第四章 真紅の輝き (1)
第四章
(1)
爽やかな晴天の午前。王の誕生を心待ちにする大勢の民衆が、広場へ詰めかけていた。
露店の店主たちは、稼ぎ時と声を張る。遠方からの客人たちが、珍しい品々を土産に購入した。子供たちは祭りの興奮に走り回り、老人たちは、日差しを遮る露店の幌の下で談笑している。
王女の宣言は、九時よりと立て札にあった。時刻がせまった今、広場に収まりきらない人々は、中央にある噴水の淵や、そこに木陰を作る大木の枝に腰掛けてまで、城からせり出すバルコニーを見上げている。
早朝に城へ入ったアイザック=シーラは、これから自分の民となる者たちを、慈しむように窓から眺めていた。
昨夜、王女が逃げおおせたらしきことは、彼にとって手痛いミスである。混乱の中で死亡してもらうのが、一番、スリノアに説明しやすかったものを。後日、自殺にみせかけて始末するしかなくなってしまった。
三階から飛び降りたというが、死体が見つからなかった以上、しぶとく生き延びていると見ていいだろう。スリノア側の騎士たちが行方不明なのも、懸念事項ではある。
しかし、たった一日で反撃に出てくることは考えにくい。深夜に逃げおおせたばかりの王女がスリノア側と連絡をとる術など、ないに等しい。王女を支持する勢力をまとめあげるには、あまりに時間が足りなかったはずだ。現に、広場の片隅には、何も知らぬ様子の王女側の人間が幾人も見受けられる。万一、邪魔が入ったとして、城の至る所や広場に配置した兵たちを、退けられるはずがない。不満を持つ高官がいたところで、今日、この日を押さえ、民衆に訴えかけることさえできたならば、彼の地盤は揺るぎないものとなる。
勝った。
彼は満足に笑む。自ら剣を取らずとも、こうして勝利することができるのだ。私は、正しかった。
アイザックは、興奮を胸に、その時刻を迎えた。
九時。そして、刻々と時が過ぎる。
民衆に不安が広がる。
ざわめきの中、彼は堂々とバルコニーへ出た。
「皆の者。残念な報せがある」
高らかに言った後、彼は目を疑った。
悲鳴と、軽い混乱。ひしめく人々を掻き分けるようにして、数頭の馬と馬車が広場へと突っ込んできたのだ。それは噴水の傍で急停止した。
「残念なのは、シーラ殿、貴公の方ですよ」
先頭の馬にまたがるスリノア提督が、優雅に鞘を払い、剣の切っ先をバルコニーへ向ける。
「昨夜王女が追いやられた城内に、貴公がまるで主のようにいらっしゃるとは! 言い逃れはできませぬぞ」
馬車から、正装した褐色の美女が飛び出してきた。
まさか。アイザックは体中から血の気が引くのを感じた。こんな強引な、こんな単純な策が、成ってしまうというのか。
王女は馬車の屋根へと華麗に上がり、勇ましく剣を掲げた。
「皆の者! 我こそワオフの勇士、我こそワオフの王!」
今や、民衆の視線は、バルコニーよりはるかに低い、馬車の上へと注がれていた。
「今この瞬間より、ワオフの繁栄を誓おう! もはや恥辱も苦しみも過去のもの。私の民は、誇り高く、幸福である!」
嵐のような、熱狂と歓声。
立場をなくしたバルコニーの男は、呆然とよろめいた。
彼にとって、目の前で起きている現実は、全て、王女に都合の良すぎるものであった。悪夢でも見ているのだろうか。抜け殻であったはずが突然覇気を取り戻し、三階から怪我もなく難を逃れ、スリノア提督たちとなんの苦もなく再会し策を練り、広場の民衆の支持を疑うことなく虚を突いて登場し、喝采を浴びる凛々しい王女。
全てが彼女を救い、全てが彼を裏切った。
その要因を、彼は考えない。時代が王を選ぶなどと、認めるわけにはいかない。ましてや、神の加護の存在なども。どれもが、彼を無力に追い込んできた、強大で禍々しい何かであるのだから。
彼は最後の憎しみで、城内の配下へと怒鳴り散らす。
「あの女を止めろ。さもないと、私共々、反逆者として磔になるぞ!」
己の全てを賭して手に入れようとしたものは、何であったか。アイザック=シーラは、首から下げた小瓶を、潰すように握り締めた。