Place
思っているよりもわりと早くできました。
真っ直ぐに窓を貫く温かい日差しを膝に乗せ、自らの髪を右手で弄ぶ藤村。ギシリと小さく音を立てる椅子の上、昨夜読んだ短編小説のことを思い出そうとしていた。
就寝前のベッドの上で、毛布にくるまりながら夢中で読んだ小説だったが、その内容を日向に話そうと思いながら眠ったところ、起きた時にはそれしか頭に無く、肝心の小説の内容を一切忘れていたのであった。
「よう。藤村、邪魔するぜ」
「あ、日向先輩…」
記憶を探し当てようと努力していると、いつも通りの挨拶で日向がやってくる。多少の焦りを感じ始めた彼女は、右手の人差し指の回転を加速させる。
(早く話さないと昼休み終わっちゃうよ…!)
全編に漂うノスタルジックな雰囲気と、なんだかやりきれない結末は覚えていた。しかし、その結末に至る道筋については、これっぽっちも思い出せなかった。
彼女はもどかしさに目を固く瞑りながら、日向が去ってしまう前になんとか口を開こうと苦心する。
「…藤村、今日は弁当忘れたのか?」
彼女の苦悩について知らない日向であったが、その膝に光だけが溜まっていることで、なにやらいつもとは様子が違うことを察し、軽く声をかける。
彼の言葉でハッとしたように口を開け、藤村は「あ…」と小さく声をもらした。
「えーと、そういうわけじゃなくて…ちょっと考え事してたんです」
そう言って、彼女は椅子の横に立てかけるようにして置いていた鞄を開けると、弁当箱の包まれたピンク色の風呂敷を取り出し、それを膝の上に置き、結びを手早く解いた。
そんな様子を日向は黙って見ていたが、あることがあまりにも気になってしまい、つい声をかける。
「藤村…それ、弁当じゃねーだろ?」
「へ?なに言ってるんですか先輩…って、うわぁ!?」
藤村が不思議そうに膝の上の弁当に視線を移すと、そこには例の短編小説があった。予想していなかった光景に驚いた彼女は、思わず大きな声で叫ぶ。
「へへ…藤村ぁ…今日はそれ食うのかよ?」
「食べないです!これは、その…先輩にあげるおかずですから!」
「お、おかずぅ!?うははっ、俺じゃ食えねーよ!マジでおもしれーなお前は!」
日向に笑われ、羞恥で頬を赤らめる藤村であったが、好きな先輩の無邪気な笑顔を見れたことで、どこか嬉しい気分にもなっていた。
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藤村の羞恥心と日向の笑い声がほとんど落ち着き始めた頃、藤村の半ば強引なリードによって、2人の話題は小説の内容に対するものへと移っていた。
「そしてこの子は、この過ちのせいで大切な女の子を失っちゃうんです。…切ないですよね」
「まあ、お前がそう言うならそうなんだろうな」
「…先輩、あんまり納得してくれてないですよね。別にいいですよ…先輩には先輩の意見があるでしょうし、そんな風に私に気を遣わなくても…」
「いや…まあ、納得してないっつーかなぁ?なんつーかさ、全部テメーのせいじゃねーか…って、思うんだよな。いや、分かんねぇけど」
日向はこういった文学小説に対してなんの関心もなく、また、文学少女な藤村の肥えた審美眼と比較すると、自分の浅い意見に自信も無い。
それ故に、今回は藤村に適当に話を合わせるつもりであったが、どうしても彼女の切ないという感じ方が理解できず、つい微妙に反論をしてしまった。
藤村は日向の反応に満足がいかない様子であったが、やがて観念したように小説を閉じると、ため息交じりに言う。
「先輩にはあまり楽しんでもらえなかったみたいですね…」
そんな彼女を見て、日向は両手を友好的に広げて見せながら、慌てたように言葉を返す。
「いやぁ、そんなこたぁねーよ!最高だったぜ!へへ…」
しかし、そのあからさまな愛想笑いは返って逆効果のようであった。藤村はしょんぼりとした様子で小説を鞄にしまうと、日向の方にぺこりと小さく頭を下げる。
「つまらない話に付き合ってくれてありがとうございます。先輩はとっても優しい人です」
そう言い終わると頭を上げ、彼女は日向に向けて少し微笑んでみせる。
それを受けた日向の方は、なんだか自分が悪いことをしてしまった気分になっていた。
(やっぱ俺のバカな意見とか言わねー方が良かったんじゃねーか?)
と、何気なく視線を藤村から外しながら考える。しかし、既に言ってしまったものを取り消すのは難しいと判断すると、気を紛らわす別の話題を探すことに決めた。
(なんか別の話題…藤村の好きそうなやつ…小説はダメだ、弁当?いや、掃除?)
そうして藤村好みの話題を脳内でリストアップしていくが、やがて彼は力なく項垂れてしまった。
(俺が藤村に合わせられる話題がねぇー!)
