78. アダムとイブ ①
それは、日本のとある家庭で起きていた。
「親に向かってなんだ?その目はッッ」
蹴りが飛んできて、つま先がお腹を抉る。
息が止まり、蹴られた勢いで壁にぶつかった。
ぶつけた頭が痛いし、蹴られたお腹が痛い。
「このッッッ!!クソガキッッッ」
なんで怒られてるかは分からない。
いつだって、そうだ。
お父さんの視線が空中をさまよい、ピタッと僕に焦点が当てられる。
次の瞬間に殴る蹴る。
それがお父さんの機嫌次第で続くのが日常だった。
「だいじょうぶ?あーちゃん?」
それが終わると、いつも通り『いーちゃん』が心配そうにかがんで見つめてくる。
お腹は痛いし、頭もたんこぶが出来てると思う。
でも、
「だいじょうぶだよ。いーちゃん!!」
証拠にニコッと笑って見せると、いーちゃんも笑顔になった。
大丈夫。大丈夫。
いーちゃんが大丈夫なら、だいじょうぶ。
いーちゃんは妹だ。
年は同じだけど、ちょっとだけ僕が早かったから、僕が兄でいーちゃんが妹。
ほとんど産まれたのはいっしょだけど、いーちゃんは弱々しくて、泣き出すと止まらない。
いーちゃんがお父さんに蹴られて泣いてるのを見て、僕は決めた。
『兄として、いーちゃんを守る』
その為に、お父さんが視線を動かすときは、わざと殴られるように動いた。
痛くて、苦しくて、それでも大丈夫。
だって、いーちゃんが大丈夫だから。
……………そう、確か、あの時。
いーちゃんが大丈夫……じゃなかったから…………………
* * * * *
冷たい。
背中や足に触れる何かが冷たい。
これは地面?
「あー………!!」
名前を呼ばれている気がする。
ゆっくり目を覚ますと、
「あーちゃん、起きて!!」
いーちゃん……僕の妹のイブが泣きそうな顔で僕の名前を呼んでいた。
「起きた。大丈夫だよ。い、……いーちゃん」
今、『いーちゃん』と呼ぶのに違和感があった。
なんでこんな呼び方してるんだろ?
普通にイブって呼べばいいような……。
「あれ?ここ何処?」
冷たい地面から体を起こすと見覚えのない景色が広がっていた。
身長よりも少し長い草が周囲を覆っていて、四方八方は山に囲まれている。
本当に、ここ何処?
「わかんないッ」
イブが怒った様子で言う。
何で怒ってるんだろ?
………そうか。イブは不安なんだ。
見覚えのない場所で、僕の意識がなかったから。
僕が起きても、ここが何処か分からないのは同じだ。
兄の僕がしっかりしてないと、妹のイブが不安になる。
「いー……イブ、散歩しようよ」
「何で『いーちゃん』じゃないの?」
「何となく」
「あーちゃん、変!!」
イブは不思議そうにしながらも、了承してくれた。
二人で手を繋いで、見晴らしの良い場所を目指す。
丘のてっぺんに草の少ない乾いた砂地があったので、そこに腰を下ろし、イブを休憩させた。
「やっぱり、ここ何処だろ?」
人は一切見当たらず、人工的な建物もない。
ちょっと道を逸れただけだと思ったけど、家には帰れそうにない。
今日はこの辺りで野宿するしかないのか。
「あーちゃん、お腹すいたぁ」
「食べ物は……」
木の実が見えるけど、アレは食べてもいい木の実なのかな?
まずは自分で食べて……。
「あっ!!」
「これ不味い」
いーちゃんはモグモグしながら、木の実の感想を言う。
「ダメだよ。よく分からない物を食べちゃ」
日は暮れかかっていた。
太陽が落ちると異様な程に暗く、横にいるはずのイブの姿も見えない。
「あーちゃん、暗いよぉ」
今にも泣きそうな声のイブ。
手をしっかりと握ってやった。
「暗いし、ここで休もう。
明日になったら、家に帰ろう」
「家、嫌い」
顔は見えないが、イブは家に帰るのを嫌そうにしていた。
確かに、帰っても嫌な事しかない。
何で僕は帰ろうとしてたんだろ?
