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漂浪〜霊感少女の日常記〜  作者: 桜餅
序章
9/21

探索開始

 「これでいいんだね。」

 そう着替え終わった李空が琴遥に姿を見せた。黒いものが混じっていた白髪は真っ黒に染まり、鮮血のような赤い瞳孔も黒く、そして人の目に近づいて、その他の不自然なところも直った上でこの時期にちょうど良い服を着込んでいた。

 琴遥は頷いた。清も善彦も菖蒲も皆、完璧な人の姿に擬態していた。

 性別のない菖蒲もこの身長の服の女ものが日本にはないため男物の服を着ていた。

 「これでいいと思う。」

 琴遥は自分の出来に頷いてそう呟いた。

 「それじゃあこれで行けますね。人の住むところへ堂々と。」

 そうワクワクした様子の善彦が言ったので、琴遥は善彦の方を見てズバッと言った。

 「変な行動しないでよ。」

 「…分かってますよ。」

 そうブスッとした表情の善彦が言った。

 「無事今日から潜入ができそうだね。」

 李空がそう言った。清と善彦、菖蒲は気を引き締めたような表情を浮かべた。琴遥は嫌そうに鼻の上にシワを寄せる。

 今の時刻は五時。ちょうど、琴遥が学校から帰宅する時間である。

 李空の指示に従ってこれからは動くこととなる。金烏の元へ向かうと金烏の羽の下から小さな金色の丸い鳥が何羽も飛び出て来た。

 「これが場所移動をさせてくれる。」

 金色の鳥が琴遥を避けて李空達にすり寄って来た。善彦がくすぐったそうに笑う。

 「それでは李空。頼んだよ。」

 「分かった。やってみるよ。」

 そう李空は息を吸って言った。

 李空は清と菖蒲の間に埋もれている琴遥を目線でしばらく探してから、声をかける。

 「移動は少し乱暴だから、誰かと手を繋いで欲しい。そうしないと内臓がどこか欠ける事になるんだ。」

 「……」

 無言で琴遥は疑った顔を李空に向ける。

 「琴遥。これは嘘じゃないわよ。」

 そう菖蒲は琴遥の方を見て言った。

 「怪異達だったらそこまでおおごとではないけど人間の体だとちょっとまずいんでしょう?」

 菖蒲は笑みを浮かべてはい、と手を差し出す。その手を琴遥はまじまじと見つめた。

 渋々その手の上に手をおくとその手があまりにも冷たい事に驚いてビクッと手を離した。

 「…?どうしたの?」

 「冷たい。」

 「あぁ…ごめんなさいね。じゃあこれはどうかしら?」

 そう言って菖蒲は琴遥の肩の上に優しく手を乗せた。

 「これで冷たくないでしょう?」

 「……こっちの方がいい。」

 そう琴遥が呟いた。

 善彦はその様子を見て首を傾げる。先ほどよりも距離が近いが、あんなに近寄る事を嫌がっていたのにいいのか。それよりも寒さの方が勝つのか。そう考えて納得する。

 「これでいいね。」

 そう李空が琴遥を確認した後、金色の小鳥を右の人差し指にとまらせて自分の目線にあげた。かと思ったら、突如、下へ引っ張られるような感覚がして平衡感覚が狂ったような感覚に陥った。内臓が下へ下へ引っ張られる。肩の上に乗せられた菖蒲の手がぐいっと琴遥を掴んでいないとどこかへ飛ばされそうな感覚だった。

