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第二章  南国からの傭兵 (2)

(2)


 その日は自室で一晩を過ごし、ダナは頭を冷やそうとした。しかし、彼女の半生の記憶が怒涛のように押し寄せ、横になってはいても目は冴えるばかりであった。これまで振り返ることをしなかった、苛烈に苦い出来事の数々は、静かな涙を誘った。彼女が涙を流したのは、一年前の異国の地でのことが最後であったが、そのときの激情の欠片とは全く異なる、浄化の涙であった。長く強張ってきた顔の筋肉や肩から、涙とともに力が抜けていくようだった。深夜、彼女は溶けるように眠りについた。

 次の早朝、ダナはぼんやりと目覚めた。深く眠ったような、夢であくせくと現実をなぞったような、不思議な目覚めであった。

 起き上がったまましばらく空白の時間を過ごした後、彼女ははじかれたように寝床を飛び出した。ソフィアがやって来る前に、部屋を出ようと思ったのだ。慌しく身支度を整え、傭兵が滞在しているはずの部屋へ向かった。万が一のため、愛用の細剣を腰にくくりつけた。

 「ロック殿」

 呼びかけとノックには、大きな勇気が必要だった。ダナは想い人への糸口を失いたくない一心で、己の背中を押したのだった。

 「朝早くに申し訳ないけれど、どうしても聞きたいことがあります」

 ところが、いくら扉を叩いて待っても、男は出てくる気配がない。

 こんな早朝から、盲目の男がどこへ行ったというのか。城に滞在する者のための朝食が、食堂で準備されるのだが、それは一時間も先の話である。女中からそのあたりの説明は受けているはずだった。

 ダナは少女のような感情の高ぶりに身を任せ、強行突破を試みた。あの薄汚い男が一人で眠っているかもしれぬ部屋へ踏み込むなど、通常では考えられなかった。試しに体重を預けて扉を押すと、拍子抜けするほどあっけなく開いた。鍵がかかっていなかったのだ。

 彼女は傭兵の無用心さに呆れると同時に、部屋の様子を見て愕然とした。寝台の脇に申し訳程度に置かれている小さな荷物の他に、男の痕跡は皆無であった。

 「一体、どこに?」

 苛立ちから、思わずつぶやく。さすがに荷物を漁ることはできなかった。無用心に置いてあるくらいだから、漁ったところで痕跡など何も出てこないだろうという確信もあった。

 仕方なく、ダナは提督の執務室へと足を運んだ。ストーラム夫妻は、城の近くに別邸をかまえてはいるが、いつも早朝にはここへきており、朝食も城の食堂でとることが多いのだった。

 「あ、王女!」

 執務室では、ソフィアが怒りに燃えていた。部屋まで迎えに上がった相手が行方不明とあって、この女騎士は夫の前で意味もなく、室内をグルグルと歩き回っていたのだった。

 「あたしの立場も考えてください。とんでもないおてんば姫だわ!」

 「ロック殿と、二人きりで話をしたかったのよ」

 目をそらして言い訳しながら、ダナは昔を思い出した。よくこうして叱られていた、少女の頃を。

 「彼がどこにいるか、知らない?」

 「さあ。王女の身を護るのが仕事なのに、王女が探しても見つからないだなんて。本当に信頼できるのかしら」

 ウェッジが名を呼び、ソフィアをたしなめた。提督は、王女が信頼した男を妻が侮辱することで、王女を不愉快にさせてはならぬと考えたようだ。

 ダナは苦い想いを飲み込んだ。彼女自身も、あの傭兵が信頼に足る人物であるという確信をもっているわけではない。危険因子を客人として城へ招き入れた結果、何か不測の事態が起きたとしたならば、それは王女の責任であった。それを重々承知していながら、彼女はそれでも、手前勝手な我侭を通そうとしている。生きているかも知れぬ想い人へ、行き着くために。

 「お願いよ、ウェッジ、ソフィア。私にとって、クリストファーのことは、人生に関わる重大なことなの。だから、今日一日だけ、自由に行動させてほしい。お願い」

 思いがけず、子どもが母に何かをねだるような、愚直な声色になった。

 つい今まで怒りを散らしていたソフィアは、出鼻をくじかれたかのように、困惑しきった顔でウェッジを見た。

 「王女」

 ウェッジは妻のその様子を見て、笑いをこらえながら言った。

 「ソフィアも私も、純粋にあなたの身を案じているのです。それは、お解かりいただけますね?」

 くすぐったさを覚え、「ええ」と顔を背けるダナ。ウェッジはいよいよ笑い出し、おどけたように言った。

 「それならば、武神の名を授かる貴女の腕を信頼して、今日一日は執務に専念いたしましょう。ソフィア、いいだろう?」

 ソフィアはしぶしぶと、首を縦に振った。

 こうして自由を得たダナは、あらためて腰に細剣を帯び、薄汚い猫背を探し歩いた。そう広くもない城内を午前のうちに回り終え、再度彼の部屋を訪ねた。が、やはり人の気配はない。

