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第四章  真紅の輝き (2)

(2)


 ダナは、広場の周囲から剣を片手に駆けてくる者達を、馬車の上に立ったまま視界に捉えた。

 「来るわ」

 ぞくりとしながら、己に言い聞かせるようにつぶやく。ここから先は戦場の武将のごとく、威厳と覚悟を。そして、人の心へ訴えかける、少しばかりの情を。

 彼女は足元の傭兵と騎士たちに命ずる。

 「私に勝利を!」

 そして、今度は民たちへ、不敵に宣言する。

 「さあ、ここは戦場になるわよ。勇気ある者だけ残りなさい!」

 勇ましく馬車を飛び降りる。民衆は王へ道を開けた。目指すは、城内のバルコニー。民の心をつかんだ今、辿り着ければ圧勝である。

 早速、ダナたちは敵に包囲された。スリノア騎士たちが後方を護り、ダナ自らが傭兵と共に斬り込んでいく。量る針があれば振り切れてしまうであろうほどに、昂ぶり、胸が焦げる。傭兵の凶悪なまでの猛々しさは健在で、彼女は羨望と嫉妬を抱かずにはいられない。同時に、この男と並んで障害を次々と乗り越えていく小気味よさが、まるで渇きを癒していくようだった。

 今更ながら、彼女は初恋の彼へ別れを思う。あなたの代わりを見つけてしまった、と。

 ワオフ族の民衆は、大混乱の剣戟を歓声で迎えた。布やら水やら、物が飛び交う。ダナへ剣を振り上げた男の顔面には、子供の投げたトマトが炸裂した。噴水の淵に立ち拳を上げた小さな勇者に、ダナは極上の笑みを贈った。

 「王女! 城から多数の兵が来ます」

 ウェッジの声を背後に聞き、さすがに冷たいものが背中を伝った。予想を上回る苦戦だ。

 身支度を整えてからここへ乱入するまでの間に、助太刀を乞える者への伝令をできる限り飛ばしたつもりだ。自ら赴いて支障なさそうな邸宅へは、時間が限られていた故に二、三ではあるが、早朝にも関わらず訪ね歩いた。しかし、王女の即位を数時間後に控えたその時に、なんの証明も持たぬ一行に時間を割こうとする者は誰一人としていなかった。ダナにできたことといえば、その場で簡単な文をこしらえ、応対した使用人に、どうか主へ渡すようにと願うことのみであった。

 剣に心得のある味方が、誰でもいい、駆けつけてくれぬものか。それを期待してはならないとソフィアに言い含めたのは、他ならぬダナ自身であった。気を強く持たねばと、口の端を吊り上げる。

 押し寄せた敵の一団によって、保っていた八人の陣が崩れた。

 城の入り口へ向かう直線を外れ、ダナは防御に徹しながら後退した。隣にあった傭兵が苛立つように息をつく気色を感じた。ダナが気後れするより早く、傭兵は自分達を執拗に囲む敵のうち五人を、巧みに引き受けてダナから遠ざけた。それでも、腕のある二人が彼女に刃を向けることとなり、彼女はぐっと剣を握り直す。あの傭兵が昨夜のように、ダナを守るべく得物を手放すようなことにならぬよう。

 「姫さん!」

 聞き覚えのある声と共に、剣閃が敵を凪いだ。

 幼い頃から、兄のように彼女を守ってきた五人の男たちが、駆けつけたのである。

 「やってくれるな、こんな即位式! 姫さんらしいぜ」

 ダナは心底安堵しながら、それを態度には出さなかった。凛と響く声で、彼らに命じる。

 「私に、勝利を!」

 私があなたたちを守る力を得るために、どうか今、私を守って。

 短い命令に込められた切なる想い。絆深き男達にはきっと伝わっただろうと、ダナは彼らの士気の高さから感じ取った。心強い味方によって、彼女は辛くも城門の傍まで辿り着く。

 門を護るのは四人。見覚えのある手練れだ。民の手前、不敵な笑みを浮かべてはいるが、ダナの胸にスリルを楽しむ余裕はない。

 「危ない!」

 誰かの鋭い警告に、はっとする。門の番人に気を取られていた。背後からひときわ大きな露店が崩壊してくる。避けようとした足元へ、転がる果実がまとわりついた。

 「…!!」

 声にならぬ悲鳴を上げる。木材や幌が彼女を襲った。たまらず倒れ込む。剣が手を離れてしまった。覆う幌、狭い視界。すぐそばにあるはずの細剣を探すため身を反すと、つい一瞬前まで己の身があった土の上へ、幌を貫いた槍が突き刺さる。

