6.レイフォードとのお茶会レッスン
レイフォードに何のマナーから学びたいか問われ、エリザベスは「お茶会からお願いします!」と即答した。
リリーシアにお茶会に誘ってもらった時、本当はものすごく行きたかった。次に誘っていただける機会があれば、その時には参加できる自分でありたい。
エリザベスの要望にレイフォードは「分かった」と頷き、次に来る日を告げて去って行った。
指定された当日、てっきり図書室に教師が来るのかと思っていたエリザベスは、レイフォードがワゴンを押して一人でやってきたのを見て驚いた。
今日はいつもの場所ではなく、一階の奥にスペースを設けてお茶会に見立てている。
レイフォードが図書室のテーブルにアイロンがかけられた真っ白なクロスを敷き、ティーカップとソーサー、シュガーポットにミルクジャグ、スコーンやサンドイッチなどを美しく並べていく。
出てくるもの全てに高級感があり、平民育ちのエリザベスが見ても一流のものと分かる。芸術品のような品々はここが学校であることを忘れさせた。
エリザベスをエスコートして席に座らせたレイフォードは、慣れた手付きで紅茶をカップに注ぎ入れる。レイフォードの優雅な動作に、エリザベスは思わず目を奪われた。
黙っていれば、確かに女性たちが騒ぐのも頷ける容姿をしている。
スラッと伸びた背丈に、柔らかな銀色の髪と紫がかった濃いブルーの瞳。
男なのにどこか色気がある整った顔立ち。
レイフォードがにこりと微笑めば、誰だってコロッと落ちてしまうだろう。
――ただ、エリザベスは彼のそんな顔を一度たりとも見たことがないが。
「……なんだよ」
現に、エリザベスの視線に気付いたレイフォードは眉を寄せて不機嫌そうな顔をした。
「……レイフォード様はお茶会についてご存知なのですか?」
女性だけの楽しみだと思っていたけれど、違うのだろうか。
エリザベスの問いかけに、レイフォードは少しばつの悪そうな顔をすると、ぶっきらぼうに答えた。
「……妹がいるんだ。妹に強請られてよくごっこ遊びをしているから分かる。もちろん教育係から学んだ作法だから安心していい」
「そうなのですね」
レイフォードの妹――ユナイドル侯爵家の子女に、ごっこ遊びをする年齢の子がいただろうか。
以前見た姿絵を思い出そうとしていたエリザベスに、レイフォードはわざとらしくニコリと笑って言った。
「準備が整ったよ。まずはお手並み拝見といこうか」
間違った作法をした途端、ここぞとばかりに嫌味を言われそうな雰囲気に、エリザベスは口元をひくつかせた。
レイフォードがカップに口をつけたことを確認したエリザベスは、ソーサーはそのままにティーカップのみ持ち上げて紅茶をいただく。
本で得た知識で、『カップのハンドルは右手でつまむように』持てばいいと分かっていても、実際に持ってみると高価な品を持つ緊張感やカップの重さに戸惑った。
サンドイッチを食べた後、スコーンを上下に割ってジャムとクリームをつけて口に入れる。
こんな状態で味なんか分からないと思っていたけれど、レイフォードが用意した紅茶もティーフードもどれも美味しかった。
「――まあ、及第点だね」
「えっ、本当ですか!?」
「ぎこちなさはあるけれど、キミが慣れていないことはお茶会に誘う時点で主賓側も分かっているだろうからね。それを加味すれば十分及第点だ」
「……なんだか褒められた気がしませんが、それでもありがとうございます」
エリザベスが頭を下げると、レイフォードがふと何かを企むように表情を変えた。
レイフォードから急に色気のようなものを感じて、エリザベスは思わず身構える。
そんなエリザベスの強張りをほぐすように、レイフォードが右手をのばし、エリザベスの頬に優しく触れた――
口の端にレイフォードの親指がそっと触れ、そして離れていく。
先ほどまでエリザベスに触れていた指をぺろっと舐めたレイフォードは、思わせぶりに笑った。
「甘いな」
今まで幾度となく女性と接してきたレイフォードは、こんな時女性たちがどんな反応をするのかよく知っている。
大抵は顔を赤くして俯くか、期待に満ちた眼差しでレイフォードを熱く見つめてくるか……
「……ところで、お茶会の服装なんですけど……」
「……お前、ホントムカつく奴だな」