 琴遥が気がつくとそこは人気のない駅の階段の上であった。見たこともない駅であり、険しい顔をした彼ら達の方を見て内心少し不安になっていたのであった。

 「…ここが一番濃く気配が漂っているんだけど、やっぱり何か違うね。」

 「やはり電車じゃないですか?これからやってくる電車に乗ってみましょう。」

 そうピリピリした空気を漂わせながら李空と善彦はやりとりをした。

 「そうだね。……じゃあ切符を買って乗ろうか。」

 李空がそう言った事により少し雰囲気が和らいだ。琴遥は知らなかったのだが、皆電車に乗ってみたいと思って期待をしていたのだ。

 李空は階段を上りきり、そして切符売り場で駅員に話しかけた。ちらりと琴遥は切符自動販売機を見たが特に何も言わない事にした。

 「…降りたい駅。……はぁ、こうなってて、分かりました。ありがとうございます。」

 と、駅員に李空は微笑みながら礼を言った。

 「この駅に降ります。切符は五つ。…はい。二千円ですね。」

 内心、琴遥はお金の精算ができるんだなぁと思っていたが口にしない事にした。馬鹿にしていることがバレる。

 「……であぁ…時刻はそこですね。ありがとうございました。」

 切符をゲットした李空は満面の笑みで待つ四人の元へとやって来た。切符をそれぞれに手渡す。

 「時刻表はそこでこうやって中に入れるんだって。」

 そう言いながら電車の改札を通ってみせた。目を輝かせる三人は少し急ぎ足で改札に入っていった。

 「わぁ!凄いですね!」

 「ピッていった…」

 「……ちょっと琴遥がこっちの事凄い目で見てるわよ。落ち着きなさい。」

 そう菖蒲が興奮する二人に声をかけた。二人はピクピクっと眉を痙攣させた琴遥の方を見る。

 「こっち見ないで。…知り合いだと思われたくない。」

 琴遥は驚いて興奮する二人を見る駅員さんの方を横目で見ながら改札を通った。

 電車が来るまで彼らは待つ事になった。琴遥はベンチに腰掛けた。

 その隣で落ち着こうとしているが、ソワソワとあたりを見渡している四人を見ないようにしながら琴遥はスマホを見ていた。

 「………あ、あれかな?」

 そう李空が声が上擦らないようにしながら聞いた。

 「あれが電車って言うんですね!やっぱり人間の作るものは面白いです。」

 琴遥は体ごと彼らから背けた。ちらほらと待つ人がいる中、子供でもないのに電車ごときで喜ぶ彼らの姿ははっきり言って浮いていた。

 「…あっち行っちゃいましたよ?ここ…降りるんですか?」

 そう善彦は向かいのホームに行ってしまった電車を見て聞く。

 「え…違うんじゃないの?ここにいる人たちは動いてないわ。」

 「そうですね。あ!清。あれ見てください!」

 善彦は清の肩を叩いて、電車の中についているつり革を指差した。

 「首吊り刑の紐みたいだな。」

 「……ほら、二人とも。落ち着きなさいって…見なさい。あの琴遥の姿を。」

 琴遥は彼らから離れたところに座って完全に背を向けていた。

 「琴遥にはこれが毎日なんですね!色々聞きたいですよ。」

 そう言って善彦は琴遥の方へ歩いて行ってしまった。止める菖蒲の声を聞かず、善彦は歩いて行ってしまったのである。

 琴遥はビクッと寒気が走った。ちらりと後ろの方を見ると楽しそうな姿の善彦が自分の方に向かっているのに気づいた。

 「琴遥!…これが毎日なんですね…本当に羨ましいですし、もっとここら辺を見たいと思って…」

 「あっち行って。私じゃなくて他にも話す相手がいるでしょ。」

 「でも…僕は琴遥と…」

 「ほんとうざい。」

 琴遥はギロッと善彦を睨みつけた。自分まで変な奴だと思われたくないのである。

 「……本当に羨ましいって思っただけで…」

 とまだ言っている善彦を追い払うように手で払って、またベンチから腰を上げて離れていく。

 「…酷くないですか……」

 そう善彦は菖蒲や李空に言った。

 「しょうがないわよ…まだ私達に心を開いていないし、それに彼女の年齢だとそれくらいが当たり前なの。」

 「でも…」

 「善彦。わざわざ琴遥に聞かなくても良いんじゃないかい。彼女はそう言う性格なんだ。今はこの人の世の物を見て楽しんでいた方がいいと思う。」

 そう李空は善彦の肩に手を置いて微笑んだ。

 「性格かしら?」

 「性格じゃないかな。」

 「………清。どう思います?」

 善彦は誰かに同感してもらいたくて清にまでたずねた。すると、清からは求めていた答えが戻って来る。グチグチと愚痴っていると、突然下から声がかけられる。

 「ねぇ、電車来たんだけど。」

 「え?」

 そう彼らは顔を向けると、確かに向こう側からさっき向こう側に止まっていた物と同じような物が走って来ていた。

 その電車に彼らは乗り込んだ。電車内は空いていて、十分に座れるスペースがあった。

 探索開始である。電車の中であってもその怪異の気配は途切れることはなく、それどころか出発すると気配が離れたり濃くなったりするのである。

 「これじゃ埒が明かないな。」

 そう李空が呟いた。はっきり言って、席に座る四人は目立っていた。二人は高身長で、もう二人は電車に乗った事による興奮で騒いでいるためであった。騒いでいるとはいえど、琴遥に言われたように静かにするようにはしている。だが、ジェスチャーがうるさい。