 飛び交う怒号。いつ幌を貫いてくるか分からぬ刃の恐怖が、王女を急きたてた。彼女は土埃に咳き込みながら、剣を探すことも忘れ、脱出の光を探して地面を這った。ワオフの正装は上質な絹織物の男装であったが、それでも、膝が荒れた大地に擦れて熱くなる。同時に、はぐれた傭兵と仲間たちを想った。いつの間に友人のように通じ合ったソフィアは、無事だろうか。合理の過ぎる、しかしどこか憎めない若きスリノア提督は。そこまで思い至ったとき、彼女は這いながら何かにぶつかる。幌ごと貫かれた、戦士の遺体であった。

 強張る彼女の耳のすぐ脇を、鋭い音と共に槍が抜ける。

 血の臭いにむせ返りながら、ダナは涙を浮かべて方向も分からずに這い回った。激しい呼吸の合間に、小さな嗚咽が交じるのを抑え切れなかった。こんな最期は我慢ならない。せめて剣士として、堂々と渡り合ったあとの敗北の死を。負け武将として、覚悟ある処刑を。自害も許されず、名誉ある最期も許されず、結局はこのような場所で無残に串刺しになるのが末路か。誰も救えず、思いは届かず、この身に残るものは何も。

 「ダナ!」

 それは突然響いた。

 彼女を何よりも揮わせる、よく通る澄んだ男の声。

 息を呑む。そう遠くは離れていない。

 「ダナ!!」

 迷わず、彼女は声の方へ急いだ。絶望に身を委ねかけたのはつい今さっきだというのに、この声の主の隣に立てるのであれば何もかも捨てて構わないと思った。そうした欲望にも似た情熱は、たちまち彼女を突き動かす。這うための手や膝が焼けそうに熱くとも、戦士としての矜持を折り曲げようとも。

 幌の大きな裂け目から、光が射していた。意図的に裂かれた穴だ。土埃を徒に照らす日の光。その向こうで待っていた男の腕の中へと、ダナは迷わず飛び込んだ。

 「みんなは、みんなは無事なの!?」

 周囲の目も憚らず、今にも泣き出しそうな王女。

 傭兵は、彼女へ己の剣を握らせようとした。低く、くぐもった声で、明後日の方へ顔を向けながら諌める。

 「王なら、毅然と剣を構えろ」

 言葉の内容は厳しいものだった。が、彼女の手を取り剣を押し付けた手つきには、情が溢れている。ダナは目が覚めたように、表情を一変、凛と結んだ。やや大振りの剣を、ぐっと握る。

 傭兵は彼女の様を肌で感じ取ったのだろうか。口元をわずかに緩めると、背後に忍び寄っていた敵を蹴り上げ、その手元から流れるように剣を奪った。

 「行くぞ」

 相変わらずの低い声が届いたはずもなかったのだが、それを合図とするかのように、馬の嘶きが二人の傍を駆け抜けた。

 ウェッジとソフィアだ。

 二頭の馬は門番を蹴散らし、城内へと突っ込んでいく。

 「姫さん、ここは任せて、行け!」

 男たちの声。もはや城門にダナを阻む者はいなかった。

 彼女は傭兵を伴い、知った城内を駆け抜ける。扉を、廊下を、階段を。そしてついに、最上階のバルコニーへ、視界が開けた。

 馬から降りた提督夫妻が、スリノア騎士が賜う剣を油断なく突きつけ、反逆者を追い詰めていた。

 「アイザック!」

 ダナは王者の貫禄をもって、その名を呼ぶ。

 男は、不気味に、ほくそ笑んだ。

 「王女。私は忌まわしい運命へ、一矢報いてやりますよ」

 彼は最後まで、剣を手にすることはなかった。胸元から取り出した小瓶を開け、中身を口へと流し込む。

 「神よ、やれるものならば私を罰してみるがいい」

 アイザック=シーラは、呪いのような言葉を残し、崩れ落ちた。

 絶命した彼を、ダナは沈痛な面持ちで見つめる。これは私が辿る道だったのかもしれないのだ、と。運命に絶望し、かといって静かに死んでいくこともできなかった、行く宛てを失った者。救う者が現れなければ、着く果ては同じであった。

 「さあ、王女」

 スリノア提督が剣を収め、バルコニーへとダナを促す。

 彼女は一歩進むも、思い出したように振り返った。黒曜石のような瞳の、切実な光。その中には、ここにきてまで全てに興味なさげな、盲目の男。

 「ねえ、お願い。あなたの大切なものを、なんでもいいから私に預けて」

 傭兵は、意味がわからないと言いたげに、わずかに肩をすくめた。

 「必ず返すわ。今夜、必ず。なんでもいいの」

 ウェッジが苦笑とともに、一人の女の願いを理解した。

 「王女。私が約束します。ロック殿から、決して目を離しません。必ず今夜、あなたの元へお連れします」

 ダナは不安そうに、もう一度、傭兵を見やった。

 男は、応えない。

 しかし、思い返す。この男が彼女の期待や願いを裏切ったことは、なかった。

 一呼吸の後、ダナは王の威厳をもって民の前へと向かった。


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