Rabbit Hole
連載にしましたが、先の展開は別に決まっていません。一応考えてはいますが、更新はゆっくりになると思います。
日向という少年が居た。
彼は、授業には毎日遅刻し、当たり前のように先生や生徒を脅し、時には気に入らない者に暴力を振るうような、およそ優等生とは言えない行動を頻繫に行っていた。
彼はその素行の悪さから、不良と呼ばれて恐れられていた。
しかし彼は、そんな周囲からの厳しい評価・目線にも怯まず、誰とも群れることもなく、自分の行いを貫いていこうという固い決心を胸に秘め、なんら気にせぬ様子を演じ、傍若無人に振舞い続けていた。
「見ろよ、日向だ…」
「ひぇー人相悪すぎっ!お、おい、もう教室戻ろうぜ」
昼食の時間、今日も日向が屋上の高台の上で寝そべっていると、二人組の男子生徒が彼を指差し、ひそひそと言葉を交わして屋上を去っていった。
いつもはそんな些細なことは気にしない日向だったが、今朝は先生に素行を改めるようにと一時間の説教を喰らったせいで、少し機嫌が悪かった。
「ザコはすぐに群れやがる。これだからうぜーんだよ」
孤独主義の彼は、群れる人間を見るのが嫌いであった。昼休みにわざわざ人気の無い屋上まで上がるのも、その群れを嫌う性格からであった。
しかし、この学校の屋上は生徒の立ち入りを禁止しているわけではなく、いくら人気が無いと言っても、まったく訪れる者が居ないわけではない。
特に、ここに日向が居ると知らない下級生は、もの珍しさについ上がってきてしまう。そしてそれは、日向に多少の煩わしさを与えるのであった。
そして今日、特にイライラしていた彼は、もっとストレスなく寛げる場所を探すことに決めた。
ここよりも生徒の往来が少なく、ここよりも静かな場所が学校内にあるとは彼自身にも思えなかったが、それでも彼は決意し、高台の鉄梯子を降り、屋上の大きな黒いフェンスの方へ行く。
「どこかにあるはずだ…誰もいねー空き教室とか、あと…校庭の体育倉庫とか…」
そう言いながらも、彼は自分の思い付く場所には行かなかった。なぜならこの学校では空き教室には鍵が掛かっている上に、生徒が空き教室に侵入しないように先生が巡回しているし、体育倉庫など狭すぎて、寛げるスペースはないからである。
いきなり挫けそうな決意であったが、それでも日向は諦めずに、屋上から校庭を見回し、なんとか安住の地を手に入れようと必死になって目を凝らした。
――そして、ついに一つの建物を見つけ出した。
「旧校舎…!あ、あそこだっ!」
彼が見つけたのは、今はもう使われていない古びた建物…旧校舎と呼ばれる場所であった。ボロボロになっており、生徒の立ち入りは当然の如く禁止されているのだが、しかし不良である日向には関係ないことであった。
「もうあそこしか考えられねぇ…なんで気付かなかったんだ!へへ、しかも…なかなかいい構えの住処だ…」
旧校舎を見つけ出した彼は、既に旧校舎を住処として気に入っていた。彼の悪者的なセンスからすると、ボロボロの外観はとても良く映えており、立ち入り禁止ということも、彼の禁を破りたい衝動を昂らせていたからである。
日向は足早に屋上を降り、脇目も振らず廊下を抜け、とにかく一目散に目的地へ向かう。そして、彼は昼休みという短い時間を極限まで節約しながら、そこまでたどり着いたのであった。
「はぁ…はぁ…なにが立ち入り禁止だっ…こんなもん…!」
彼は荒く息を切らしながらも、侵入を足止めするために境界線代わりに張られたロープを無理やり引きちぎり、旧校舎の朽ちた門扉を開けた。
一歩足を踏み入れると、廊下は不気味に軋み、まるで侵入者を追い出そうとするかのように悲鳴を上げる。両側の壁は試しに触るのも躊躇われるほど薄汚れ、たくさんの白い蜘蛛の巣に支配されていた。
「へへ…良いねぇ、もっと俺を興奮させやがれ…!」
日向は心の底から喜びに満ち溢れていた。いかにも怪しげなこの空間に思わず踊り出したくなるほどに心を弾ませ、意気揚々と歩を進めることに快感すら覚えているのであった。
しかしそんな気持ちとは別に、彼は自分の制服をなるべく汚さない場所を冷静に探していた。確かにこの空間は彼にとって魅力的であったが、この場所が住処として抱える問題の全てを彼自身があっさり受け入れてしまえるかどうかは、また別の問題なのである。
木造の軋む廊下を探索しながら、最悪の場合は少し自分で掃除しなければならないことも覚悟しつつ、日向が目線を彷徨わせていると、近くから不意に≪カタッ≫と物音がした。
