不真面目
「名前は…?」
「琴遥。」
そう簡潔に琴遥は答えた。琴遥の前だからということで、善彦は人の姿に擬態していた。所々変なところがあるのが琴遥は見えていた。黒髪から羽が生えているし、口元にまだ嘴の名残がある。
「琴遥ちゃん。あの…異界駅に行ったのって本当?」
「本当。」
琴遥はそれ以上もそれ以下も答えなかった。彼女にとって大切なのはいかに自分の利点が見いだせるか。この異界駅についての話題も彼女にとっては利点が見いだせる話ではなかった。ここで協力したとして、もうすでに異界駅に行った彼女には関係のない話で、しかもこれから異界駅で行方不明になる者などもっと関係のない話だった。
「聞きたいんだけど、その話。私に関係ある?」
「君は異界駅へと行ったんだろう?だったら他の人がこれ以上そんなことに巻き込まれないように協力すべきだ。」
「私にはもう関係ない話だよ。全て終わった話なの。」
「君の協力は政府にも望まれている。協力してくれないとさらに被害者が出るんだよ。」
「誰が被害に合おうがいいじゃん。私とそれが何か関係ある?全く関係のない話。協力も私に利点が見出せない。」
琴遥は一人不敵に笑みを浮かべた。
善彦はひゅっと喉を鳴らした。李空の苛立ちが見て取れたからであった。ひんやりと地の底から漂ってくる冷気にそこにいた皆が気づいた。
「ちょ…彼女はまだ子供よ。子供にそんなカッカしないの。ほら李空。」
「琴遥さんも…なんかもうちょっと協力してくださいよ。」
そう善彦が琴遥をなだめるように言った。
琴遥は顔をあげて不自然なところがある善彦をまっすぐ見つめた。黒い瞳のその眼力に善彦は体を縮ませた。
「…おい。お前。」
そんな空間に突如、低い苛立った声が聞こえた。いきり立った清は拳を固く握りながら琴遥の前に立ちはだかる。小柄な琴遥の前に太刀はだかる大きな体の妖怪は睨みつけながら琴遥を威圧する。
だが怯まずに、馬鹿にしたような目つきを向ける琴遥だった。それに苛立った清がぐいっと胸ぐらを掴んだ。琴遥の体が浮く。ぶらりと足が揺れる。
琴遥はケラケラ笑いながら清を見た。
「殺すの?」
面白そうに清に言う。青筋だった清は顔を真っ赤にして必死に耐えている。だがそれを煽るように琴遥は清を見下す。
「……でもあんたは私を殺せない。」
「清!何してるんですか!?いけない…いけないって言ってるじゃないですか!」
「だけどこいつ…一個も協力しようとしない。」
声に怒りをにじませて清は善彦を見た。
「ほら…李空も何か言って…」
李空は無表情で清の琴遥の胸ぐらを掴む手を掴んだ。そして首を振る。
清はその李空の顔を見てゆっくりと琴遥を下ろした。琴遥はそのまま地面に足をつけた。
「……お願い。琴遥ちゃん。異界駅で何があったのか、異界駅からどうやって帰ったのか教えてくれない?」
琴遥はセーラー服の首元と襟を直しながら、線の細い妖怪をちらりと見た。
「私への利点は?」
「え……」
「何もないんじゃ私は協力しない。」
「あぁ…あ、あ!そうだ。私達の故郷から持ってきたものを一つあげるわ!」
琴遥はそう言う妖怪を見つめて首を傾げた。
焦ったように線の細い妖怪は善彦に手を差し出す。
「ほら…いいのが、あったじゃない。あのうちわみたいな奴が…」
善彦はギョッと目を剥いた。
「それはダメです!」
ぐっと自分の着物の懐を押さえて、逃げるように身をよじる。
善彦は琴遥を見て眉をひそめる。
「彼女のためになんでそんなことしなくちゃいけないんですか。全く…確かに協力は必要だと思いますが、これは一品なんです。両親からもらった…」
「お願い…善彦。」
そう善彦は懇願されたように言われて、眉を下げた。そして、無表情でこちらを見つめる琴遥を見る。
うぐぐっと唸って、懐の中から葉でできた団扇を躊躇しながら顔を背けて、線の細い妖怪に渡した。
「…ごめんね。善彦。」
「けっ…大事なものを渡すなんて馬鹿のやることだ。」
そう清が吐き捨てるように言った。
「……やめるんだ。清。さて、これで話してくれるの?」
李空がそう聞いたら琴遥は不思議そうな顔をしては?と首を傾げた。
「こんなボロい団扇が何になるの?」
「ぼ、ボロいって…」
ガクッと肩を落とした善彦が床に崩れ落ちる。李空がまっすぐ琴遥を見て言った。
「これはボロい団扇なんかじゃない。…烏天狗に受け継がれる天狗の団扇だ。強風やそよ風が起こせる優れもの。これでもまだ話してくれないか?」
琴遥は肩をすくめた。
「分かった。」
案外簡単に了承したので逆に皆、驚いてしまった。善彦の団扇を琴遥に手渡そうと線の細い妖怪は差し出そうとした。
しかし、苛立ったように琴遥がそれを止める。
「あんた達疑うってことを知らないの?」
「え…?」
「これ奪った瞬間に逃げるとか考えないの?普通…話した後に渡すでしょ。危機感なさすぎ。」
線の細い妖怪は笑みを引きつらせた。
「や、やらないでしょう?」
琴遥はニヤリと笑った。
「私の何を知ってると言うの?さっきあったばかり、この間数分だけで私のことわかった?どんな奴かも知らないのに、変なの。」