 「……一筋縄じゃいかないと思っていたけど…これほどとは思わなかったわ。」

 菖蒲も苦い表情を浮かべる。向かい席に座ってスマホを見ている琴遥はそんな四人の様子を気にすることもなく集中していた。

 結果いくつもの電車を乗り降りしたが、これと言った尻尾を掴む事ができなかった。

 「多分、電車自体がいくつかの異界と繋がっているんだ。それを繋げる怪異がいるはず。だけど、電車から怪異への気配はしなかった。」

 「一体どうなっているんですか…?」

 琴遥が帰宅した後で李空、清、善彦は303号室で話し合っていた。

 「……気配も匂いも感じられなかった。本当にあれであってるんだよな?」

 琴遥からはいくつもの怪異の気配が感じられた。間違った者の気配を追っていたらそれこそ骨折り損である。

 その時、その部屋の扉が開かれた。引きつった顔をした菖蒲が入ってくる。

 「出たらしいわ。……行方不明者が。」

 「はぁ!?本当か?」

 「まずいな…僕たちが調査しているのはこれ以上犠牲者が出ないようになのに…」

 「………どうしようかしら?これ私達の責任になるわよね。」

 そう言う菖蒲の方を見て、李空は首を振る。

 「それは問題じゃない。……その犠牲者が無事に戻れるかが大切だ。」

 善彦と清は押し黙った。

 「助け出せますかね?」

 「やってみよう…彼女の協力が必要だけど。」

 帰らせた琴遥を呼び戻すのは心苦しいがやってみないとならない。


 「深夜に叩き起こすなんて…本当最悪ですね。」

 「今日の昼は奢っただろ?」

 「それは関係ないです。」

 大きな欠伸をした琴遥は目をこすりながら出葉の後についていく。

 「それで…行方不明者がでたんですね。へぇー。」

 「興味ないだろ。」

 「ないです。勝手にしてくださいって感じですよ。私何もしなくていいんですよね?私の体から発している気配が必要なんですから。」

 「……あぁ。そうだ。」

 「じゃあ私、眠っていたいんですけど。」

 「……怪異達の中で寝れるのか?」

 「寝ます。」

 文句を腹のなかに貯めた琴遥は出葉によって李空達の元へと飛ばされた。

 「協力してくれてありがとう。」

 そう李空が言ったので、琴遥はは?と半ばキレたように言い返した。

 「協力する気なんてさらさらないんだけど。早く帰りたい。」

 李空は説得する。

 「これ以上君みたいな怖い思いをする犠牲者を減らしたいと思うだろう?」

 「思わないし、逆に怖い目に遭えばって思うよ。……それで私の鬱憤が晴れる。」

 李空は眉を寄せた。

 「ほらほら…早く行かないと気配が消えちゃうわよ。」

 そう菖蒲が李空の肩に手を置いて連れて行った。琴遥は寝起きで機嫌が悪いため、全てのことに対してイラついていた。

 「………それで…琴遥。こっちに…あれ?寝ちゃったの?」

 琴遥は近くの壁に寄りかかって寝息を立てていた。菖蒲は琴遥をゆり起こす。

 「琴遥。早く起きて頂戴。」

 「……やだ。」

 菖蒲は困った子という表情で琴遥の方を見て抱き起こした。

 現場となった電車が走っていた線路で一番気配の濃い場所へと彼らは移動した。だがしかし、そこにはすでに何も残っていなかった。