「先輩?」
日向の傍から見るとおかしな様子に、藤村は心配そうに声をかける。
それに気付いた日向は、普段通りの不良らしい態度を素早く取ると、「おう、どうした!」と威勢良さげに言った。
その間も、頭の中では藤村の元気を取り戻す方法を模索していた。
「さっきの小説の話、うんざりしちゃいましたよね。すみません」
しかし、その妙な態度を藤村は悟り、自分のせいだと謝る。
さらに落ち込んでしまった彼女に焦った日向は、(やべ、もう直接聞いちまうか!)と思い切り、とにかく考え無しに思いついた言葉を放った。
「そ、そんなことねぇっつってんだろ!!お前なにが好きなんだァ!!」
「ふえぇ!?、あ、あの、その…!」
藤村は日向が怒ってしまったのだと思い、かなりショックを受けつつも、これ以上日向に煩わしい思いをさせたくないという一心で、咄嗟に彼の質問に答えた。
「わ、私…日向先輩が好きです!」
思わず告白をしてしまった藤村は、そのすぐ後に顔を真っ赤に染め、その表情を日向に見られないように、慌てて自分の足元に視線を落とした。
突然告白を受けた日向は、あまりにも突発的な事態を脳内で処理しきれず、その身体をしばし停止してしまったが、やがて多少の冷静さを取り戻すと、平静を装いながら言った。
「そ…そうか。俺のことが好きと、そういうわけか!へへ、へへへ、へへへへへ…」
しかし、嘘をつくことを嫌い、それによって嘘をつくことに慣れていない彼には、表面上だけの装いなど貫き通せるものではなかった。
「なんだそりゃ!!藤村、なんだそりゃ!?」
「…!え、とっ…」
藤村は日向の混乱から飛び出した「なんだそりゃ」という言葉を、日向では想像も及ばぬほど重く受け止め、その目に涙を湛えてしまう。
彼女はそれを日向に悟られたくはなく、必死に押し黙って耐えようとした。しかし、好きな人に拒絶されたような感覚にどうしても耐えきれず、零れてしまいそうな雫をそれでも両手で必死に拭き取るが、彼女の小さな手では拭いきれず、ぽろぽろと地面に流れていった。
「……うっ……うぅ………」
「俺が好き、つまりそりゃ…って、おい…!?」
未だに混乱中の日向だったが、目の前から聞こえるすすり泣きによって、さすがに藤村の異変に気付く。
藤村は小さな涙を木造の床にいくつも落とし、やがて崩れ落ちるように床に座り込んでしまう。
日向はそんな彼女を見て、咄嗟に言葉をかけようとしたが、彼女が泣き出してしまった理由が不明瞭なせいで、なにを言っていいものか分からなかった。
しかし、それでも言葉をかけようと彼女に歩み寄ると、彼女と同じ目の高さになるようにしゃがみ込んで言った。
「ふ、藤村…俺は…なんかとんでもねぇことを言ったような気がしてる。だから謝らせてくれ、すまん。」
「…うっ、うぅ………しぇ、んぱ………ぐすっ………」
日向は自らの過失を認めることで、少なくとも反省や後悔はしているという姿勢を見せた。
もちろんすぐに藤村が泣き止むことはなかった。しかし効果が無かったというわけではなく、しばらくしてすすり泣く声はだんだんと落ち着いていった。
さらに数分経つと、藤村は先輩の顔を数秒見て、また顔を伏せる動作を繰り返せる程度には涙を抑えることができるようになった。
日向は藤村がなにか言いたそうにしていると察すると、おもむろにこう言った。
「藤村、俺は無神経なやつだ。そのせいで周りに迷惑かけちまうことも良くあってな…お前を泣かせたのは俺だろ?責任はとる…なにか詫びになることがあればなんでも言ってくれ」
その時、日向の言葉に藤村はときめいた。
一時的にであれ、彼女は好きな先輩を好きなようにできる権利を得たのである。
先程の様子からは考えられないスピ-ドでけろりと泣き止んでしまった藤村は、すかさず日向に確認をとる。
「先輩…を、なんでも…?!」
その時の彼女の言葉、口調、顔、動作、鼻息…どれを切り取っても、彼女自身の羞恥・後悔の対象に相当するものであった。
唐突な勢いの良さに押された日向は目を見開き、咄嗟に言葉を返せずに首肯する。
それを見て、藤村は今度こそニヤける顔を抑えられなくなってしまった。
「じゃ、じゃあ…えっと…えっと…!」
落ち着かない様子で言葉を探す藤村を見て、日向は安心していた。
しかし、そんな彼の心中とは逆に、この権利はお互いの距離を明確にする定規となった。
「私と付きっ……、」
と、そこまで言いかけた藤村は、その続きを放つことを躊躇った。
途切れた言葉をもう一度…と頭では考えつつ、彼女はただ声もなく、口を小さく開けたまま立ち尽くす。
「?私と月…で、なんだ?」
「…先輩…私…」
なおも言い淀む彼女に対し、日向はまた少しだけ不安を抱いた。
日向は藤村の考えを把握できてはいないが、表情をそれとなく考察することは可能であり、それ故に藤村の思考を推し量ろうとした。
もちろん、彼に正解が導けるはずなどなかった。
「…あー、お前と月だったら…そりゃな、お前の方が好きだ…」
「!!好き…ですか?私の方が…月より…?」
しかし、あながち不正解でもなかった。事実、藤村は先輩に好きと言われたことを心底喜んでいた。
そして、自らが月よりも上であるとすれば。それ以上を望むことを、彼女は恐れてしまった。
藤村は言った。
「日向先輩は、太陽みたいな人です…」
今までのやり取りからすれば、些か脱線気味に思えるその言葉の意図を、日向はやはり捉えきれなかった。
しかし、自らを太陽だと形容されたことはなかったが故に、分かりやすく照れながら言った。
「お、おいおい…太陽なんかじゃねーよ俺!」
そんな彼の表情と動き、他意など勘繰りもしない素直な言葉を、藤村はまだ潤む目に映し、瞬きを一つ。
その間に、ふと思った。
(さっきの先輩のこと、また思い出すかなぁ)
藤村は笑いながら、その両手を日向からは見えない位置で握っていた。
この先、旧校舎から出る予定はないです。
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