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第一章  王不在の地 (2)

(2)


 ウェッジ=ストーラムは、彼の執務室でデスクにつきながら、苦悩の中にいた。

 彼はまだ26の若きスリノア騎士であったが、スリノア王よりワオフ再建を命じられた最高責任者、提督である。かつての奪還軍では副指揮官を務め、その情報収集力と采配の知で、王子と英雄を助けた。その功を受けての大抜擢であったのだが、王の意向に沿った望ましい進展のないままに、早くも一年が過ぎようとしている。

 「また、眉間にしわが寄ってる」

 出し抜けにノックもなしに部屋へ入ってきた彼の妻、ソフィア=ストーラムが、明るく笑って指を差してきた。彼女の存在が飛び込んできただけで、閉塞感が霧散し、何も解決したわけではないというのに、なぜか安堵してしまう。ウェッジは不思議な力をもつ妻へ苦笑して見せ、仕事机にひじをついた。

 「王女は見つかったか?」

 「ええ。予想通り、武神の間にいらしたわ」

 ソフィアは応接用の椅子に、身を投げるように腰掛けた。

 「きっと、懐かしいのよ。話によると、ワオフの最盛期、王女は毎日のようにあそこで男たちに交じって手合わせをしていたそうよ。笑い声の絶えない、まるで騎士の詰め所のような所だったのでしょうね」

 一気に言い終え、彼女はふう、と息をつく。決して暗い顔を見せない妻へ、ウェッジはそっと、ささやいた。

 「すまない」

 ソフィアは会話のとき、いつもさばさばと切り返す。

 「何が?」

 「早くスリノアに帰りたいだろうと思ってな」

 「またその話?」

 「君を連れてきたことを、僕は」

 「正解だ、と思ってる」

 ソフィアは不敵な笑顔で、彼の言葉をさえぎった。

 「そうでしょ?」

 ウェッジは、両手を挙げて降参の意を示した。苦笑とともに、おどけた台詞を口にする。

 「はい、その通りでございます」

 「よろしい!」

 彼女は身軽な動作で立ち上がり、軽く腕を広げた。

 「ウェッジ。こんなところで座ってばかりいるから、気持ちが塞いでくるのよ。たまには手合わせでもして体を動かしましょう。いつでも相手になるわよ」

 「ああ。そうだな」

 しかし彼は、机から離れようとはしない。元々慎重で理論派の彼だからこそ、ソフィアの明快な行動力や積極性に助けられることが多いのだった。

 「まったく。少しは王女を見習ったらどう? 気持ちが塞ぐときは、体を動かすのが一番なのよ」

 口を尖らせるソフィアへ、ウェッジはからかうように問うた。

 「ソフィア。最近、君の王女に対する態度が、以前とは違うように思えるが。何かあったのか?」

 「それを言うなら、お互い様でしょう」

 面白がるように、ソフィアは目を細めて夫を見た。

 「あなただって、最初は嫌々だったくせに。今は、必死に彼女を即位させたがってる」

 ウェッジは茶色の短髪を左手でなでながら、背もたれに身をあずけた。照れや恥じらいといったものを覆うために、彼は苦々しく微笑した。

 「ワオフに対する差別意識はないつもりだったが、あの王女の第一印象ときたら、ひどすぎたからな。まるで、不気味な褐色の蝋人形だった。一年かけて、ようやく人となりが分かったよ。彼女は、王にふさわしい」

 「ベノル様が惹かれ、無理やりに結婚された理由も、今ならちょっとだけ分かるような気がするわね」

 「いいや、それは僕にはまだ理解できない」

 突然堅くなったその声に、ソフィアが「あらら」と肩をすくめる。しかし、彼女は知っていた。夫は英雄ベノル=ライトを盲目的に敬愛しているが故、その彼を一時とはいえ転落へ追いやったことについては、王女を許せていないのである。

 「まあ、そうね。ベノル様ともあろう方が、あんなになりふり構わず愛し抜こうとしたのには、別の理由があるようにも思えるわ。王女に聞いてみたいわね。絶対に聞けないけれど」

 「そんな恐ろしい真似、一体誰ができるって言うんだ」

 渋い顔で、ウェッジがため息をつく。

 「とにかく今は、彼女が決意してくれる時を待つのみだ。即位するための環境は、全て、この一年で整えた。ワオフの民に必要なのは、あとはカリスマ性のある指導者のみだ」

 「それなのに、頭でっかちな中年男が不穏な動きを見せている」

 ソフィアは不愉快そうに顔を歪めた。

 「なんなのよ、あいつは」

 「彼はいくつもの政策を、先王の下で成功させてきた。食えない男だよ。民からの信頼も、なかなかのものだ」

 だが、時代が選んでいるのはダナ王女だ、とウェッジは確信している。願わくば、王女の下で、あのような男に辣腕を振るってもらいたいのだが。

 「早く王女をその気にさせないと、またワオフが乱れてしまうわね」

 「だが、もはや打つ手はない。王女が心を許しそうな人物は、全てぶつけてみた。誰がどんなに説得し、懇願しようとも、彼女は動かない」

 ウェッジは辟易し、また眉間にしわを寄せる。即位の必要性をどんなに論理的に説明しようとも、王女には全く響かないのであった。あとは感情に訴えるしかないわけだが、彼女の心は恐ろしく頑なであった。彼女が即位の何を拒んでいるのかを、ウェッジは辛抱強く観察し分析してきたのだが、導き出された答えは、ひどく単純で望ましくないものであった。彼女は察するに、即位を拒んでいるというよりも、生きて前を向くことそのものを拒んでいるのである。

 そうなると、まずは悲劇の王女に、生きる糧を見出してもらわねばならない。そのきっかけが、民への慈しみや王族としての責任感ならば、もちろん言うことはない。しかし、全く別の何か、例えば恋愛や友情などでも一向に構わぬわけで、ともかく彼女には何かしらの転機を与え、即位を決意してもらわねばならぬのであるが。

 万策が尽きた感のある今となっては、王女の絶望の谷の深さをただ見下ろし、呆然と立ち尽くすことしか、彼にはできない。

 そもそも、とウェッジは結局、あまり考えたくない事実に思いを馳せることになるのだった。あの英雄ですら救うことのできなかった悲劇の王女にもう一度希望を抱かせることなど、一体誰にできるというのだろうか、と。


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