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香水ガム

作者: 真夏の雪男

昭和40年代後半、私がまだ小学校にあがっていないころ。

あの頃の日本は全国どんな田舎でも活気があった気がします。

登り調子だったのですね。

当時はそれが当たり前だと疑わなかった日常が、振り返ると高度成長期などという名前で、他人事のように呼ばれるのですから不思議です。

さしずめ今日の日本は高度低迷期でしょうか,,,。


ここ一週間ほど西高東低の冬型の気圧配置でずっと雪が降っています。

積もった雪で一面真っ白です。

こんな日にはよくふるさとの田舎の駅で、祖母と一緒に電車を待っていた情景が記憶に蘇ります。


木造の駅舎は柔らかくくすんでいて、所々にある鉄骨の柱は青みがかった灰色のペンキで塗られ、大きな待合室にはとても小さいテレビが天井の角から吊るされていました。

当時は珍しくなかった和服姿のおばあさん、スーツに灰色のコートのサラリーマン、詰め襟の学生服や、セーラー服の学生さん、身体くらいもある大きい荷物を背負った行商のおばあさん。

みんなが一様にテレビに写った相撲の「のこったのこった」という声で顔を上げていたものです。

思い返していると今にもあの石油ストーブの独特の匂いや、暖まり過ぎた室内に立ち込めたけだるいムードが蘇ります。

今すぐ戻れそうなのに、それは月に行くのより難しい事だとは,,,。にわかには信じられない心地がします。


祖母は亡くなるまで汽車と言っていましたが、ホームで電車を待っている間、いつもチューインガムをもらいました。

当時はガムと言えばロッテで、ミントにコーヒー、フルーツ味、めったになくて私の大好きだった香水味のチューインガム。信玄袋から取り出してくれる祖母の手を期待してじっと見ていました。

ミントだと少しがっかりして、「香水のはないの?。」と聞くと「あれは高いんだよ。」としっかりした理由を教えてくれた祖母の声のトーンまでよく覚えています。

香水のガムは箱になっていて、金色の蓋を押し上げるととても魅力的な香りが漂いました。

びっくりするくらい大きな音をたてて電車がやってきます。横並びのシートに、二人並んで腰を掛けました。

椅子の下、足元からものすごく熱い暖房が出ていて5分もすると頭がぼうっとしてきます。

真っ赤な顔をして潤んだ目で流れる景色を見ていると、祖母が心配して額に手を当てました。


街を歩けば、キャンディーズやピンクレディーの軽快な曲が流れていました。アーケードの下は人がたくさん歩いていました。コーヒーやたい焼きの匂い、醤油団子の芳ばしい匂い 、お腹が空くとたまらなかった揚げ物の匂い、オモチャ屋さんの前に置かれた白いコンテナのかご,,,今はほとんどシャッターが閉まって元々何屋さんだったのか分からなくなってしまいました。


大人たちは何かにつけて集まって宴会を開いていました。

子供たちはご馳走を食べながら多少誇張された自慢話を聞いていました。

誰もがこれからもっと生活が良くなることを疑ってませんでした。

頑張れば手に入らないものはないというムードで、学校も会社もテレビのドラマでさえ満たされていました。

沈む夕陽でさえなにかしら濃い色だった気がします。


東京へいくのは泊まりがけの一代イベントでした。電話は相手の都合を考えて掛ける時間を決めていました。

誕生日のケーキはチョコレートとバタークリームの甘いケーキでした。


ついこないだの事なのに,,,とつぶやいて、私はスマートホーンでネットショップから懐かしいバタークリームケーキを注文するのです。



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