 「どうすんだよ…これじゃ手がかりが全くない!」

 そう清が吠えるように叫んだ。

 「異次元に繋がるような空間の歪みもないですし、先ほど電車の方を見てきましたけど、特に何もありませんでした…」

 菖蒲に寄りかかって寝ている琴遥をちらりと李空は見た。

 「確かにそうだね…どうしようか。このまま何日も行方不明になってしまったら…」

 「許せないな…ったく誰がこんな事すんだよ。」

 「……どうにもなりませんか?李空。」

 そう善彦が李空の指示を待つ。

 「……どうにもならない。」

 そう李空が悔しそうに言った。目には怒りがともっていた。


 時刻が関係しているとの事だ。決まって帰宅ラッシュが終わった後の終電までの間にしか分からないのだと、李空は思った。

 「……それで琴遥は寝たままなんだね。」

 菖蒲がソファの上に琴遥を寝かせて琴遥の体に毛布を掛けた。

 「寒くないかしら?」

 「寒くても大丈夫だろ。」

 そう清が言った言葉に同調するように善彦が頷く。

 「そうですよ。そんな甲斐甲斐しく世話焼かなくたって…」

 菖蒲は首を振った。

 「ダメよ。…人間は寒いところで寝ちゃったらそのまま死んじゃうこともあるんだから。」

 「え…それは本当なの?」

 そう李空が菖蒲に尋ねる。

 「本当よ。少しでも寒いところで寝ていると病気にかかるのが人間なの。甘やかすくらいで丁度いいのよ。」

 そう菖蒲は言って息を吐いた。

 毛布の上に使っていない服を乗せて、琴遥の暖を取らせた。

 「琴遥の面倒は私が見るから、皆んなはそれぞれの持ち場に戻ってもいいわよ。」

 と、そう菖蒲が言った。

 「そうか。ありがとう。…それじゃあ僕は出てくるよ。清。善彦。頼んだよ。」

 そう李空が二人に声をかけると二人とも返事をして、三人とも出ていった。

 菖蒲は微笑んだ。自分の膝を枕にして寝る琴遥の頬を撫でる。

 「……ここでは私がいないと駄目ね。」

 先ほど、菖蒲に寄りかかって寝ていた光景を思い出す。これは心を開いて、自分を必要としてくれている証しである。菖蒲がいなきゃ生きていけないという状況にまで追い込みたかったが、それにはもう少し時間をかける必要がありそうだ。

 「………」

 菖蒲は口を歪めて笑う。

 菖蒲は孤児であった。妖の住む異界は捨て子が人の世よりも多く、そして孤児院の人手も少なかった。古い孤児院の隅に捨てられていた赤子であったのだ。孤児院に拾われて育てられ始めたがなにぶん、目を掛けられることが少なく劣悪な状況で育ったので、役に立たないと捨てられそうな危うい環境であった。

 性別がないため、どっちともつかずいじめの的になったこともあった。だが、必要とされるために必死に耐えた。

 だが、そこの孤児院にさらなる子供が増えて働き手と数えられるほどには育った人でいう7つほどの年の頃、さらなる劣悪な環境に売り飛ばされた。

 必要とされよう。そうじゃなきゃ殺される。

 菖蒲はそのままでいい、と認めてくれる者は一人もいなかった。利用価値がなきゃ殺される。良くても捨てられる。そうして生きてきた。強かに笑みの裏に苦しみをひた隠して。そうやって生きてきた。