あんな家に帰ってもしょうがないのに。
でも、二人で生きていくのは難しい。
今だって寝床も食料もない。
イブはお腹が減ってるだろうし、明日はどうにか食べ物を見つけないと。
暗い夜はとても長く感じたが、その分太陽が昇ると元気になれた。
山を超えると、遠くに人の手が入ってそうな綺麗な土地が見えた。
向かってみると、そこは等間隔で木々が生い茂り、赤い木の実が実っていた。
一つ取って齧ると、甘い汁が溢れてくる。
「イブ、これ甘いよ」
「おいしいー」
木の実を食べるイブの手を引いて、その場を後にしようとした。
見つかれば、農家の人に怒られるからだ。
しかし、タイミングが悪く、バッタリと出くわしてしまった。
怪訝な顔でこちらを見つめてくる男の人。
逃げようかと思ったが、近くに他の人もいたようで、どんどん大人が集まってきた。
「おい、そこの子ども二人。何処から来た?」
ヒソヒソ話を終えると男が近づいて来た。
イブを背中に隠し、一歩下がりながら答える。
「ま、迷子になっちゃって、お腹がすいてて、その、勝手に食べちゃってごめんなさい!!」
申し訳なさそうにして、その場をやり過ごそうとしたが、男の表情は変わらない。
「お前ら、山から下りてきたな?」
「えっ?」
それがどうゆう意味を含むのか分からなかったが、大人たちの雰囲気が変わった。
「山に帰れッ!!人の姿をしたって無駄だッ!!」
石が飛んできて額に当たった。
血が出てるのに、大人たちは更に石を投げてくる。
「あーちゃん……血…」
更に、男はイブに向かって言った。
「あいつはこの土地の物を食ってる!!殺すしかないッ!!」
棍棒を持ってきた大人はそれを高々と掲げた。
「イブッッ逃げてッッッ!!」
振り下ろされた棍棒は、イブの前に飛び出した僕の頭に当たった。
意識が遠のき、地面に倒れる。
ズキズキと頭が痛むが、それよりも大人からイブを守らないと。
大人が僕たち二人を囲んだ。
イブは怯えた様子で動けないでいる。
僕はそんなイブに覆いかぶさった。
背中や頭が棍棒で殴られる。
その度にイブの方が悲鳴を上げていた。
このままじゃ、僕もイブも死んじゃう。
何で?こんなことに……。
……そんなことを考えても仕方ないんだ。
何で?って考えても、理由なんてない。
お父さんが殴るときみたいに理由なんてないんだ。
子どもだからって助けてなんかもらえない。
神様なんていない。
僕が役立たずのお父さんの代わりに、大人にならないといけないんだ。
大人になって、イブを守るんだ!!
「お、おい………コイツ、大きくなってないか?」
ピタッと棍棒で殴るのが止まった。
顔を上げると、大人は何故か恐怖している。
「化け物めッッッ!!」
大きく振りかぶった棍棒が振り下ろされる。
思わず目を瞑った。
ボフッと棒が当たる。
その後も四方八方から棒が振り下ろされたが、……………痛くない。
周りにいる大人を振払おうとしたら、大人があまりにも軽くて簡単に吹っ飛んだ。
その様子を見た大人は一目散に逃げていき、僕とイブが残された。
「ダイジョウブ?イブ」
腕の中で目を瞑っていたイブは目を開くと怯え出した。
「アレ?イブ、チイサイ?」
イブが一回り小さくなった気がした。
それに僕の声がおかしい。
「あーちゃん…………?」
イブは泣き出す寸前だった。
そんなに怯えなくても、ちょっと怪我しただけなのに。
いつもお父さんに殴られてたから、この程度大丈夫さ。
そう思い、立ち上がると、イブの姿がドンドン小さくなった。
ふと横を見ると、木々も小さくなっている。
これは……
「あーちゃん………大きくなってる……」
イブの震えた声が現実を教えてくれた。




