あなたのとなりのキキーモラ
この大陸には『幻獣』と呼ばれるモノたちがいる。
妖精、精霊、あるいは妖怪など、土地によってさまざまな名がつけられ、魔物よりも古くから語り継がれてきた『なにか』の総称だ。
彼らは時に人を助け、時にいたずらで困らせる。
ただのおとぎ話だと笑い飛ばす者も多いが、奇妙な体験を語る者が絶えないのも事実だ。
「おはようございます、戦士さま。ご朝食の支度が整っております」
ソルは目を開けた。
どうということのない宿の一室である。シングルルームに作り付けの家具が一揃い、薄いドアを隔ててシャワーがある。
値段のわりにベッドが広いのがこの宿の売りだった。そのベッドの脇に、裾広がりの服を着たシルエットが立っている。
「ウィザ……?」
ソルは寝ぼけたまま呟いた。言いながらその可能性はないと思った。
逆光にとけこんだ輪郭は魔導師のローブと似ていなくもない。
しかし、フリルのついたエプロンドレスとヘッドセットは旅には向かないだろう。
ソルは傍らの長剣を掴んだ。
それを気にしたようすもなく、茶髪の女がたれ目を細める。
「お着替えはあちらにご用意いたしました。魔導師さまと神官さまは下でお待ちです。では」
女は一礼して部屋から出ていった。昨晩、施錠に苦労した古いドアが音も立てずに閉まる。
「…………」
ソルはベッドから降りた。
反射的に斬りかからなかったのは、相手が完全に間合いの外にいたからだ。
「(いや、起きていきなりメイドがいたから面食らったんだろ)」
ソルは目元を押さえた。
逆の手で枕元の着替えを探す。
「あれ」
昨晩畳んだはずのシャツがずれた位置に置かれていた。新品同様に糊がかけられている。
ソルは壁の耐刃ジャケットに視線をやった。
かなり傷が増えたので、今日あたり買い替えるつもりだったのだが、一見して分からないほど綺麗に繕われている。ご丁寧にも同じ素材の糸で。
ソルはため息を絞り出した。朝からひどい気分だ。
「……とりあえず、下りるか」
ソルは肩を落としてシャツに袖を通した。
朝というには少々遅く、昼というには早い時間だ。
宿の一階にある食堂は朝食と昼食の客で賑わっていた。
「ソル! こっちこっち」
窓辺のテーブルで神官が――イストが手を振る。
「キミが寝坊なんて珍しいね」
「……そーな」
ソルはテーブルの上を見た。湯気の立つ朝食一式が用意されている。
向かいに座る魔導師と目があった。
「さっきメイド服の女が運んできたんだよ」
「お前も見たんだ」
「丁寧な人だったねえ。ここのお嬢さんかな」
イストがトーストの最後のひとかけを咀嚼して口の端を拭う。
と、音もなく先ほどの女が現れ、三人分のコーヒーをテーブルに置いた。
「ミルクと砂糖はこちらです」
「ありがとうございます」
「……!」
女のほほえみが強ばった。両手を揃えて小さく一礼し、混み合う店内のいずこかに去っていく。
イストが目を瞬かせた。
「なにか失礼だったかな?」
「さあ」
「お客さんたち、食後のコーヒーお待たせ……って、ん? 女房が持ってきてたか?」
宿の主人が不思議そうな顔をした。中年太りと呼ぶほどの体型ではないが、髪には白いものが混じり始めている。
「お、お若い奥さんですね……! てっきり娘さんかと」
「はあ? あいつがかい?」
宿の主人が親指でカウンターを指す。貫禄のある年増の女主人が豪快に鍋を振っていた。
ウィザがカップをテーブルに置く。
「若い店員がいるだろ。茶髪でメイド服の」
「うちは俺のあいつの二人っきりだよ。メイド服って、はは……」
宿の主人の笑い声がむなしく響く。
テーブルの上でソルたちの視線が交差した。
『あの女、誰だ(い)?』
ソルたちは足早に部屋に戻った。
「イスト、財布は?」
「1Rも減ってないよ」
「物盗りなら分かりやすいけどな」
ソルは慎重に椅子のクッションをどけた。人の居たところには何かしらの痕跡が残るはずだが、足跡どころか髪の毛一本落ちていない。
ウィザが薬草を二、三枚まとめてちぎり、ソルの口に押し込んだ。
「時間稼ぎだ。すぐ毒消しを煎じるぞ」
「教会にも知らせたほうがいいと思うな」
「んじゃ役人とセットで呼んでくる」
「キキーモラにやられたねぇ」
ソルたちは部屋のドアを振り返った。いつの間に上がってきたのか、宿の女主人が苦笑いを浮かべている。
「キキー……なんだって?」
「ここら辺のおとぎ話さ。ふらっと現れてあれこれ世話をやきたがるヤツだが、ずっと居てほしいなら『ありがとう』と言ってはいけない。キキーモラに礼を言うのは『もうお前の仕事はない。帰ってくれ』って意味なのさ」
ま、一応医者と役人は呼んどいたよ。
そう言い残し、女主人は階段を降りていった。
その後調べが入ったが、特に盗まれたものはなく、体調を崩すこともなかった。
この大陸には『幻獣』と呼ばれるモノたちがいる。
彼らは時に人を助け、時にいたずらで困らせる。
人智を超えたその存在はあらゆる意味で謎が多い。




