コンプレックスは比較から生まれる
「――――だから、俺じゃなくてもいいだろ」
紙に落ちたインクの様な一言だった。
片手で払えば消えると錯覚しそうな、しかし、確実にその場に染み込んで跡を残すような。
イストは読んでいた教典から顔を上げた。
どうということのない宿の一室だ。
人数の割に余裕がある室内には三人分のベッドとテーブルセット、小ぶりなクロゼットが据え付けられている。
とはいえ間取りとしては広めのワンルームだ。軽く左右を見るだけで旅仲間の二人が視界に入る。
「あ゛ぁ?」
魔導師が着替えの手を止めて唸った。戦士がベッドの端に座ったまま繰り返す。
「俺じゃなくてもいーだろ。イストとか」
――――オレ??
イストは理解できないまま交互に二人を見た。
平和な昼下がりは知らないうちに終わってしまったらしい。熱心な信仰の持ち主が社会から取り残されがちのは、おおむねこういう流れなのか。
イストは胸中で聖印を切った。その間にも二人の会話は火花の気配をはらんでいく。
「ヒヨってんじゃねえぞ。いい加減腹くくれ」
「まだどーにでもできんだろ。神官の方が世間体ってヤツもいいし、いろいろ慣れてんじゃねーの」
「……ンな理由で逃げられると思ってんのか? めでてー頭だな」
「なんだい、恋のさや当て? ――――なんてね、だまされないよ!」
イストは一瞬生まれた会話の切れ目に割り込んだ。
ソルの据わったような半眼と目が合う。
「マジメな話してんだよ」
「うんごめん」
ウィザが苦虫を噛み潰した顔でそっぽを向いた。ソルがため息混じりに頬杖をつく。
「ホントにお前の方が合うと思うぜ。呪文の話もできるし、人に見られてやましい心当たりもねーだろ」
「で、何の話なんだい?」
「ッソルてめえいい加減にしろ! グダついてるヒマあんのか!!」
「勝手言ってんのはお前もだろ」
「ちょ、ちょっと、ケンカするなら表の広いところで―――」
軽快なノックが二回響いた。
「うっわ来た」
「開いてるぜ」
ソルが天敵を見る目でドアから下がり、ウィザが肩越しにため息をつく。
「支度はできたか、モデルたち!!」
ドアが勢いよく跳ね開いた。
ラメ入りのダークスーツを纏った銀髪の青年がつかつかと入ってくる。イストより若干目線が高いのはヒールブーツのせいだろう。
青年はベッドを一瞥して悲鳴を上げた。
「衣装をこんなところに投げ出すんじゃない!! シワになったらどうしてくれる!」
「へいへい」
ウィザは上衣を拾い上げて袖を通した。いつものローブではない。フード状の外套と指先が隠れる長尺のローブは、夜会や謁見で用いられる魔導師の正装である。
青年がパチンと指を鳴らす。
「トレヴィアン! サイズはどうかな」
「歩きづれぇ」
「機能性に特化したローブとは違うのだよ。もし破いたらギャラから引くからそのつもりで」
「ちっ」
青年がくるりと向きを変えてイストとソルを見る。
「で、もう一人のモデルはどっちかな? 画家も待っている、早く着替えを!」
「……ええと、どちら様ですか?」
「失礼。こういう者です」
イストは受け取ったカードに目を落とした。
――――『近日オープン・貸衣装屋ショウヴィジック』
「そこの広場はご存知ですね? 宣伝と広告制作を兼ねて、当店の衣装を着たモデルの肖像画を描くイベントなのです」
「肖像画?」
「ええ! ラフをご覧になりますか!!」
断るスキもなく紙束を押し付けられた。
なるほど、二人のモデルの位置はかなり近い。素人が赤の他人と過ごすには抵抗がある距離だろう。
「なに、顔は描きません。三時間ほど微動だにせずつったっていればよろしい」
「見せもんじゃねーか」
ソルが片手でウィザを示す。
「こいつが俺の分まで受けてきたんだよ」
「三時間で四万Rだぞ。先月のてめえの治療費も残ってる」
「あと数千Rだろ」
「そのうちまたどっかに穴が空くんだ貯めときゃいいんだよ!」
ソルがベッドに置いたままの包みを開いた。
「イスト、お前やんねえ?」
品の良いチャコールのドレスジャケットとベスト、ウィザと対になるような正装の一式が畳まれていた。添えられているのは帯剣用のホルダーだろう。仮に代役を受けても、見栄えを良くするためには服の下に布を巻く必要がありそうだ。
それに、
「オレにはちょっと丈が足りないかなぁ」
瞬間、何かを踏み抜かれたらしいソルの顔は、少しばかりイストの目に焼きついた。




