コンプライアンス
ある日ある町ある酒場で。住民のほとんどが寝静まった時刻のこと。
「た、助けてくれ、かくまってくれぇ!!」
若い男が跳ね扉を割るように店内へ駆け込んできた。客たちが一斉にそちらを見る。服装からしてこの町の住民だろう。
「どうしたのさお兄さん、魔物でも出たかい?」
全身鎧を着た女戦士が席を立った。
男は床に手をつき、ぜいぜいと肩を上下させている。
「ち、ちがうんだ、……っあの、あの……!」
「ヘイ色男。水だぜ、飲みな」
優男の吟遊詩人がグラスを差し出した。周りを囲む美女たちから歓声が上がる。
路銀を稼いだ帰りに一杯、とやるにはちょうどいい立地だからか、ひしめく客のほとんどは旅人だ。
「なんだ、面倒ごとか?」
「盗賊かな」
「やれやれ……」
めいめいに囁きあい、誰からともなく自分の武器に手をかける。彼らの目に怯えの色はない。日々魔物行き交う街道を歩く旅人たちは、町の人間よりもずっと戦闘に慣れている。
男が飲み干したグラスを床に叩きつけた。
「ユ、ユニコーンに追われてるんだ!」
と同時に、一体の馬影が窓を突き破った。
店内は悲鳴のるつぼと化した。
「おお……我が主よ……」
ソルはか細い嘆きの出どころに顔を向けた。
仲間の神官――イストは両手で目を覆っている。背中を掴んでいなければその場に突っ伏していたかもしれない。
同じく連れの魔導師――ウィザがローブの袖を見て顔を歪めた。
「ホコリがひでぇな」
「こんなとこ掃除しねーからな」
ソルは汚れを避けるように片足を組んだ。
パニックが起こった瞬間、ソルとウィザはイストの背を掴み、頭上のシャンデリアの上へと避難していた。
眼下では額に角の生えた馬がいななきを上げ、片っ端からテーブルに突っ込んでいる。
巡礼者の数名があたふたと棚の上に逃れた。その向かいで、あけすけな“武勇伝”を語っていた一団が死に物狂いで窓から転がり出る。
ソルとウィザは半眼で騒ぎを見下ろした。
「ユニコーンにケガさせた罰金っていくらだっけ」
「全員の慰謝料請求で相殺できるんじゃねえか?」
「アレが保護動物なんて間違ってる!!」
イストが両手のひらで膝を叩いた。
ユニコーン。
多くの物語に名を残す、額に一本角を生やした馬である。
古くは『幻獣』に分類されていたが、人里での目撃例が増えた事により、近年『保護動物』扱いとなった。伝説の生物ほど珍しくはないが、現実に生きる動物としては数が少ない。
しかし分類がどうであれ、彼らの神秘的な習性は有名だ。
“汚れなき未婚の者”にはすり寄って甘え、そうでない者は額の角で突き殺そうとする。
つまりユニコーンに関わった者は、物理的な大ケガを負うか、プライバシーを暴露されて精神に傷を受けるか、の二択にさらされる。
イストが頭を抱えた。
「下手なタブロイドよりタチが悪いよ! もっと繊細な存在だと思ってたのに!」
「聖職者が全員聖人なワケねーだろ」
「なんでこっち見るんだい」
「付き合ってみりゃ話せる奴だな、ってこともあるがな……」
「だからなんでこっち見るんだい」
「あーっと、ちょっといいか?」
ソルたちは声のした方向に顔を向けた。
壁の燭台をボルダリングのように掴み、細身で小柄な男が登ってくる。装備の軽さからして剣士や武闘家ではないだろう。
「下で話し合ったんだが、ひとまずユニコーンをここに閉じ込める作戦になった。出入り口に近いやつから外へ出て、窓やドアを押さえてる」
「りょーかい」
「ああ、待った待った!」
男は両手の指を広げた。
「……あんまり壁が丈夫じゃないそうでな。誰かが残って取り押さえなきゃいけないんだが、下手にさわるとケガじゃすまない。ってことで、足の早い奴らはシスターか赤ん坊を探しに行ってる」
「寝てるに決まってんだろ」
ウィザがため息と共にローブの飾り紐をほどいた。胴を二巻きしてなお余る編み込みの紐を結び、簡易的な手綱を作る。
「全員出たら教えろ」
「お、蹴られねえ自信があんのかい?」
「馬の扱いは慣れてんだよ」
ウィザが手応えを確かめるように手綱を引っ張る。
ソルは肩をすくめてイストを示した。
「んじゃ、コイツ外までよろしく」
「ソル、キミは!?」
「付き合い」
「なんの!?」
「まあまあ神官さま。着崩した連れは他人に見せたくねえってことだろ」
「そーそー」
「冗談言ってる場合じゃないよ!」
さらに言い募ろうとするイストをなだめ、男が肩越しにウィンクをよこす。ソルはひらひらと手を降って見送った。
一人、また一人と旅人たちが外へ逃れ、無人の酒場にテーブルの砕かれる音がむなしく響く。ユニコーン自身も破片でいくつかの傷を負っている。これならば多少傷が増えてもごまかせるだろう。
ウィザが身を乗り出して下をのぞいた。
「一通り走らせて戻ってくる。普通の馬ならそれで気が済むだろうが、どうしても聞き分けねえなら気絶させるぞ」
「おう」
「ッおい待て」
長剣にかかった手をウィザが掴んだ。
「抜くなよ。金の話じゃねえ、余計暴れて面倒になる」
「お前あいつに振り落とされねー自信あんの?」
「あの程度じゃガキも落とせねえよ」
「……マジで?」
ウィザが得意気に口元を吊り上げた。
「見てろよ」
ウィザがシャンデリアから飛び降りた。ローブの片足側をさばき、ユニコーンの背中へ着地する。
いなないた口が手綱を噛んだ。
ユニコーンが体を左右へ振り、鼻息荒く床を蹴る。
「っはは!」
ウィザが声を上げて笑った。
後足で伸び上がったユニコーンのたてがみを掴み、逆の手のひらで軽く首筋を叩く。
どすんっ! と、ユニコーンの前足が床を打った。反動で浮いたローブの裾が空気をはらむ。
ソルは天井へ視線を反らした。
なおも続く蹄の音には耳を向けつつ、こっそりと片目を覆う。
「(見てろ、……ってなあ)」
ソルはため息を吐いて頭を振った。
縦横無尽に床を駆ける蹄の音は少しずつ軽やかになりながらも、確実にシャンデリアの真下に近づいている。
ソルは長剣を鞘ごと引き抜き、ユニコーンめがけて飛び降りた。
end.




