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第三章  即位へと (3)

(3)


 「アイザックには、歩み寄りの話をしたの」

 夜、ダナは城へ戻るまでの道中、馬車の中でソフィアに話した。

 「私は確かに、民や武将たちから支持を得ているかもしれない。でも、政治に関しては素人だわ。父のもとで信頼されていた彼に、即位した後、助けてもらえたらと思ったの」

 目を瞠るソフィアに、ダナは怜悧に笑んで見せた。

 「この地を守り、繁栄させていくためなら、なんでもすると決めたのよ。私一人の力では、限界がある。多くの人間の力を取り入れて、活かしていけるようでなければ」

 しかし、アイザックは応じなかった。不気味に、微笑の沈黙を続けた。そのうちに、ダナの体がしびれ始めたのであった。悲鳴を上げるのがあと一呼吸でも遅れたら、彼女の命はなかったかもしれない。

 「彼は、私を憎んでいるわ」

 ぽつりと、ダナはつぶやく。

 「わかるのよ。行き所ない、負の感情。手っ取り早いのは、誰かのせいにすること。本当に憎むべきは、違うものなのに」

 彼女の脳裏には今、忘れようと努めてきた一人の男が、いる。

 スリノア随一の貴公子と名高い彼の細かな容姿は、彼女の目蓋の裏でひどく不鮮明だ。品良く切りそろえられたブロンドに、緑の双眸。記号のように味気なくしか彼を振り返ることができぬ理由は、よく承知している。彼女にとって彼は、理不尽に彼女を弄ぶ運命そのものだった。どれほど憎んでも足りぬほどに、ただ憎悪をままにぶつけるだけの対象であった。

 「もう、理屈や論理は通用しない。どちらかが滅ぶまで、やるしかないわ」

 城内へ入り自室へ近づくと、ソフィアは逃げるように去っていった。ダナは、扉の横で足を投げ出している傭兵へと、ささやくように声をかけた。

 「昨夜は、ありがとう」

 無反応である。

 ダナは微苦笑した。この男と話したいことは、山ほどあった。彼女は彼が渡り歩いてきたに違いない激動について、切なるほどに知りたかった。それから、自分という女が、この男に今、どのように受け止められているのかということも。

 しかし彼は、多くを語ることを望まないにだろう。じわりと広がる甘い気持ちを諦め、ダナはそのまま扉を押した。

 「待て」

 低い声が、彼女の足を捕らえた。

 「今夜は、手の届く場所に剣を置け」

 王女は何も問わず、ただ言われた通り、愛用の細剣を枕元に置いた。寝間着には着替えなかった。


 反王女派が密かに蜂起したのが、見事な三日月の浮かんだこの夜のことである。

 アイザック=シーラは参加していない。彼は城から離れた自宅で、即位演説のシナリオを書いていた。表立って暴れたのは、武や戦に多少の心得のある、そそのかされた高官たちとその部下である。

 ワオフ城は深夜、大混乱に陥った。不幸にも城に滞在していた王女側の人間は、逃げ惑うより他なかった。死者が二十数名に留まったのは、奇跡的と言える。

 王女はというと、喧騒が応接間へなだれ込んできた時には、すでに剣の鞘を払っていた。ランプを点け、果敢にも自ら寝室を出る。

 ランプにぼんやりと照し出される、応接間の様子。複数の男たちが、抜き身の剣を持ち入り乱れていた。その中心にいるのは、やはりあの傭兵である。ビリビリと音をたてても不思議ではないほどの覇気。一対多勢にも関わらず、誰も斬りかかれない。距離を保ったまま、ためらい足で囲むだけである。

 今まで何人斬り伏せて、恐怖を振りまいてきたのだろう。ダナは武者震いした。

 「王女だ!」

 一人の声が、男たちを浮き足立たせた。

 一番近くにいた男が、斬りかかってくる。ランプを脇の棚に置き、ダナは討ち迎えた。味方である傭兵の覇気は、彼女を熱く高揚させていた。

 向かってくる男が彼女の相手にならぬことは、気迫と身の運び方ですぐに判断できた。彼女は昂ぶる身を制御しつつ、努めて冷静に剣をふるった。この雑兵を剣で貫くまでに、彼女はいくつもの断末魔の悲鳴を聞いた。

 余裕の垣間にちらりと視線を投げると、薄闇の中、曲刀が頼りない月光を反して煌めいていた。しかし、柔らかく青白いはずのその光は、振るう主の命を帯びてかどこか凶悪に凍てついている。さほど筋骨隆々とした様ではなかった傭兵の腕は、ダナが推し量った通り、全てを叩き斬るような剛力を持たぬはずであったが、しかし、いとも容易く敵の四肢を断ち、切り伏せていく。

 一切の無駄をそぎ落とした動きから生まれる、粗野で無骨な剣戟。おおよそ華麗とはかけ離れた彼の振る舞いに、ダナは目を奪われた。なんと猛々しく、そして同時に、冷徹なのだろうか。スリノアで呑気に暮らす者どもは、この男をおそらく「野蛮」と称するだろう。その言葉で貶められてきたワオフ族の王女でさえも、引き込まれるほどの、荒さ。

