後日談
最終話から数日後のところから
※なんでも許せる人向け
「早く婚姻届を出した方がいいと思うんだよねー」
フランシスの部屋のベッドでまどろんでいたアデルは、突然フランシスにそう言われ、「はあ」というぼんやりとした返事しかできなかった。
これはプロポーズなのだろうか?
いや違うか、すでに婚約に同意している。
数日前にこの部屋で発見した婚約証明書はまだ手元にあるのだけれども。
「それはなぜ……」
「だって、先に子どもが出来ちゃうかもしれないじゃん」
「こっ……!!」
臆面もなく言うフランシスに、アデルの方が言葉を失って赤面した。
身に覚えは、ある。
今も、婚約者の部屋のベッドに横になっている。
だってこれまで同居人のような距離感だったのに、互いに気持ちを確かめ合ってしまったものだから、この数日、新婚生活のようなひと時を過ごしてしまっているのだ。
同時にこの数日雪が多く降り、役場の仕事も忙しかったので、婚約証明書をまだ発送できていない。
「それはそうかもしれませんけど、まだ婚約証明書も出していませんし、出しても半年は待たないと……」
通常、貴族同士の婚姻であれば、半年は婚約期間を経て結婚、婚姻届を出す。
今から城に送ったとしても、婚姻届を出せるのは半年後のことだ。
結婚に異論は無いのだが、これ以外にもう一つ、アデルには懸念があった。
結婚式のことである。
フランシスがすでに王家を離れて臣下に下ったとはいえ、王弟。きちんと結婚式をやらなければならないのではないか。
しかし一方で、領地はいまだ裕福とは言い難い。
往復で一ヶ月近く領地を空けて王都へ行くとしても、王族を呼ぶような豪華な式は難しいだろう。
そういったことをやんわりとアデルが告げると、フランシスは首を強く横に振った。
「当然だよ! ダメダメ! お腹に赤ちゃんがいるかもしれないのに、長距離馬車移動なんて出来るわけないでしょ!」
「えっ、そっちですか。いないと思いますけど……」
「分からないじゃん! それにここで式を挙げるにしても、兄も一ヶ月も城を空けられないし、母も年だから呼ばなくていいよ。きっと代わりが来る」
「そうでしょうか……」
「そうそう、『僕の奥さんのお腹には赤ちゃんがいるかもしれないから王都には行きません、あなたたちも来なくていいので代わりにお祝いをいっぱい送ってください』って手紙出すから」
「赤ちゃんのくだりは書かないで下さい!!」
フランシスがけらけらと笑うので、アデルはため息をついて体を起こした。
「とはいっても、結婚を早めるのは無理ですよ」
結婚を急ごうにも、婚約期間があるのだから早められないだろう。
そもそも、フランシスが婚約証明書を出していなかったのが悪いのだ。あれが提出されていればさっさと結婚出来たのに。
ジト目でフランシスを睨んだら、彼は「いい方法を思いついた」とにっこり笑った。
「婚約証明書と婚姻届の申請日をそれぞれ、今じゃなくて昔の日付にすればいいよ」
「そ、それは……?」
「実際の婚約と結婚はもっと早かったように見せかけて、郵便の遅延で城に届くのが遅れた体にするの」
「え……」
悪知恵の働く恋人を、アデルは胡乱な目で見つめた。
この人って、人生で困ったり、ピンチに陥ったりすることがはたしてあるのだろうか──。
なにか困ったことが起きても、ずる賢いやり方か力技でなんでもなんとかしてしまいそうだ。
逆境に強すぎる。アデルにはないバイタリティであった。
だって、端的に言って公的文書偽装である。それを王弟が提案しようとは。
しかしフランシスのいうやり方なら、婚約時期と結婚時期の偽装は可能だ。
アデルは、婚姻前の妊娠という醜聞の可能性と、文書偽造を天秤にかけてしばらく悩んだ末、後者を選んだ。
自分はフランシスにだいぶ毒されているなと思った。
♦
結婚式は、前領主が暮らしていた大きな城で行うことになった。
維持に金がかかるので住んでいない城だ。