レイフォードを前にして、何もなかったように話を変える女など今までいなかった。
自分の行動が空振りに終わり、ムッとするレイフォードに構わず、エリザベスは一枚の紙を差し出した。
「私が持っているドレスを絵に描いてきました。お茶会に着ていけそうか見ていただけますか?」
男爵家から与えられた数少ないドレスはどれも個性的なものばかりで、エリザベスの感覚だとお茶会には向かないと思っている。
けれど、もしかしたら貴族の中ではこれが一般的なのかもしれない。最近の流行である可能性もある。
貴族の流行りは図書室の本では分からないため、自分一人では判断できなかった。
レイフォードが紙を見る。
すると、綺麗なラインを描く眉が分かりやすく寄せられた。
「これは……キミの絵心が壊滅的にないか、贈り主のセンスが壊滅的に悪いか、どっちなんだ?」
「恐らく後者かと……」
レイフォードの言葉にエリザベスは居た堪れない気持ちになる。
自分が持っているドレスは、そんな顔をされる程のものだったのか……
「このゲテモノのようなドレスはなんだ!? まさか、本当にこんなたくさんフリルが付いているわけじゃないだろう? そうじゃなきゃ仮装でしかない」
「ありがとうございます! とてもよく分かりました!」
レイフォードから紙を奪う。
エリザベスの持っているドレスでは、お茶会どころか外に出てはいけないことが分かった。
けれど、そうなるとエリザベスには着ていくものがなくなってしまう。
「いくらマナーを身に付けても、着ていく服がなければ意味がないわね……」
自嘲気味に呟くと、それを聞いたレイフォードがエリザベスに尋ねた。
「お茶会に行くあてがあるのか?」
「ええ、エスターラ侯爵令嬢に以前お誘いいただきました。ただ、その時は私が行ってもご迷惑になってしまうからとお断りしたのですが」
「それなら、ハートレイ男爵に今の話をそのまま伝えればいい。ティーガウンがなくて行けなかったと言えばすぐに用意してくれるよ」
「ですが、私は……」
悔しいけれど、男爵家でのエリザベスの立場は弱い。あれが欲しいこれが欲しいと言える状況にない。
レイフォードはエリザベスのことを調べたと言っていたけれど、さすがに自分の口から『金づるとしか思われていないから高価なものは買ってもらえない』と言うのは抵抗があった。
エリザベスが言葉を選びながら伝えようとすると、それを遮るようにレイフォードが続けて言う。
「数ある貴族の中でもエスターラ侯爵家は有名だ。そして、下位貴族が高位貴族と繋がりを持つことはとても難しい。そもそも機会がないからね。それをよく分かっているハートレイ男爵なら、キミをお茶会に行かせるために喜んで用意すると思うよ」
「なるほど……」
確かに、エリザベスがリリーシアと親しくさせていただいているのは奇跡のようなことだ。
たまたまリリーシアから話しかけられて交流を持ったけれど、基本的に高位貴族がエリザベスのような身分の低い者に話しかけることなどほぼない。
「確かに、そうですね」
レイフォードの言葉に可能性を見出して、エリザベスは期待に胸を膨らませる。
確かにそれならあのタヌキ親父もお金を出してくれるかもしれない。
「ありがとうございます。レイフォード様に相談してよかったわ! 殿下が貴方のことを頼りになる方だとおっしゃっていたけれど、本当ですね」
「アンソワが? そ、そうか」
エリザベスが王太子殿下の名前を出すと、レイフォードは急にそわそわとし出す。
表面上は何事もないように装っていたものの、嬉しさを隠し切れていなかった。
だからエリザベスは、アンソワ殿下が言った後半の部分……『レイは頼りになるけど、ちょっと思い込みが激しいところがあるんだよねぇ』……は伝えないことに決めた。
その日の夜――
リリーシアからお茶会に誘われたことをハートレイ男爵に告げると、男爵は面白いくらい過剰な反応を示した。
「え、え、エスターラ侯爵家のお茶会!?」
家名を言う男爵の声が裏返っている。
いつも澄ました顔のいけすかない男爵が目を丸くして驚いているのを見て、エリザベスは少し胸がスッとした。
男爵はエリザベスから話を聞くと、すぐに手配してくれた。
採寸のうえ新しいティーガウンに帽子と手袋が用意され、エリザベスは改めてレイフォードに感謝の気持ちを抱いたのだった。