肝試し
何故…私がこんなことに巻き込まれているんだろう。頬つえをつきながら前の状況を見ている。しばらく学校を休んでいた私はいい意味でも悪い意味でも注目のまとであった。だから、変な生徒たちに目をつけられたのも当たり前といえば当たり前となる。
「わ!動いた!」
と、嬉しそうにはしゃぐ目の前の一人の女子の背中を見て私はため息をつく。真っ暗にした教室内。外からは部活動の掛け声が聞こえて来る。一本のろうそくがゆらりゆらりと揺れて、ぐるりと一つの紙を囲んだ同級生たちが、手を一つの硬貨に置いている。何円が相場なのかは知らないが、五百円が、一番効果がありそうと言うことで、五百円硬貨を置いてやっていた。私はそれを遠巻きに見つめている。
なんて…言おう。
新学期が始まって十日目。私は現在、無断欠勤している。まぁ、私が休んだとしても仕事自体には支障は出ない。はずだ。元々私がいなくとも動いていたんだから、別にいいか。
「ね、ね…これさ。本当に誰も動かしてないよね?」
楽しそうに女子達がやるのはコックリさんである。五十音と鳥居、はいといいえ、の書かれた大きな紙を前に好かれていない先生の秘密やら、憧れの先輩の事について聞いて盛り上がっていた。
「…琴遥ちゃん。混ざらないの?」
と、私をここに誘った同級生が振り向いて尋ねて来た。
「興味ないの。ごめんね。」
興味ないのに、何故ここに参加したのか。
「そっかぁ。」
そう楽しそうに笑って言った彼女が関係している。何度か断ったのだ。興味ないと。だがしかし。圧が強すぎて、しかも腕を引く力が怪力すぎて、断ることができなかった。
私と親睦を深めたかったと、言っていたが、私抜きで楽しんでいる様子を見る限りそれは本当のことなのだろうか。まぁ…ぼんやりしている時間ができたので久しぶりの休息として有り難くこの時間を使わせてもらおう。そう思って、スマホを取り出して好きな芸人のコントを見始めた。
ピリッと刺激臭が鼻を刺し私は顔をあげた。動画に夢中になっていた私は周りの様子に全く気づいていなかった。
「…あれ?」
そう私は首を傾げた。どう考えても大丈夫な状態じゃない気がする。
先ほどまでの和気藹々とした雰囲気は消え去り、怯えた子もちらほらといる。そんな中、未だ楽しそうにしているのは私を誘った女子である。
「えぇ…?もうやめるの?」
「もう終わりにしようよ…怖いじゃんこれ。」
どうやらコックリさんから死刑宣告を告げられたらしい。誰かが嫌いな相手の弱みを握ろうと、それを聞いた時から少し動きがおかしくなり、さきほどから死を連想させるような言葉が連続して現れるらしいのだ。
「…ねぇねぇ、コックリさんって一体何者なの?」
と、そう未だ楽しそうにしている同級生が聞いた。その途端、周りの女子達が悲鳴をあげた。何かまずいのか知らないがざわざわ騒いでいるのでよくないことに違いない。
私は立ち上がって、その紙の上を滑る五百円硬貨をじっと見つめた。ゆっくりと不安定にその硬貨は動く。
「ねぇお願いだからもう悪ふざけはやめてよ!」
と、叫ぶ泣き声が聞こえた。
だが、誰もやめる気配はない。その硬貨はゆっくりと動く。その動きから皆、目を離せなかった。私もそれをずっと見ていた。
その硬貨は、あ行の『う』の上で止まった。誰かの唾を飲み込む声が聞こえる。それが、ゆっくりとその硬貨が下へと滑って行く。
到着したのは『え』の文字である。
「う、え…?上?」
そう誰かが呟いた途端、悲鳴が上がる。私もゆっくりと顔を上げると、天井から顔が生えていた。猿のような人の顔のようなわけのわからない不気味な顔がこっちをじぃと見つめていた。
「よんだ…よ…んだ…よ…だ…」と、小さな性別のわからないしわがれた声を発した。
ゾワっと鳥肌が立ち、鼻腔を刺す刺激臭にしわを寄せた。
どっと悲鳴が湧き、皆が蜘蛛の子を散らすように荷物を手繰り寄せて帰っていく。と、言う私もその波に乗って学校の外へ出た。日が長くなったのでまだ暗くない。部活もやっているのに、寒気が半端ではなかった。
「琴遥ちゃん…」
そう肩で息をして青い顔をしている、まずい質問をした同級生が隣から声をかけて来た。