聞けば、調度品などもある程度そのままにしてあるので、結婚式を執り行う広間だけ掃除して整えるなら、さほどお金はかからないらしい。
フランシスの言っていた通り、王家からは名代が来ることになった。
一方のシャグラン伯爵家はなんと、両親である伯爵夫妻がやって来ることになった。
アデルは弟が来ると思っていたので非常に驚いた。一ヶ月近く、屋敷を空けて大丈夫なのだろうか。いや、それだけではない。うまく話ができるだろうか。
「僕の方に弟君から連絡が来てね、ご両親がどうしても行きたいからって。仕事の方は弟君がいるから大丈夫だってさ」
どうやらフランシスとジェフは定期的に手紙でやり取りをしているようである。
両親が乗り気だとしても、いまいち不安は残る。
暗い顔をしたアデルに、フランシスは「僕が全部喋ってあげるから大丈夫だよー」といつもの調子で言った。
不安でも、彼のその言葉だけで、なんだか平気な気がしてくるから不思議だ。
「普段はフランシス様の『大丈夫、大丈夫』は信用ならないのですが、こういうときの言葉は頼りになります」
「なんで! 僕はいつも頼りになるでしょ!」
口を尖らせたフランシスに、アデルは彼の頬を撫でた。
申請日を偽装した書類を無事(?)提出し、街の人たちの力も借りて急ピッチで結婚式の準備を行った。
街の人々は城に住まない領主に理解は示している一方、街を見守るかのように聳え立つ城に愛着を持っているようだ。
アデルたちが城で結婚式を挙げるということになり、喜んで協力してくれた。
当日を迎え、花嫁衣装を着て足を踏み入れた堅牢な城。
大広間に入る扉の前で、アデルは緊張していた。
城の大きさもあり、非常に厳かな雰囲気だ。
いや、雰囲気のせいだけではない。
扉を開けば、父伯爵が立っているはず。父の手を借りて進まなければならない。
両親は到着がギリギリになったので、まだ顔を合わせていないのだ。
緊張で震える手を強く握る。
──大丈夫、自分にはフランシスがついている。
気合を入れて開かれた扉を抜けると、正装の父が立っていた。
自分と同じ色の瞳と目が合う。父はなんだか難しい顔をしていた。
あれ──? とアデルは思った。
差し出された腕に、自分の手を添える。
小さく頷かれて足を踏み出す。
参列者は街の人たちがほとんどで、大きな拍手が聞こえた。
一番前の席には母が。斜め後ろから見た母の肩は細かった。
父の腕を離して、フランシスに手を伸ばす。
いつもの適当な服装とは違い、婚礼衣装のフランシスは美しかった。
ふわふわの金髪は整えられ、明るい空色の瞳が自分を見つめている。
いや、この人はどんな格好をしていても綺麗だ。落ち着いていて、自信に満ちている。
アデルがフランシスの手を強く握ると、フランシスは困ったように笑った。
見つめ合う瞳はあの夜のまま。
あの夜、運良く出会えて、本当によかった。
「ねぇ、アデル……」
「はい、フランシス様」
「母が来ちゃった」
「は?」
フランシスの言葉にロマンチックな気持ちが霧散し、耳を疑う。
促されて前を向くと、王太后が司祭服を着て立っていた。
「ひえっ、王太后様……!」
アデルは腰が抜けるかと思った。
王太后は豪奢な司祭服を身に纏い、総レースのハンカチで早くも目元をぬぐっているではないか。
「な、な、なぜフランシス様、教えてくれなかったのですか……!」
「知らなかったんだよ、勝手に来たの」
なんと。彼が先触れなく行動してしまうのは母親譲りだったのか。
「大丈夫だよ、一応教会から許可もらってきたんだって」
許可をもらってくるだけ息子よりまともなのだろうかと自問したが、そういう問題ではないと頭を振る。
アデルは慄きながらも、王太后に淑女の礼を取った。
「お、王太后様、こんな遠くまでお越し頂き、結婚式まで取り仕切って下さるとは畏れ多く……」
「いえね、ずっとサロンに来てくださっていたアデルさんとフランシスが結婚だなんて感慨深くて、来ずにはいられなかったのよ」
「あ、ありがたいことでございます」
「なんでしょうね、手のかかる子ほど可愛いものなのよ。アデルさんもそのうち分かるわ」
