13. 落ち着かない気持ち
困惑した状態でベッドに入り、眠ったのか眠れなかったのか分からないまま、朝を迎えた。
いつも通り朝食を摂り、役場へ向かう馬車に乗り込んだら、フランシスは昨日渡したマフラーを早速巻いてにこにこしていた。
アデルも自分で編んだマフラーを着けた。
こうやってみるとおそろいではないか。なんだか恥ずかしい。少しでも別の色にしたらよかった。
「マフラー暖かいよ、ありがとうね」
「そ、それはよかったです……」
正面に座る、ぴかぴかの笑顔を直視できない。
が、ちらりと視線を投げると、確かにマフラーは暖かそうだった。でもグレーはやっぱり少し地味だったかも。
フランシスの明るいプラチナブロンドには、もう少し明るめの色味が入っていた方が似合うかもしれない。次のシーズンはそうしよう──。
と思って、来年まで一緒にいることを普通に想像してしまった自分に悶えた。
「うううっ……」
「えっ、大丈夫?」
「大丈夫です……」
アデルは正面のきらきらを見ていたくなくて、窓の外に目をやった。
昨日までなにも気にしていなかったのに、フランシスがおかしなことをぽろりと言うのがいけないのだ。
そもそも出会った時は友だちになろうねと言っていた。その証に金時計の鎖をもらった。
それはなんだかいまや自分のお守りのように感じ、ブレスレットのようにして常に身に着けている。
その後だって、夜会参加者の情報を彼に囁く侍従のような立ち位置だったし、街や湖に連れ出された時も男女のときめきはなかった。
引きこもった時も、家から連れ出すために形式上婚約者になっただけで、『落ち着いたら婚約破棄』と言われていた。
いつ落ち着くのか知らないが、この土地にやって来たって、異性間にまつわる接触や甘い雰囲気はゼロだ。
いやしかし、そういえば引きこもる前にそのきっかけがあった。
フランシスに対して、「抱いてください」などと言ってしまったのだ。
「あああああっ……」
「ねえ、どうしたの、アデル」
「なんでもありません……」
もしも昨日の彼の言葉が本当だとして、自分のことを好きでいてくれるとして、あんな発言をした女のことをどう思っただろう?
ふしだらな女だと思われたのではなかろうか。
いや、待てよ──と、アデルは首を傾げた。
本当に好きな相手から抱いてくれと言われたら、拒まないのでは? あの時、彼には拒否されたではないか。
いや、違う違う。彼には拒否されたけれど、それはアデルが自暴自棄になっていることを見抜き、フランシスに対しても誠実ではなかったためだ。
彼はきっとアデルを大切に思っていたから、諭してくれた。
だとするとやはり、昨日「え? 好きだよー!」と言ったのは彼の本心なのだろうか──?
「ぐむむむむ」
「本当にどうしたの? 大丈夫?」
「大丈夫です」
堂々巡りになって答えが出ない。
目の前のフランシスはというと、マフラーを撫でながら、様子のおかしい婚約者のことを見ている。
アデルも寝不足で血走った目で、フランシスのことを見つめた。
明るい空のような瞳は美しいものの、本心が読めない。
そもそも、愛の告白をあんなにさらりと言うだろうか? 普通、言わない気がする。
フランシスの言っていた「え? 好きだよー!」という思いがけないワードに動揺してしまったが、ずいぶんとニュアンスは軽かった。
もしかしてそれは、フレーバーバターのような食嗜好だったり、牛や羊といった動物への愛情に近いものなのではないか。
だとすると納得もいく。
彼は牛や羊を愛でるように、連れてきた婚約者のことも愛でているのかもしれない。ついでに、領地の人員不足解消にもなるし。
アデルはそう気付くと、急にがっかりしたような気持ちになった。
フランシスから興味を持たれていないことなんて別にどうでもいいことのはずだし、今まで気にしたこともなかったのに。
軽いノリにしても、「え? 好きだよー!」に心が浮ついてしまった自分を認めざるを得ない。
好意を示されて、相手が自分をどう思っているか気になって、なんとも思われていないかもと気付いてがっかりする。
簡単なことだ。
アデルの気持ちは、つまり。
「くっ……!」
「ねえアデル、今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「いえ、仕事していた方が気分が楽なので頑張ります」
恥ずかしさと気まずさとともに、なぜか悔しい気持ちがないまぜになる。
でも、嫌な気分ではなかった。
♦︎
自分の気持ちに気付くと、急に世界が変わったように感じた。
毎日が彩られたような、明るいような、眩しいような。