 ごろりと琴遥が寝返りをうったので菖蒲は落ち掛けた毛布を琴遥の体に掛け直した。

 「……私の事が必要だって、その口で言わせてあげるわ。」


 翌日、琴遥が目を開けるとそこは菖蒲の膝の上だった。

 「おはよう。琴遥。よく寝れたかしら?」

 「なんで私ここにいるの?」

 菖蒲が微笑む。

 「昨日の夜のことは覚えてる?」

 「あぁ…あのまま寝ちゃって、ここにいるのか。」

 そう膝から頭を上げずに琴遥は納得したように頷いた。身を起こしてぐっと伸びをする。

 「……で?私帰っていい?」

 「いいけれど…七時くらいにはこっちへ来るのよ?」

 「分かった。じゃ帰る。」

 「みんなには?」

 「なんとでも言っといて。」

 琴遥はそう言って帰って行った。

 それからというものの、琴遥は七時から深夜になるまでこちらへいる事になった。それまでは李空達は独自の調査を続けた。

 結果、行方不明者は帰って来ることはなく、それの責任を取ることになった李空はさらにペナルティとしてもう一つの仕事を無償で受ける事になったのである。

 ごろりとソファに寝転がってスマホを見ている琴遥の世話を菖蒲は焼いている。琴遥もまんざらではなくそれを享受していた。

 「…琴遥。それくらいは自分でしたらどうかな?」

 と、そう李空が心配するくらいには琴遥は菖蒲に懐いた。菖蒲の思惑通りである。

 「いいじゃない。李空。まだまだ子供なのよ?」

 「……子供とは言っても昔は成人の年だったと思うんだけど。」

 「妖だと十三年生きたくらいじゃ到底成人じゃないけれど。」

 「それは妖であって…人は違う。琴遥をそんなに甘やかさないでくれ。」

 まるで夫婦の痴話喧嘩みたいだ。

 李空はずっと無言の琴遥の方を見た。

 「琴遥も何か言ったらどうだい?」

 「……」

 李空からの圧で根負けした琴遥は顔をあげる。

 「…うざい。」

 と、一言つぶやいた。

 ここ最近、琴遥がここに通い慣れて来たのと同時に図々しさが増した。李空は異界駅の任務に参加できないことが多々あり、菖蒲と善彦、清そして琴遥の四人で異界駅の捜索に精を出していた。次第に確実な情報が集まりつつある今、いつその怪異に見えるかという状態であった。

 「…菖蒲。言ってくださいよ。清がとっても非協力的なんですよ。」

 そう菖蒲に告げ口をしたのは善彦だった。清は協調性のかけらもなく、またこれ以上ないほど道徳心が欠ける琴遥に腹を立てて、今している仕事の手を止めて、琴遥に何かとあれば当たっていた。

 「清。…琴遥はここの事務員じゃないでしょう?私達の事を手伝ってくれる立場にあるのよ。そして、今の清のように非協力的でもないの。」

 そう菖蒲は今の清の姿を指し示すと清は目を見開いた。そして眉をひそめて、どしどしと足音を鳴らしながら自分の仕事に復帰する。

 異界駅へと繋がる条件として、帰宅ラッシュから終電までの間に一番気配の濃い電車に乗っていること。そしてその日が必ずその月の木曜日であること。そして、深い眠りについていることがある。

 その為には四人が眠りにつく必要がある。その為に、菖蒲の術を電車に乗った際にかけて寝るように試すこと、ここ数日だった。

 それでまた今日も試すことになっている木曜日であった。昼間から琴遥は入り浸り、緊迫した空気をぶち壊している。それに対して腹を立てる清の気持ちも分からなくはなかった。

 そしてようやく午後七時前となり、琴遥を連れて一番気配の強い電車に乗り込む。席に座れるように早くから乗り込んだ。混んではいるが、この電車自体が田舎から都会へ向かう電車だからか、そこまでキツキツという訳ではなく人が立ったのを見て座れる程度には空いていた。

 人がまた一人、一人と出て行きその隙を狙って四人は席に座った。無論、一番早く席についたのは琴遥である。菖蒲は全員が座ったのを確認した。向かいの席である右斜め前に琴遥。同じ車両だが遠く離れた菖蒲側の菖蒲からみて左側の清。そして、随分と離れたところに座る善彦である。善彦はこの車両の後ろの車両に続く扉のすぐ真横に座っていた。菖蒲から見て右斜め前である。ゆっくりと腹式呼吸で息を吸い込んだ。淀んだ空気だが術をかけるのには充分である。菖蒲の口がわずかに開かれ、人の耳には聞こえない超音波のような音色を発した。それから『眠りの唄』をかける人物を限定して歌い始めた。これは菖蒲の体に受け継がれる妖の使う術の一つであった。いつ使えるようになったのかそれは菖蒲自身も覚えていないが、誰に言われずとも分かったというのが正しいだろう。