「どうしよう…五百円玉から指、離しちゃった…」
私は首をかしげる。
「コックリさんは終わらせるまで、手を離しちゃダメなの。それに、終わらせてないし、紙を置いて来ちゃったし、五百円玉も…どうしよう。」
「私は知らないよ。やったのは皆。そうでしょう?」
私は参加しただけだ。それも無理やり。
「琴遥ちゃん。霊感強いんでしょ?ねぇどうにかしてよ!」
不思議に思って私はその子の緊迫した表情をじっと見る。
「それって誰から聞いたの?そんな噂…別に私霊感なんて強くないんだけれど。」
その子は眉をひそめて学校の方を見つめた。
「そんな…じゃあどうしたらいいの?」
「知らないって言ってるじゃん。私にはどうしようもないの。」
肩をすくめてそう言うと、その子はひっと悲鳴をあげた。
「私もう帰る!」
そう言って何かに急かされるように走って行った。私はその遠くなっていく後ろ姿を見つめていた。
その瞬間、彼女の体が横に吹っ飛ぶ。彼女の体があったところには、原動機付自転車がある。ばたりと力なく倒れた彼女へ、その運転手は焦りながら駆け寄っていく。
………私も、変な噂を立てられるのは嫌なので、彼女に恩を売ることにする。
彼女に駆け寄っていくと、彼女の白目を向いて痙攣して姿を見ることになった。
「早く。救急車に電話して。」
そう運転手に声をかけて、私は彼女の姿を写真に写す。そして、彼女の体を抱きかかえ、傍に安静な状態で寝かせる事にする。動かすとまずいかもしれないが何しろここは交通帯。車が彼女に気づかず、そして私に気づかずやって来たら間違いなく轢かれるだろう。
運転手は真っ青な顔でウロウロしている。心肺は正常。だが、気絶してしまっている。外傷はそこまでない。骨が少し折れているだけだ。呼吸も…まぁ良しとしよう。
救急処置を『的確』に行いながら私は救急車がやってくるのを待つ。それと同時にパトカーもやって来たのだが、まぁ私は関係ない。
救急車に運ばれていく彼女の姿を見ながら私は事故直後の写真を救急隊員に見せる。これでよし。死ぬわけではないし、後味も悪くない。
焦って赤信号を渡ろうとするからこうなるのだ。交通量の多いこの時間帯。車に轢かれなかったことが何よりも救いだろう。
私はそのまま帰ることにした。色の濃い一日を過ごした気がする。
私は、家に入る前でふと足を止めた。このまま家に入って、変なものを連れ込まないと言う確証がない。
私はため息をつき、スマホを取り出す。
「…今日は仕事の用事で泊まります、と。これでいっか。」
メッセージを打ち終わったら私は仕事へ向かう道を歩き始めた。
……せっかくいい場所があるのだ。活用しない手はない。両親に危険が及ぶ可能性を少しでも減らすためだ。
そのまま、私はカフェからあの廃旅館へと飛ぶ。廃旅館とは言え、ここは私の仕事場である。私の職場である303号室へと向かっていく道中、すれ違う怪異が私の方をちらりと見る。怪異に何かが見えているというのか…?何か憑れて来てしまっただろうか…
「…こんにちは。あ、こんばんはか。」
そう言いながら、中に入ると涙目の善彦が悲鳴をあげながら私の方を睨んで来た。
「遅いじゃないですか!」
「色々あったの。しょうがないでしょう。」
李空も顔を上げて少し微笑んだ。
「でも君の仕事だよ。…責任を持ってやってほしいな。」
私は肩をすくめた。
菖蒲はここにいない。良かった。
「おい。琴遥。ここに変なモン連れてくるな。」
と、冷え切った声が響いた。清がデスクに積み上げられた見たこともない物を動かしながら顔を上げずにそう言った。
「あ…やっぱり?そうなのね。…連れて来たくて連れて来たんじゃない。勝手について来たの。」
「…あ、本当ですね。李空。…これって厄介な奴じゃないですか?」
そう善彦が私の後ろの方をまじまじと見ながら李空に確認するように尋ねた。
「そうだね。…連れて来たのは本体じゃないみたいだ。」
払えないね、と李空には言われて私はため息をついた。そして、はっきりと言う。
「今日はここで泊まる。」
「え?部屋はありませんよ?」