「なんだ?」
彼は音がした方を振り返ってみる。すると、そこには蜘蛛の巣一つ見当たらない見事な生活空間が広がっていた。割れた箇所のない綺麗な窓からはぽかぽかと陽が差し込んでおり、まるでそこだけが切り取られた世界のようであった。
ニヤリと口角を上げニヒルに笑うと、彼は早速その空間に足を踏み入れる。すると
「あ…!」
と、僅かに、しかし確実に、女のようなか細い声が聞こえた。
「あん…?なんだ、まさか幽霊とかいんのかよ…?」
日向は独り言を呟きながら、声のした方へ目線を向ける。しかし、そこには幽霊は居なかった。
だが、代わりに――一人の女子生徒がうずくまっていた。
「あ、えっと、ごめんなさい…!ここに居座るつもりなんてなくって…!す、すぐに出ていきます!」
「…誰だよお前…?」
女子生徒は日向を上目遣いで見ながら、ひどく怯えた様子で話す。そんな彼女の様子も無視し、日向は自分の疑問だけを単刀直入に口にした。
質問を受けた女子生徒は、始めのうちは生まれたての小鹿のように震えながら、ただ上目遣いで日向の顔をうかがっていたが、日向が痺れを切らして表情を微妙に曇らせると、慌てて質問に答える。
「ひえ…わ、私は1年の藤村って言います…その、昼休みは毎日ここに来てて…すす、凄く落ち着く場所だったので、だから掃除して、それで…つい…い、い、居座っちゃったんです。ごめんなさい!」
藤村は日向に対する恐怖心から、錯乱気味の返答をする。それでも言葉の意図自体は日向に伝わった。
「別に好きにしろよ、俺には関係ねぇ。それより、ここお前が掃除したんだな。どーりでこの場所だけ整理されてる訳だぜ」
日向は藤村の謝罪も適当に流し、ただ彼女が掃除したというこの部屋にだけ関心を向けた。他の教室の物とは違い、綺麗に埃を取り除かれた椅子を眺めながら、彼はその心中で(コイツすげー)と考えていた。
藤村はそんな日向の様子を、まるで重力に逆らえないように俯いて座ったまま探っていたが、やがてスッと立ち上がって言った。
「あ、あの…この部屋は自由に使ってもらって結構なので…口外しないで欲しいのと…と、隣の部屋を、使わせて…もらえ、ませんか…?ごめんなさい…」
彼女は声を震わせながらそう言って、懇願するような目で日向の方を見る。日向はまたも謝られた理由などは一切気にせずに、藤村の態度に対して怪訝な表情を浮かべた。
「…いや、お前が先に居た部屋じゃねーかよ。掃除したのもお前だろ?ここはお前の所だし、俺が別の場所に移るのが普通だろ」
彼の言葉を聞いた藤村はぽかんと口を開け、日向の言葉が信じられないというような表情で立ち尽くすばかりであった。そして、そんな彼女の姿が日向の目にはとても滑稽に映り、彼は思わず笑みを溢した。
「うははっ!んだよその顔!そーいうのなんて言うんだっけなぁ、鳩が豆鉄砲食ったみてーな顔…だっけ?」
「ふえぇ…?ま、豆鉄砲…?」
日向が笑い出した理由が理解できず、藤村は困惑しながら彼の言葉を繰り返す。そんな相手の様子も気にせず、日向は笑い続けた。
少しの時間が立ち、ようやく日向の笑い声が収まりだすと、藤村は先程までよりも少し冷静になり、落ち着いた様子で言った。
「あの!あなたの名前…なんですか?」
すると、日向は驚いて言った。
「!お前…俺のこと知らねーのか…?」
彼は藤村の謝罪が恐れから来るものだと解し、その恐れの根元は自らの不良という肩書なのだと無意識に決めつけていたのだが、自分のことを知らないという盲点の可能性を突かれ、驚いたのであった。
そんな日向の反応に、次は藤村が驚き、臆病な彼女は咄嗟に「ごめんなさい!」と謝る。しかし、日向は今度も謝罪を気にすることなく、自然に笑って答えた。
「2年の日向だ。よろしくな、藤村!」
「…!よろしくお願いします、日向…先輩…」
藤村は彼の爽やかな笑みを見て、そう呟いた。そして、それを口にする時の彼女もまた、自然な笑みを浮かべているのであった。
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それからというもの、日向は昼休みになる度にこの部屋に訪れるようになった。日向はチャイムが鳴ってすぐ、教室から真っ先に旧校舎へ飛んでいくのに、なぜか必ず藤村が先に来ていて、彼女は決まって、一人で昼食を食べているのであった。
「…日向先輩!」
「よ、藤村。邪魔するぜ」
