとともに馬車に乗り込んだ。
今夜、アデルは淡い緑色でドレープに花を散らしたドレス。
フランシスは濃紺の夜会服を着ているが、極端に装飾は少ない。これまで会った中でも、彼は王族にしてはラフすぎる格好だし、もともと服装には頓着しないタイプのようである。
「そういえば……、フランシス様って侍従の方をお付けになっていないのですか?」
二人きりの馬車の中で、フランシスに問いかけた。
彼は王太后のサロンにも一人で現れたし、フレーバーバターを食べに行った時も平民に近い服装で一人きりだった。
「いたけどね、別に僕一人で大丈夫だから断っちゃった」
「そ、そういうものではないような気もするのですが……」
「だって毎日の予定とか勝手に決められてさあ、ずーっと人がついてくるのって結構しんどいんだよ。でも代わりに補佐が一人いるよ」
「補佐?」
「今日紹介するね。あ、それと」
フランシスが言葉を区切ったので顔を上げると、にっこり微笑まれた。
「アデルは今夜、喋らなくていいからね」
「……そういうわけにはいきませんよ。フランシス様となぜ一緒にいるのか聞かれるでしょうし」
「僕が答えるからさ。代わりに、あれは誰々ですよってちゃんと教えてね。僕、壊滅的に人の名前覚えられなくてさあ」
「まあ、それはいいですけど……」
本音を言えば、そもそも夜会に行くこと自体が憂鬱だった。
ここ最近は必ず途中で発作が起きてしまって満足に人と話せないし、終わった後に自己嫌悪に陥ってばかり。
事情を知っているフランシスと一緒だと、一人だけよりも心強くはあるが、それでも人と交流するための場なのだから、話さないなんてことは無理だろう。
きっといつもと同じ結果になるはずだ。
そう思い、暗い気持ちになりながら公爵家に足を踏み入れたアデルだが、結果的にはフランシスの言う通りだった。
アデルの出番はなかった。
人と握手を交わす直前、アデルがフランシスに相手の名前と付則情報を囁けば、あとはフランシスが全部話してくれるのである。
「十年ぶりに戻ってきたら、国が様変わりしていたので本当に驚きましたよ!」
「アデル嬢ですか? 僕が夜会に出るのが久々なので、お守りしてもらってるんですよね、あはは!」
「母は元気ですよー。いまだに僕、怒られてばっかりで! でも心配な子がいると長生きするっていいますし、当分死にませんね!」
「えっ、農場を? それ詳しく聞かせてください」
「いいですよ、こっそり兄に言っておきますね!」
「最近牛買った話を誰かにしたいんですけど聞いてもらえません?」
彼は話題が豊富だった。
家族である王族の話から、留学していた国の話、農畜産に関する話。
相手の話も興味深く聞いていて、その会話も通り一遍なものではないものだから、アデルは非常に参考になった。
自分はその、通り一遍の会話すら満足に出来ないが、この人はコミュニケーション能力が非常に高い。
アデルはフランシスの隣で立っているだけで、あとは何もしなかった。
一通り挨拶が済んだところで、フランシスが「ああ、いたいた」と人を見つけた。
「アデル、行きの馬車で話したやつ。ロランだよ。ロラン、こちらシャグラン伯爵令嬢」
「やつって……、初めまして、アデル嬢。こちらは妻のルネです」
「初めまして、アデル・シャグランです」
フランシスの補佐というロランは、フランシスと同年代で、長身でがっしりした男性だった。
ロランの傍に立つ妻のルネはふくよかな女性で、アデルを見てにっこりと笑い挨拶した。感じの良い女性だ。
フランシスが少し外すと言って離れると、アデルはその日初めて一人になった。
ロランが飲み物を取ってくれ、アデルとルネに手渡す。
「アデル嬢、フランシスの相手は大変じゃないですか。嫌だったらはっきり断った方がいいですよ」
おや、と思ってロランを見上げる。
王族であるフランシスのことを呼び捨てとは。よほど親しい関係らしい。
「申し上げても無駄かなとも思いまして」
「確かに、それはそうだ」
笑みを漏らしたロランの隣で、ルネもくすくすと笑う。
「ロラン様はフランシス様とどのようなご関係なのですか?」
「ああ、俺のこと敬称つけなくていいですよ。貴族じゃないんで。俺はやつの留学先での同期でしてね、王族だなんて知らずに付き合ってたらこんな関係になっちゃって」
「ではリッツラングご出身ですか?」
「ええ、妻も」
フランシスが去った方を顎でしゃくって、ロランが言う。
「あいつ、自分勝手でしょう。でも勉強には熱心なので、ずるずる付き合いが続いてここまでついて来ちゃいました」
「わたし、フランシス様と知り合ったのが最近なのですが、昔からずっとあんな感じでいらっしゃるんですか?」
「そうですよ、ずっと! ずーっと! な、ルネ」
「ええ、そうですよ」
ルネが何度も頷いて笑う。
ロランは農畜産の勉強をしていたという留学時代のフランシスの話を面白おかしく語ってみせた。
学校の鶏小屋から勝手に鶏卵を拝借し、卵パーティを開いたこと。
収穫で余った穀物で醸造酒を密造して飲んでいたこと。
学内の森で野草を摘み、揚げて食べたこと。
飼育されていたウサギで勝手にレースをして賭け事をしたこと──。
話を聞きながら、そのフランシスが想像出来てアデルはくすくすと笑った。
留学中で自国の関係者がいないとはいえ、ずいぶんと自由にしていたらしい。
三人で話をしていたら、フランシスが戻ってきた。
「あっ、ロラン、僕の悪口言ってたでしょ。アデル何か聞いた?」
「聞きましたよ。ずいぶんと楽しく留学されていたんですね、殿下」
「楽しかったですよ、アデル嬢。だから帰国を先延ばしにして、十年ぶりに戻ったら誰も知らなくて。どこかのおとぎ話みたいに」
すまして答えるフランシスが可笑しくて笑ったら、フランシスも微笑んだ。
「さ、アデル。適当に食べて帰ろう。ロランとルネもまたね」
二人で立食で食べつつも挨拶や懇談をして、少し早く帰りの馬車に乗り込んだ。
普段の夜会よりも、心身ともに疲労が少ない。フランシスの宣言通り、彼が喋るのに任せていたためだろう。
「今夜、わたし本当に全く話しませんでした。ロラン様たちと少しお喋りしただけです」
そのロランたちとの話だって、ロランが話しているのを聞いていただけである。
「ふふん、そうでしょう。僕、なかなかのトーク術でしょ」
「そ、そうですね……」
「それにアデル、今日は一度も具合悪くならなかったんじゃない?」
「あ!」
その通り、アデルは今夜一度も発作を起こさなかった。
これは本当に久しぶりのことだ。
全てフランシスに任せきりだったとはいえ、アデルはとても嬉しくなった。
「わー、すごい! フランシス様、ありがとうございます!!」
「どういたしまして。お礼として、次は川に付き合ってね」
「か、川……??」
一体何をするのか謎だが、予告されるだけマシなのだろうかとアデルは思った。