「別にどこでもいいの。この部屋でもいいし。」
そう言って私は『自分の』定位置のソファを見つめた。
「でも琴遥。君についているそれは…君に対して害意しか持ってない。一人でいるのは…まずいんじゃ。」
と、李空は私に向かって言って来た。
すると清は鼻で笑う。
「おい。李空…琴遥はな…か弱いただの人間じゃない。対魔隊の奴らと同じような力を持ってる。」
そう清に言われると李空は首を傾げた。
「あぁ…そうなんだ。じゃあ、一人でも大丈夫か。」
私は目を瞑って息を吐き出した。さっき見たあれを思い出す。あんな不気味な奴と一緒に、二人きり密室で『熱い』一夜を過ごすなんて気味悪い。何しろ今日だ。四月二十七日。私はスマホを取り出してアプリを起動させる。生理周期とは別に他の周期も記録されたカレンダーを見る。
やっぱり今日だ。
「………今日は無理。」
絞り出すように私がそう言うと三人ともこっちを見た。怪異なんかに、できる限り弱みを見せたくないのだがまぁ…元々何も力を持っていない人間だと思われていたのだ。少しくらい普通の人間だと同じだと思ってくれればいいのである。
「…今日はあのスーパーパワーが使えないのよ。」
ため息を吐きながらそう言うと清は鼻で笑って目線を落とす。二人は顔を見合わせた。
「今日…菖蒲は帰ってこないよね?」
「そうですね。僕たちのどっちかの部屋に泊めるってことですか?」
善彦が嫌そうな顔でそう言った。李空が苦笑いして言った。
「善彦、頼めるかな?」
「えぇ…?なんで…はぁ、分かりましたよ。僕の部屋に泊めましょう。」
善彦は渋々そう言った。だが、そう言った途端、ニヤリと笑って強気に私に向かって言った。
「勿論…今日の分の仕事はやりますよね?」
「やる。」
私は自分のデスクに座って仕事を淡々と続けていった。私が思うに、書類仕事はほんの少ししかない。対魔隊への報告書と記録を記す。それと、人間界に滞在する他の怪異についての情報をまとめた書類などである。だが圧倒的に、事務仕事が怪異は皆、苦手なのである。桐のように中には怪異でも事務仕事が得意なものもいるが、基本的には集中力が続かないものが多いため、仕事が遅い。桐のところでは、私と桐が事務仕事を、その他の怪異が任務をするという形式を取っていたので効率が良かった。そのため私がやるとすぐに仕事が終わるのだ。
「…終わった。」
「何でそんなに早く終わるんです?」
と、何かを訝しがるような顔で善彦に睨まれる。私は善彦の方を見て片眉をあげた。
「別に。集中してるだけよ。」
それ以外には、何もしてない。あぁ…効率的に時短を意識してやってはいるが。
「…集中。こんな細々したものに集中なんて…できるんです?」
あぁ…まず。集中すらできていないらしい。
「…」
その問いをスルーし、私は立ち上がる。デスクワークをすると肩がこるし、下半身が鉛に浸かったかのように重くなる。
「……目が痛い。」
私はグイグイと目頭をマッサージしながら、爪先立ちをしてそのままソファにどさっと腰掛ける。
「…お疲れ琴遥。そろそろ仕事は終わりにしようか。」
そう李空が言うので、私達の仕事は終わりになった。見たこともないものをいじっていた清はそれを黒い箱にしまって片付けていた。
「じゃあ…早めに帰って来てくださいね。」
と、善彦に見送られて私は浴場へと向かう。廃旅館だが、温泉は生きている。元々、女湯と男湯があったのでそのまま男湯を怪異が使い、女湯はあるが使われていないという状態だった。
何故かと言うと、ここには圧倒的に女性がいないからだった。男女格差とまではいかないが、昔の日本みたく女性にはあまり権力がない。それに保身的というのもあり、人間界にやってくる物好きはまずいない。…怪異に性別なんてあったんだ。それは初耳である。
温泉を楽しむ暇もなく、烏の行水のように体を洗い、そして何かあった時用に303号室に用意しておいたジャージを着た。これは私のデスクの引き出しの巾着袋に入っていたものである。いつもがジャージだったのでいつもの姿ということになる。髪を軽く拭いて善彦の部屋へと向かった。