「糞が…」
清がそう吐き捨てた。
琴遥は肩をすくめて、周りを見渡して言う。
「別に言わなくても良かったんだけど、今回だけは忠告してあげる。不用心だから気をつけた方がいいよ?」
琴遥は近くにあった椅子を引きずってきて皆が唖然としている中、どかりと座り込んだ。
「…で私がどうやって異界駅から帰ってきたか知りたいって言ってたね。」
琴遥は左手で丸を作って右手で鍵爪のように形を作った。何をするのかと思って見ていたら、琴遥はその右手で左手に作った丸の穴を抉り出すそぶりをした。
「そこにいた怪異達の脳髄を引き摺り出して、皆殺しにした。」
戦慄が走る。
琴遥はニヤッと笑って頬づえをついた。
「って言ったらどうする?」
話を聞いたからには報告を書かなくてはならない。皆が忙しく動き回る中、琴遥は古びたソファ。よく言えば年季の入ったソファに腰をかけていた。
「……あの、琴遥ちゃん。さっきの話は本当なのよね?」
そう恐る恐る琴遥の隣に腰をかけるのは線の細い妖怪であった。琴遥はその線の細い妖怪を見ずにスマホをいじりながら、肩をすくめた。
「どう思う?」
「えっと…本当のことなら怖いし、でも強いんだなぁと思う。」
琴遥は乾いた笑いを漏らした。
「……本当は違うんだけどね。」
「え?あ、でもさっきは…」
琴遥は線の細い妖怪の方を見上げて冷たい笑みを浮かべた。
「私はあんた達が本当に嫌い。……暗い暗い寒くて異臭のする中、一週間も閉じ込められていた。体に這わされる不快な感覚。痛み。窒息。喰われるため、犯されるため。よくわからないけど、これがあんた達のやり方なんでしょ?いつも…いつも私が苦しめられる。もうこりごり。」
琴遥はそれだけ言うと鼻で笑って、スマホをまた見始めた。
「あ…ごめんなさい。そんな…えっと皆んなそうって言うわけじゃない。」
「でもあんた達が人間をひとくくりで見るように、私もあんた達を全てひとくくりで見ているの。」
「はい?……誰がそんなこと…」
「さっきの金色の大きな鳥。あぁそれとあの赤髪の奴も言ってた。きっとあんたもそうでしょう?私はそれでもいいけど、まぁこれ以上関わらないでって言ってるの。不快。吐き気がする。」
「それは…一部だけよ。私は…そんな風に思っていないし、人間達に襲い掛かったこともない。」
「あら?本当。でもさっき…色々聞いちゃったけど。」
琴遥は糾弾するような目でその線の細い妖怪を見つめた。
「………ここにいる妖怪、怪異達は皆一度は人間に害意を持った者達だってね。」
線の細い妖怪はぴしゃりと冷や水を浴びせられたようだった。琴遥から目が離せなくなり、耳まで心臓の音が聞こえるようになった。
「…だってそれは……」
「別に私関係ないから。弁解しようとしなくたっていい。興味ないし、私が帰宅するまで構わないでくれる?」
線の細い妖怪の名を菖蒲と言った。これといった性別を持たない妖怪で、面倒見の良い性格だったが一度化けの皮を剥がすと、過去は壮絶なものであった。
そして、誰かに必要とされたい性格であるために今、琴遥に拒絶された事で菖蒲の中に積み重ねられていたものがぴしゃりと崩れ落ちた。
無理やり笑みを浮かべて琴遥の方を見た。
「そこまで言うなら…私は向こうに行くわ。」
「勝手にどうぞ。」
遥昔のことであった。菖蒲がこっちへ来たばかりの頃。壮絶な人間狩りが行われていた。誰かに必要とされたい。その一心で仕えたのはその人間狩りを指揮していた大妖怪であった。
狩ることによって自らを認めてくれる。一人を狩れば一つ任されることが多くなる。十人狩れば他の仕えている妖怪の中でも目立つことができる。百人狩れば、その大妖怪の近くにいける。必要としてくれて、寝台にもあげてくれる。歌をよく歌った。
気づけば菖蒲の周りには無数の生首とバラバラに引きちぎられた腑。血みどろの体の冷たさに驚けば、近くの槍に刺さる生首と目が合う。その顔が伝えていたのは恐怖だった。
それに気づいた途端、自らのやったことに気づき、行いを悔い改めた。
人を襲ったことない?嘘だ。
人を喰らったことがない?それも…
悪の限りを致した菖蒲を人間側は生かしておくはずもなく、一旦は殺されることになった。しかし、そこで会ったのは若い李空と今よりも生意気な清であった。
人間側に仕える妖怪を初めて見た。
そしてそんな生き方もあったのかと自らを恨む一方であった。
李空によって菖蒲が仕えていた大妖怪が殺された。これで壮絶な人狩りがなくなり、落ち着いた世の中になった。だが長年、仕えてきた菖蒲には仕えるべき、頭がなくなり、宙ぶらりんな状況だと思わざるを得なかった。
「菖蒲。……一緒に来るんだ。僕には君が必要だ。」
そう肩に置かれた暖かい手を今でも思い出す。
菖蒲は気づいたら、直属の白位の元へと来ていた。
「分かった。いいだろう。」
白位は頷いた。
菖蒲は自分の口を押さえて、漏れ出る笑みを隠した。
そんなことも知らない琴遥は自分の帰れるのをただ待っていた。