次第に、フランシスの喜ぶ顔が見たい、彼の手助けが出来たらいいと思うようになった。
マフラーを渡してあんなに喜んでくれたので、家政婦に教わって少しずつ料理をするようになった。
食卓で一品、「これはわたしが作ったんですよ」と伝えると、フランシスは大袈裟なくらい喜んでくれた。
それから、役場での手伝いもより積極的に行うようになった。
出来ることは率先して行い、困った人がいたら声がけするようにしていたら、自然と周りの人との交流が増えた。
次期伯爵として学んでいたことが役立つこともあったし、知らないことを勉強する機会が増えたことで知識を積み重ねることが出来た。
普通の生活がとても楽しく感じられた。
フランシスと一緒に食事をし、仕事をし、時間が出来たら出かける。
そのことがとても特別なことのように眩しかった。
ある夜、二人で家で食事をしているときに、領主としての仕事の話になった。
フランシスが領主としてやって来て皆で財政を見直したことで、少しずつ経済状況は上向きになってきているという。良いことだ。
誰も住んでいない、管理していない城をそのままにするわけにはいかないけれど、近々で領民が路頭に迷うような状況ではないらしい。
「このまま安定してきたらさ、ちょっとは皆に任せて時間が出来るだろうから、そしたらようやく牛の世話が出来るようになるよ」
「フランシス様のやりたいことって、やっぱり酪農なんですね」
「そうだよ! そのためにこんな遠くまで来たのに、人に任せてばかりで自分で世話する暇がちっともないんだからー」
フランシスが購入したという牛と羊は近くにいるものの、時間が無いので近所の酪農家に世話をお願いしている。
アデルはルネと一緒に見に行く機会は多いものの、フランシス自身はたまに様子を見に行くくらいだ。
「この間、牛乳を分けてもらって、ルネさんにもバターの作り方を教えてもらいましたよ。近いうちにフレーバーバターも作れるかもしれません」
「それはいいね! 王都で流行ってたよって言ったら売れるかもしれないし」
「そんなに上手には出来ないとは思いますが……、でもお世話になっている方にはお礼にしようかなと」
街の人たちは、突然やって来たアデルやルネにとても良くしてくれる。
ルネも、暮らしやすい街だと言っていた。小さい街だからだろうか。人々が皆優しいのだ。
アデルはスープをかき混ぜながら言った。
「この街はとても住みやすいですね。みんな人を詮索しないし、でも思いやりのある人がたくさんいます」
「そうだね。ただ、田舎だし、そのうち王都とは違う距離感でだんだん嫌になることもあるかもよ」
おや、とアデルは顔を上げた。彼もこの街を気に入っていると思っていたが。
「そう思うような出来事があったのですか?」
「そうだよ!」
フランシスが拳を握る。
「みんな僕の顔見たら、やたらと『これ食えこれ食え』って食べ物勧めて来たりさあ、領主なのに貧相な服着てるから仕立ててあげるって貶してきたりさあ!」
「それはフランシス様が適当な服装で役場に行くから……」
「大体さ、もう食べ盛りじゃないんだからそんなに食べられないじゃん!? なのにおばちゃんたちって僕のこと無限の胃袋の持ち主だと思ってるわけ!」
「ふふふふ、そんな……」
でも、その気持ちは分かる。
フランシスは王都で貴族という狭いコミュニティの中では常識外れのちょっとおかしい人物だと思われていたが、この街では愛される領主として受け止められている。
皆、新しく来た領主を友人とか息子や孫のような目で見ているようなのだ。
確かに無限の胃袋ではないけれども、領民から慕われているのは悪いことではないだろう。
「いまのところわたしはこの街を嫌いになるとは思えませんけど……、もしそうなったらどうしましょう?」
「そしたらまたどこか遠くに行こうよ」
「そんな無責任な……」
「大丈夫、大丈夫。僕がいなくなったってなんとかなるし、誰か優秀な人を父が派遣するって」
軽く言うフランシスに、アデルは悪戯っぽく言った。
「もしそうなったら、わたしも連れて行ってもらえます?」
「もちろん、どこに行きたい、アデル?」
「そうですね……、今度は暖かい場所に行きたいですね」
「いいね、そうしよう、そうしよう」
そんな架空の話で笑い合った。きっと、そんなことにはならないだろう。
でももし、本当にこの街が嫌になったとしたら、フランシスは宣言通り連れて行ってくれるはずだ。
なぜだろう。でも、確信している。
フランシスには思ったことを口に出来るし、彼の顔色を気にする必要はない。
──彼は、わたしのことを蔑まない。
──彼は、わたしを自由にしてくれる。
確信している。
きっと、そういうことを信頼というのだ。