ぎょっとして隣を見ると、フランシスが悪戯っぽく笑って舌を出した。
赤ちゃんのくだりは書かないでくれと言ったのに、どうやら書いてしまったようだ。
王太后の仕切りで、結婚式はつつがなく終わった。
動揺したアデルは残念ながら内容をほとんど覚えていないけれども。
♦︎
式が済んだら、王太后はさっさと帰って行った。
実際のところ、結婚式の出席にかこつけて視察予定を入れていたようで、帰りも視察をしながら王都に戻るのだといった。
両親であるシャグラン伯爵夫妻とは、彼らが王都に戻る前に一緒に食事をする機会があった。
ただし予告通り、終始フランシスが話していた。
「もう本当に人もいないしお金もないし、ようやく落ち着いてきたところなんですよー!」
「羊を飼い始めてですね、春になったら毛刈りしてアデルがなにか編んでくれるそうで、うっふふ楽しみにしてるんですー」
「田舎にいると、ぜーんぜん情報が入って来なくて! 最近は何が流行ってます?」
「そうそう、ジェフ君とは文通してますよ。彼、見た目は強そうなのに可愛い字ですねー」
食事会を終えて両親の帰りがけ、アデルは母に手を握られた。
母の手を握るなんて、いつぶりなのだろう。母の手は自分と違い手入れされていてなめらかだけれども、とても細く感じた。
「アデル、身体に気を付けて」
「はい、お母様も」
そして、父にも肩を叩かれた。
「何かあったら連絡をしなさい」
「お父様、ありがとうございます」
馬車に乗り込む両親に、フランシスが持っていた箱を渡す。
「これ、お土産です! また遊びにいらして下さいねー!」
去って行く馬車に大きく手を振るフランシスの隣で、アデルも手を振った。
なんだろう、ほっとした気持ちとは別に、やっぱり寂しい気持ちがある。
ずっと伯爵家にいて身の置き所の無いような気がしていたのに、離れてみると家にいた頃のことを懐かしく感じた。
アデルが感傷的になって手を振っていると、隣に立つフランシスが言った。
「アデル、長年の恨みをぶつけなかったでしょ」
「なんだか想像していたのと違って……」
こういった気持ちになったのは理由がある。
結婚式で父を見た時、母を見た時に感じたこと、違和感。
「両親とも、こんなに背中が小さかったかなって思いました。昔は絶対に対等に話もできないと思っていたのに、両親も普通の人だし、老いていくんだなって」
身近にいた時には感じなかったこと。
人は変わっていくんだなとアデルは思った。感性も、考え方も、見た目も。
絶対的立場だと思っていた両親が、少し距離を置いて会ってみたら、それだけではないように感じた。自分もそうだし、両親も変わっていくのだ。
「だからもういいんです」
「えー! そうなの!?」
アデルの言葉に、フランシスが仰け反った。
「アデルは絶対に殴らないとは思ったからさ、君の代わりに仕返ししちゃったよ!」
「えっ」
「さっきのお土産、マカロンだったんだけどね」
「マカロン?」
「その中に、一つだけ激甘を仕込んじゃったの!」
「え、えーー!!」
先ほどフレンドリーに手渡していたお土産が実はトラップだったらしい。
激甘のハズレを仕込むとは。父は特に甘いものが好きではないのに。
しかし、帰りがけの馬車で激甘のマカロンに顔をしかめる両親を想像したらちょっと可笑しくなった。
これがフランシスの悪戯だと気付くだろうか? 甘いだけだから、意外と気付かないかもしれない。でも父が食べてしまったら?
アデルは一方的に罠を仕掛けられた両親を不憫に思いながらも笑ってしまった。
「ふふふふ、でも激辛じゃないですし、いいんじゃないですか?」
「激辛はさすがにさ、心臓に負担がかかったらまずいでしょ」
「そこは優しさなんですね。それにしても激甘って、どれだけ甘かったんですか」
「試作品残ってるから食べる?」
二人で笑いながら家に戻った。
そして残っていた激甘マカロンを食べ、アデルは悶絶した。
喉が焼けるように甘かった。
《 おしまい 》