 「どういうこと?」

 苛立ちを隠せず、ダナは昼食もそこそこに食堂を出た。そこで聞けたいくつかの目撃証言によると、傭兵が城内にいることは確かなのだった。それも、彼女とそう離れていない場所に。

 彼女はふと、装飾品の置かれた踊り場で、立ち止まった。

 「私を護るのが、仕事」

 口の中でつぶやき、階下を振り返る。

 誰もいない。

 そのまま、ダナは階段を上りきった。一息つき、踵を返す。彼女はスカートを持ち上げて一気に階段を下った。

 「道理で見つからないわけね」

 踊り場の端。上からの死角となる壁に、もたれるように立つ、長身で猫背の傭兵。昨日と変わらず、面倒なことは一切御免だという気だるさで、両腕をだらりと下げたままだ。

 ダナは心底呆れた。王女に気づかれぬように護衛をする必要など、全くないはずだった。面白がっているとしか思えない。まるで、遊びがてらダナを試すかのように。

 しかし、なぜだろう。ダナは呆れただけで、怒りを覚えることはなかった。それどころか、まるでソフィアと剣を合わせているときのような、心地よい高揚があった。彼女は不敵に微笑し、腰に手をあて、あさっての方へ顔を向ける傭兵へ言い募った。

 「ずっと、私をつけていたなんて。負けたわ」

 「仕事だ」

 相変わらずの投げやりな、聞き取りにくい声。

 「とにかく、あなたに聞きたいことがあります」

 焦燥を堪え、ダナは毅然と告げた。

 「私の部屋まで、ご足労くださる?」

 男は、応えない。

 「ロック殿。あなたも私がずっと部屋へこもっている方が、仕事がしやすいのではなくて?」

 やはり応えない。ダナはめげずに問うた。

 「クリストファーは、元気にしているのですか?」

 「依頼主のことは、一切答えられない」

 ダナはそれでも、食い下がる。

 「少なくとも、生きてはいるのですね?」

 「死人がサインをできるか」

 「なぜ、彼はあなたにこんな依頼を?」

 再び黙るロック。ダナの胸に、幼稚な感情が沸いた。

 「教えて」

 王女の堅い声に不穏なものを感じたのか、傭兵は顔だけ彼女へ向き直った。が、態度を変えることはなく、沈黙を続ける。

 「……教えてくれないなら、こうよ」

 ふてくされた少女のように、ダナはスカートを翻した。

 足早に階段を下りる。一定の距離を保ったまま、隠れるように、ロックはついてきた。盲目とは思えぬ動きを背に感じ、ダナは素直に舌を巻いた。あわよくば彼を撒いて、一泡吹かせてやろうかという目論みもあったが、それは容易ではなさそうだった。足を悪くしている老人のようにも見えた傭兵は、しかし、かなりの身体能力を有するようだった。

 やがて、ダナは目的地である城門へとたどり着いた。小高い丘の上に築かれた城からは、一本の太い街道が整備されており、城下の繁華街へと続いている。遠くのそこで行き交う人々の姿が目に映り、不意にダナの胸が熱くなった。あの繁華街の一部は、つい一年前の戦乱で焼けてしまったのだ。それなのに、民は明るくたくましく、復興と生活を続けていた。

 ダナは一旦足を止めたが、すぐに歩みを再開させ、門をくぐろうとした。

 すると予想通り、ロックがぐんと距離を縮めてきて、彼女の褐色の腕をつかんだ。

 「おい。どういうつもりだ」

 すました顔で、ダナはやんわりと男の手を解かせる。

 「見ればわかるでしょう。外へ出るの」

 「頭でも打ったか」

 ダナの顔に、自然と会心の笑みが浮かんだ。

 「あなたが護ってくれるならば、どこへ行こうと安全よ。違うの?」

 髭の頬が、ぴくりと動く。

 「どう? クリスのこと、話す気になった?」

 ロックは黙った。予想通りに。

 笑みがこぼれるのを、抑え切れなかった。ダナは輝く風のような興奮を胸に、繁華街へと続く丘を下る。

 猫背の男は、影のごとく王女に付き添った。


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