 まるで、慈しみの欠けた戦神のようだ。この等しく死を与えんとする神ならば、彼を信じる者に自害をも許しそうであった。

 胸が詰まったそのときに気づいた、かすかな衣擦れの音。凄惨な修羅場にあってその音を聞き分けられたのは、それが唐突に彼女から近かったせいだ。

 息を呑む間もなく、反射的に右前方へ細剣を向ける。

 気を遠くへ遣っていた愚かな王女へ下ろされた刃は、男女差も相まってずしりと重い。なんとか受けたものの、それは咄嗟のことに体勢の整わなかった彼女をよろめかせた。好機を逃さず斬り返される刃。ダナは瞬時に、失うならば左腕がよかろうと身をよじった。間に合うかどうかは賭けだった。肩口から深々と傷を負い、それが肺を壊すことになれば、この状況ではもう命を奪われたも同然であった。

 瞬時の鈍い音が、それを阻んだ。

 その直前に空を切った鋭い音も、ダナはしかと聞いていた。王女を亡き者にするはすだった雑兵の首に、水平に突き刺さるそれは、あの三日月のような、凶悪めいた曲刀。

 細剣を構え直しながら、その主へ視線を向けずにはいられない。得物を鋭く放った腕はすでに油断なく引かれていた。しかし、彼を取り巻いていた刃が降りかかるのを受ける術は、もはやない。

 ダナにとって生きた心地のせぬ、ゆったりとねじれた時間が流れた。

 彼を失うくらいならば、左腕など要らなかった。

 刹那によぎった愚かしい激情。

 それを嘲笑するかのように、数刻後、傭兵は相変わらず掴み所なく気だるそうに、無事で立っていた。

 彼は曲刀の鞘で最初の太刀をやり過ごすと、壊れたそれを迷いなく手放し、そばにあった応接ソファの背にかけられた布を素早く剥いだのだった。女一人が横たわるに敷くほどの面積のそれを、見る間に絞って両手に収めた矢先、何事かとたたらを踏む雑兵へ肉迫し、背後からその首を絡め取る。流れのまま、彼は一息に不自然な向きへと力をかける。人の首が折れる音を、ダナは初めて聞いた。彼は背後からの敵と布ひとつで巧みに渡り合ったのち、隙をみて、首をへし折られた雑兵の剣を拾い上げた。用のなくなった布を、広げて敵へ放る。視界を妨げられる恐怖に、剣を凪いで布を断ち切るが最も一般的で、また致命的な対処法であった。凪いだ切っ先が下りたままの体勢で、雑兵は防ぎようもなく首から鮮血を迸らせた。

 「きりがない」

 ぼやきながら移動してきて、傭兵はダナを護るように立つ。その猫背の向こうで、新たな敵の集団が部屋へなだれ込んできた。

 「一旦、退くぞ」

 ダナは眉をひそめ、乱れた息の間で問うた。

 「どこへ?」

 「寝室の窓を開けろ」

 彼女は言われるままに寝室へと駆け戻り、ベランダへ通じる窓を開け放った。

 その間、傭兵はまた何人かと切り結び、その遺体を応接間の方へ、慈悲や弔意の欠片もなく乱暴に蹴り飛ばした。間髪入れず、扉で喧騒を隔てる。粗末な申し訳程度の鍵をかけ、彼はダナのそばへ寄った。

 「出るぞ。必要なものを持て」

 言われずともワオフの正装を抱えていたダナは、高い声で問う。

 「正気なの? ここは三階よ」

 「あんたに怪我はさせない」

 傭兵はダナの腕をつかみ、足早にベランダへ出た。簡素な木の柵を蹴飛ばし、いとも簡単に破壊する。

 「待って!」

 ダナはさすがに躊躇し、叫ぶように拒否した。腕をつかむ男の手をいったん振り払おうとするも、扉を押し破ろうとするひときわ大きな音に気を取られる。他に選択肢などないと分かっていながら、彼女は目下の闇に身をさらすことができず、恐慌めいた思考を持て余した。

 めき、と扉が歪む音。

 不意に、傭兵が彼女の痩身を抱き寄せた。有無を言わさぬ気色ではあったが、その腕に収まってみると、驚くほどに優しく、暖かな抱擁であった。ダナは少女のように動転すると同時に、男の息遣いや胸の鼓動がさすがに平時のそれではないことに気づいた。

 「ダナ」

 これまで聞かれなかった澄んだ声が降ったかと思うと、

 「俺を信じろ」

 ささやくような、しかし絶対的な命令が、彼女の心を恐怖から強引に奪い取った。

 なんて男なの。

 骨を抜かれたようにダナが身を寄せた次の瞬間、彼女の細い腰を抱き、傭兵は宙へ身を投げ出した。

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