第三章 即位へと (1)
第三章
(1)
その会議は、秘密裏に行われた。出席者は、ワオフ王女、スリノア提督、以下、スリノアから派遣されている騎士五名である。
スリノア側が一年前から提案してきた内容に、わずかな修正を加える形で、ワオフ国の成立が確約された。主な内容は、国境の確定、ワオフの自治と自由の保障、友好条約、ワオフの絹織物の保護、などである。
「とにかく、ホッとしました」
深夜、会議の終わりに、ウェッジが満面の笑みをたたえた。
「大々的に、新王の誕生を国民へ知らせましょう。反対勢力の出鼻をくじくためにも」
「広場へ向いたバルコニーで、演説をするのがいいわ」
王女の提案は、ワオフの歴史に則ったものであった。王侯貴族のみで荘厳に行われる戴冠式は、ごく最近の慣習である。開放的であった昔、歴代のワオフ王子は城門のそばの広場へ民衆を集め、無礼講の祭りと共に即位を宣言したのであった。
「次の日曜まで、あと五日あるわ。これに間に合わせるよう、準備を進めましょう。明日一日、アイザックの息がかかっていないと思われる高官たちの所へ、私が直接、出向きます。従者はソフィア、あなたにお願いするわ。あなたさえいたならば、充分でしょう」
ソフィアは頬を紅潮させ、うなずく。
「明後日には、民衆に即位を発表してちょうだい。市場のメインストリートに、大きな立て札を。離れた集落には、私が長たちへ手紙を出します。幼い頃からの顔なじみも多いので、こちらは心配ないでしょう。今夜中に、全て書き上げてみせるわ」
これからの五日間、極度の繁忙が目に浮かぶ。提督は辟易したように、後ろ頭をさすった。だが、彼を満たしているのは、待ちに待った挑戦への高揚である。
「突然の話で、申し訳ないわね。このような提案で見通しが立つのも、あなたたちスリノア騎士がよく働いてくれていたおかげよ。なにより、提督の手腕があってこそね」
王女は言い、優美に微笑んだ。
あまりの柔らかさと美しさ、何よりこれまでとのギャップに、ウェッジは思わず息を呑み、見惚れた。このような強力な微笑で挑まれたら、どんな男もたちまち虜になりかねない。
大きな咳払いで、ソフィアが異議を訴えた。
ダナは次の日、精力的に動いた。
血気盛んなワオフの高官たちは、王女の笑顔に歓喜した。幼いダナに剣術を仕込んだ兄弟子たち、街で派手に鬼ごっこをした仲間たち、スリノアまで捕虜として共に歩いた男たち、活発の過ぎる姫を叱った老人たち。
食事の間をも惜しみ、ダナは彼らと語り合った。そして、抜け殻であった己を恥じた。皆、待っていてくれた。こんなにも、暖かく。
王宮の三階にある自室の傍まで戻った時には、すでに夜が更けていた。興奮と疲れで頭の奥がしびれ、夢うつつのようになっていた。しかし、部屋の入り口脇の床にだらしなく座り込む傭兵の姿を視界にとらえると、彼女は瞬時に覚醒し、胸を高鳴らせた。今日一日、彼の姿や気配が全くないことは、ふとしたときの彼女の最大の関心事であったのだ。
「ソフィア、ありがとう。ここでいいわ」
女騎士は、意地悪く笑んだ。
「王女は、盲目の傭兵がいたくお気に入りのご様子ですわね」
「からかわないで。私が気にしているのは、クリスのことよ」
とっさに吐いた言葉。そのあまりに真実から離れた空虚な響きにこそ、ダナは恥じらいを覚えた。彼女は振り切るようにソフィアと別れ、自室へ通じる扉へと近づいた。
ロックは、だるそうに壁にもたれている。長い足が無造作に廊下へ投げ出されていた。
「どこにいたのか気づかなかったけれど。お勤め、ご苦労様」
いびつな笑顔で、彼女はぎこちなく呼びかける。うまく笑えない。
いや、そもそもなぜ、何も見えていないはずの男に上手に笑んで見せようとしているのか。ダナは額に手をやった。どうかしている。
「もう、部屋へ戻って休んだら? まさか、一晩中、番をするつもり?」
「そのまさかだ」
床へ顔を向けたまま、男は低く答える。ダナは軽く目を見開いた。
「呆れた。そんなことをする必要が、どこにあるというの」
「王女が即位に向けて動き始めたことは、すでに噂になっている」
ロックは相変わらず、興味なさげに言い捨てた。
「昼間は、あの女騎士が護る。俺はその間寝て、夜を護る」
ダナは、しばらく、この傭兵を見下ろした。
痛んだ黒い髪。無精髭。猫背と、目元の包帯。倦怠感漂う動作。
おもむろに息をつき、彼女は静かに告げる。
「ねえ。私、わかっているのよ」
男は無反応だ。
そうよね。
ダナは苦笑し、肩をすくめた。
「安心して休ませていただくわ。おやすみなさい」
静かに閉じた扉が、二人を隔てた。