 術というのは場所全体に効く術の方が強く解けない術になるが、その中に他の者がいる場合これは使えなくなる。その場合、人を限定してかける術を用いる。それはとても弱い術になるが、本人がその術を拒む、もしくはそれをかけられたのが分からないほど霊力が弱くない限り、その術はかかる。今の場合もそうで、三人とも菖蒲の術が来ると分かっている為、それを拒むことなく身を任せてかけられた。菖蒲はそれを確認すると、右手の手のひらで口元を覆ったあと自分の目を隠すように乗せた。すると、自らにも術が反転し自分自身にも術がかかるのである。

 菖蒲も微睡み、思考が遥か底へと沈んで行った。


 それからどれくらい経ったか。

 スマホを眺める女子高生、疲れたせいでうたた寝をして隣の見ず知らずの人に寄りかかる大人。香水の強い女性。ゲームをする少年。疲れの溜まった場でゲラゲラと大声て笑い話す不届き者。前に立つ女性の肩を不自然にこもった熱のある目で見つめる男性。

 ざわざわとざわめく電車の中で、後ろに注意しない女子高生が後ろに座るサラリーマンの持つコーヒーにぶつかった。嫌な音がしてそれが転倒した。床にパシャリと落ち、一瞬、うるさかった電車が静かになる。スーツを黒い染みにした女子高生は必死に謝り、サラリーマンに許しをこう。その女子高生はペコペコと頭を下げる。長い髪の毛がさらりと顔を隠す。そして時折、あたりの冷たい目を見回した。

 「ほんとにすみませんでした…」

 「だからもう良いって言ってんの。」

 そう声を荒げたサラリーマンがハンカチで服を拭きながら目線を合わせずに言う。

 「ほんとに…ほんとに…」

 「だから!」

 「………あ…」

 女子高生は電車内の電気が反射する窓を見つめて固まった。ぐらりと電車が揺れた気がする。パキパキとその女子高生の顎の骨がなって、うっと嗚咽を漏らした。女子高生は右手で手すりにつかまり、左手で口を押さえた。

 「……やば…」

 堪えきれなくなり、口内にあるものを吐き出した。細長い赤い肉のような物が口の中から吐き出される。それは吐き出しても切れることなく、みるみるとその女子高生の口元の皮膚が引きつっていった。唇が裂け、口蓋が上にめくれ、頬の肉が左右に引きちぎれる。口の中にあった長い物がビリビリと六つに割れ、節足動物のような手足に変形していた。

 そんな女子高生の様子を気にする者は誰もいなかった。そこにはさっきまでの電車の様子はなく、がらんと空いた席が並んでいたからだった。ぐらりと電車がまた大きく揺れたかと思うと女子高生は持っていたバックを落とした。そして、次の瞬間どろりと解けたかと思うと女子高生の体は肉塊と化して床にこびりついた。それがどんどんと広がり、電車の中は人の体内かと思われるほどの血管やら管やら肉が張り付いていた。

 かと思ったら、電車は元に戻った。人の多い四人の眠る電車内に戻ったのである。

 先ほどの女子高生と話していた者はあれ、と女子高生の不在に一瞬気づいた。だがすぐにそれがどうでも良くなり、スマホを取り出してイヤフォンをさして音楽を聴き始めた。

 人が次第に減り始め、そこに残っているのは数人の乗客と四人の眠りこけた三体の怪異と人間であった。

 「…あれ?」

 そうして目を覚ましたのは琴遥であった。いつのまにかガラリと空いた電車内を見て、冷や汗をかく。学校の登下校でこんな状況になっていたらなんの悪夢かと思う。やはり琴遥には慣れないことである。琴遥は大きな欠伸をしたまた襲ってきた睡魔に身を任せようとした。だが、睡眠に落ちる直前で一つ気にかかることがあり、琴遥は鼻の上に皺を寄せて目を開ける。右斜め前には寝ている菖蒲がいる。そして、一人の女性が琴遥の座るこの椅子の一番右端に座っていた。善彦と清がどこに座っているんだか分からないが琴遥は眉をひそめる。

 溝のような匂いがする。元々こんなに臭かっただろうか。下水道の上を歩いている時みたいな感じが至るところでする。少し顔を動かしただけでは匂いは途切れない。ガタッと電車が揺れる。


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