私は急いだのだが、善彦の方が早く帰って来ていた。烏天狗の姿に戻っている。しかし、私が帰ってくると人の姿に変わり始める。人の姿に変わるのにも妖力が必要なのだと言う。そんな手間をかける必要があるのだろうか。
「別に元の姿でもいいよ。」
「怖くないんですか?」
と、善彦が首を傾げて尋ねる。私はまじまじと善彦の黒い目を見る。
「慣れた。」
人の形をしていない怪異の方が圧倒的に多いここで、そんなこと毎回いちいち気にしていられない。すでに慣れてしまった。
善彦は私の言葉を聞いてホッとしたようにだんだんと烏天狗の姿に戻っていく。いつものしっかりとした着物ではなく、寝間着の着物になっている。ふかふかとした羽が少し暖かそうだ。ぶるりと震えると、善彦がちらっとこっちを見た。
「髪は乾かしましょうよ。」
「どうやって?」
ドライヤーもないのに。
善彦は私に手招きをした。そして、ストンと布団の上に座らせられ、後ろに善彦も座る。どうやっているのかは分からないが髪に暖かい風が当てられ、髪を乾かしてもらった。するりと髪に指が通される。
「よく妹や弟の羽を乾かしていたのを思い出します…」
そうしみじみ言う善彦の声音を私は聞いていた。
「水遊びが好きなのに、自分じゃあ…羽を乾かせないんですよ。懐かしいなぁ…」
私は後ろを見ずに首を傾げた。
「会いに帰ればいいじゃん。」
「……」
沈黙が訪れる。これは言ってはいけないことだったのか。…まぁいいや。
「そう言うわけにも…いかないんです。さ、これで終わりましたよ。」
と、言われた頃には髪が完璧に乾いていて、いつもより指通りも良かった。
その後、私と善彦は布団を並べて寝ることになった。
布団の上に胡座をかいて座り、指を立てて善彦は偉そうに説教し始めた。
「いいですか。今回連れて来たものは良いものではありません。二度と同じようなことをしないでください。」
「私は、関係ないの。勝手に連れていかれただけだから。」
「…それでもですよ。本来ならあちこちを漂っている存在なのですが、今回は力のあるものの名を借りて降霊術のようなもので下ろされたのです。連れて来たのが、その力あるものじゃなくて本当に良かったと思いますよ。」
私は肩をすくめた。
「それが来たらどうなるの?」
「最悪の場合。僕たちじゃ対処できなくなります。契約を破ったのは琴遥の方ですからね。」
ため息をついて目を擦った。
「…気をつける。」
ごろりと布団に入って寝転がった。善彦は私の方を見下ろして言う。
「目を閉じてください。開けても別に良いですが、出ないでくださいね。今回は…」
今日は『鴉の子守り』で私を守ってくれるらしい。前回というのが思い出せないのだが、私はそれを飛び出たらしい。私の足元近くに温もりが感じられるから善彦が近くにいるのだとわかる。だから私はその温もりを頼りに目を閉じた。
音は聞こえないが、しばらくして目を開けると、薄暗い光だけが差し込む羽で作られたカーテンのようなものが私をすっぽりと覆い隠していた。
しばらくして意識が沈んでいく。何度が浮上と沈むを繰り返した。眠るに眠れない。あの猿顔がやってくるのだと思うと寝られないのだ。そのまま私の意識は沈んでいった。だが急に嫌な気配がして寝ているのか起きているのかわからない状況になる。
静かな善彦の声が聞こえる。誰かと話している様子である。次第に鼓動が早くなっていく。嫌な汗がじっとりと出て体が強張った。
善彦が一方的に話している気がする。もう一人はうんともすんとも言わない。
「…立ち去りなさい。」
そう聞こえた。すると嫌な気配が去り、ゆっくりとカーテンが消えていく。善彦が私の方を見ていた。
「まだ起きていたんですか?」
「……起きちゃったの。」
布団を顔まで持ってきて顔を逸らす。
「はぁ…まぁいいですが、奴は追い払いましたよ。」
私はそう言い首を掻いている善彦の方を見つめた。
「………ありがと。」
きょとんとした善彦は私の方を見た。だが私は目を瞑ってごろりと寝返りをうった。
生意気な琴遥ちゃんですが、彼女はまだ中学2年生。13歳の少女です…怖いもの知らずに見えますが、恐ろしいものはあるんです。