2日目から続けている同じ挨拶も、今日で6回目になった。つまり、日向がこの旧校舎を見つけ藤村と知り合ってから、1週間が経過したのである。
日向は窓の傍に置いてある椅子に腰かけると、目線は窓の外に向けながら、隣で弁当を食べている藤村に向けて言う。
「…今日は良い天気だな」
藤村は日向の微笑みを浮かべた横顔を眺めながら、楽しそうに言葉を返した。
「はい、そうですね…ふふっ」
2人はお互いに、深くは関わらないようにしていた。日向は自分を居候のように思っていることもあり、あまり藤村の邪魔をしたくはないと思っていたし、藤村も寡黙な先輩にやたらと話しかけようとは考えなかったからである。
それ故に、2人はたまにこうして何気ない言葉を交わすだけで、相手がなぜここに居るのかを聞き出そうとはしなかった。そして、実際にその方が居心地が良いのであった。
「今日は山田のハゲに磨きがかかってたぜ。見たか?」
「そうなんですか?見てないです」
「ああ、あれは見といた方が良いぜ。爆笑もんだ。」
「ふふっ、分かりました。見てみます」
日向が話しかけると、藤村が穏やかに応える。毎日そんな風にやり取りを繰り返し、2人の間ではそれが当たり前になっていた。
「藤村ぁ、お前の弁当美味そうだな…このミートボール…」
「いいですよ、はい」
「へへっ、わりーな。あんがとな。」
「いえいえ、先輩用ですから」
こんなやり取りもいつも通りであり、いつしか藤村は日向に催促された時用のおかずを作ってくるようになった。日向はそれを内心では嬉しく思っていたが、藤村にあまり悟られないようにしていた。一方の藤村は、日向がおいしそうに食べている姿を見るのが好きで、この瞬間を朝の時間、料理をしながら楽しみにしているのであった。
藤村には初日の時点で、日向に対して密かに恋心を抱いている節があった。彼女のその想いは日向に会うたびに少しずつ大きく育ち、今は彼女自身、その淡い感情の揺れ方を自覚しかけていた。
日向にはそういった類の想いはなく、彼自身は藤村を〈なんでも許してくれる寛大な後輩女子〉と見ていた。事実、藤村は日向の話を咎めることもないし、日向がこの部屋でなにをしようと、ただ微笑んで眺めているだけであった。
「藤村ぁ、俺はお前のこと尊敬してるぜ」
日向はなんとなく酔っ払ったような口調で、相変わらず目線を窓の外に向けながら彼女にそう言う。それは本心であり、少し自信なさげな彼女の励みになればいいと思っての言葉であった。
藤村は頬をほんのり朱色に染めながら、またニコリと日向に笑いかける。
「えへへ、ありがとうございます。やっぱり先輩は優しいですね」
彼女がそう言っても、日向はただ黙って外を眺めていた。
藤村にとって、日向は恐れるべき不良ではなかった。それどころか、自分と一緒に居てくれる日向を優しいとまで思っているのだった。
もともと彼女は、その控え目な性格から勘違いされ、教室ではあまり馴染めなかった少女である。同級生とは上手く交流できず、そのせいで周りからは近付きにくい子だと思われていた。
時折自分に対する陰口も聞こえてきて、学校生活自体が少し嫌になっていた時に旧校舎を発見し、興味本位で立ち入ったことで、今に至っている。
そんな経緯もあり、彼女は日向を好意的に捉えていたし、なにより彼女は、日向から自分と同じ雰囲気を感じていた。
(先輩、やっぱり寂しそうだなぁ)
本質的に、日向と藤村は似ていた。自らが周りと同じように振舞えないという疎外感が、2人の唯一にして最大の共通点であり、それこそが2人の関係に安寧を与えているのであった。
「あの雲の形…」
日向がおもむろに空を指差すと、藤村はその指の指す先を追う。そして、その目に雲を捉えると、日向と同じようにそれを指差し
「ウサギ!…ですよね?」
嬉しそうにそう言った。
日向はチラリと藤村の方を見ると、指差していた手の親指と人差し指で〇の形を作り、彼女の方へ向ける。
藤村はきょとんと日向の手の形を見ると、「正解ですか?」と聞く。しかし、日向はそれに首を振った。
「ウサギ共が見つけられねぇラビットホールだ。ここに落ちたのは、まだ俺とお前だけだぜ」
藤村は、満面の笑みでそう言った先輩を
(よく分からないけど、可愛いなぁ)
と思いながら、笑顔で見つめ返していた。
頑張って5000文字以上書いてみましたが、思った以上に大変でした。これを毎日ってバイタリティありすぎだと思います。書ける人、まじ凄い。