十万円給付への考察。給付をしないという下策。
まだ本調子ではないので、文脈が荒いです。
が、あまりに整合性がない。現政権に対する思いを書かせて頂きました。
第二波、第三波の折に、政府は十万円の給付をしませんでした。
将来への借金等々、二枚舌的な言い訳をダラダラと垂れ流し出し渋り。
一方でGOTOキャンペーンなど言う、大変不公平な政策に金を突っ込んで、見事に溶かしました。
更に、このGOTOはコロナを拡げる手助けするのと同じです。
これには、反発もあると思いますが、普通に考えて下さい。
感染対策の基本は隔離です。
GOTOは、その基本的な対策の妨げになるのは、少し考えれば理解出来る思います。
(エビデンス的な根拠がないと、宣いましたが。
疫学的からすればアホだろ)
さて脱線しそうなので本題。
何故、十万円の給付が必要だったのか?
これは、生活困窮者への支援もあります。
しかし、これは副次的な効果でしか有りません。
一番はメッセージなのです。
国民を守ると言う強いメッセージをダイレクトに伝える事が、一番必要だったのです。
確かに、十万給付が無くても、必要な手続きをすれば、各種の支援を受けれます。
それではメッセージ性が乏しい。
必ず国が助けてくれる。
これを強く発信する為には、目に見えるパフォーマンス的な事も必要だったのではないでしょうか?
ぶっちゃけ、政府はコロナ対策の初動に遅れました。
更に、武漢から救出機を出す時に金を取ろうとしました。
この時点で政府に対して『国民の命<金』と言うイメージが芽生えてます。
これを払拭するためには、先ずは金を惜しまずに、ばら蒔くべきでした。
より、大胆な政策に述べるなら、公共料金、通信費、税金、債務等の、固定経費の支払い免除、或いは、延期をすべきだったと思います。
そして、医療従事者への厚い手当てをする。
これらを怠り。
あまつさえ、見えちゃ駄目な、政府内部の既得権の構図がボロボロ出てくる始末。
これじゃ、老害と言われても仕方がないでしょ?
最後に。
今年は選挙の年です。
候補者の経歴だけでなく、国会での発言や活動にも目を向けて、投票する事を切に願います。
少なくとも、実態経済や生命を蔑ろにした。殺人者が再選しない事を願います。
疫病だから仕方がない。と意識を操作して、責任逃れをしているクソみたいな輩はいますよ。
誰とは言いませんが。