49. 最前線 β
日が登り始め、最前線では仕事が始まる時間。
俺は優雅にティーを味わいながら、気品と余裕を見せつけていた。
いつもならこんなことに金は使わない。
お茶を飲んだのはいつぶりだろうか。
いつでもいい。
重要なのは、目の前の監査官に、俺がいかに隊長として相応しいか疑わせないことだ。
「オルットさん、随分と余裕がありますね」
「いえいえ、むしろ逆です。
少し落ち着かない気持ちでして、こんなときはこれを飲むに限ります」
ティーをすすりつつ、視線をやると、キツい目付きでこちらを睨む監査官。
俺よりも年と研鑽を積み重ねてきたであろう者達が、無言で紙に何かを書いている。
そして、時おり、『お前がやったんだろう?』と疑いを持った目で睨んでくる。
何故こんなことになったのか。
始まりはやはり、約一ヶ月前の、あの影からだ。
あの不審な影を見た次の日。
事件は起こった。
俺と同じように、影を見た下っぱの兵士がいた。
その男が次の日。
忽然と姿を消した。
この最前線での仕事はただただ退屈で、将来を考えるなら、こんなとこにいるのはおすすめ出来ない。
だから、下っぱの兵士が突然仕事を辞めることもある。
何年かに一度失踪する馬鹿もいるが、詳しく調査すると、近くの町で働いていたりする。
そんな訳でいなくなることは不自然ではない。
では、何がおかしいのか。
それは副隊長のミナンが見つけた『靴』だ。
影の目撃情報があってから俺とミナンは見回りを強化していた。
下っぱの兵士がいなくなった翌朝、ミナンがその兵士の物と思われる靴の片方を発見したのだ。
それだけではない。
なんと、『お金』が見つかったのだ。
いなくなった下っぱ兵士が貯めていたと思われる金が、枕の中から見つかった。
失踪することはあっても、金を置いていく奴はいない。
わざわざ枕に隠すような奴なら間違いない。
そうして、この兵士は殺されたのではないか?という疑念が生まれた。
その情報はすぐに最前線を管理する軍に伝わり、調査が始まった。
しかし、人間関係に問題はなく、金がそのままなことから、金目当ての殺人も考えられない。
事件は未解決で終わりを迎えるかに思えた。
しかし、数日後、またもや兵士が死んだ。
次に死んだ人間は…。
朝、俺が見回りをするとき、いつもミナンは準備を終えて、先に見回りを開始していた。
あの日、俺はミナンに出会わなかったので不思議に思ったが、既に見回りを始めたのだろうと気にしなかった。
そうして、見回り開始から数十分後、俺は血の滴る右腕を発見した。
ポツンと道の真ん中に残されたそれは、ドクドクと新鮮な血を垂れ流し続けていた。
今、この瞬間にこの右腕の持ち主が死んだのだ、と分かった。
辺りを見渡しても、何も見つからない。
俺は大声で周囲の兵士を呼び、怪しい人物がいないか探させたが、効果はなかった。
いなくなった人間を調べるために点呼をしようとしたが、ミナンが見つからなかった。
いつもはミナンが率先して皆をまとめてくれる。
嫌な予感がした俺は、周囲の兵士にミナンを探させた。
しかし、昼が過ぎても、ミナンは見つからなかった。
それからと言うもの、日に日に兵士が減っていた。
耳をすませば、『こんなとこにいられるか!!』と出ていこうと話しているのが聞こえる。
いなくなった兵士は死んでいるのか、それとも、一目散に逃げ出したのか。
事態の収拾は不可能と判断した俺は、軍に詳細を伝えた。
しかし、あの影の話はしなかった。
疑われたくない。
そんな気持ちに反してある噂が囁かれるようになった。
以前、怪しげな影を見て、それを報告したが、隊長は軍に報告しなかったらしい、と。
「魔獣に突破されたのを知っていながら、それを揉み消していたのでは?」
「そう言えば、最近見回りを増やしていたな。
それが理由だったんじゃないのか?」
「それがバレないよう、隊長は影を見た兵士を殺したんじゃないのか?」
「きっとそうだ。
副隊長のミナンは隊長候補と噂されていた。
自分の立場が危うくなったオルットが殺したに違いない」
その話は軍に伝わり、複数名の監査官に囲まれて、仕事をするのが日常になった。
今日も朝の見回りを軽く済ますと、書類に判子を押し続けた。
大した内容のない報告にも真面目な顔をして取り組み、考えてる風な表情と十分な時間をもって、判子を降り下ろす。
その間も、カエルを睨むヘビの如く、監査官はこちらを睨んでいた。
「そろそろ昼食にします」
反応のない監査官に行き先を伝え、食堂にやって来た。
以前はそれなりに賑わっていた食堂も、今はガランとしている。
一人で席に着き、監査官の監視の下、食事にありついた。
それからトイレに行くときも、監査官に監視されていた。
今日もこれでもかと言うほど息が詰まったが、これで終わりだ。
「夕方の見回りに行きます」
反応のない監査官を引き連れて、区画をぐるりと回った。
最後にやって来るのは、ここ。
あの嫌いな景色を見なければ、仕事は終われない。
いつも通り城壁に近づくが、門番が見当たらない。
よく見ると城壁の門が少し開いていた。
どうやら交代をしている最中らしい。
『お疲れさま』と言ってやろう。
それで仕事は終わりだ。
踏み出した右足が地面を捕らえる前に、
「あれは何だ?」
と、監査官の声が聞こえた。
ギョッとして見ると、物見櫓から体を乗り出している兵士が見えた。
後ろを振り替えれば、深刻そうに見つめる監査官。
ヤバイ。どう言い繕うべきだ?
下っぱの不祥事は上司の責任。
あそこで遊んでいる兵士を教育できなかったとして、俺が責任を追及されるのか?
「どうなっているッ‼」
「あ、あれは…」
「死んでいるぞ‼」
「…………………………へ?」
見上げると、櫓から乗り出した体から、血が垂れていた。
この時間帯、夕焼けで紅く染まっていたせいで気が付かなかった。
頭はなく、両腕が肘の上辺りで途切れている。
どう見ても死体だった。
「………………………………ッ!?」
状況を理解したが、意味が分からなかった。
何が起こっているんだ?
なぜ死体が?
ど、どうすれば…。
そうだ。兵士だ。
とりあえず兵士を呼ぼう。
「おい、誰かッ!! 来てくれッ‼」
……沈黙。
誰も返事をしなかった。
駆けつける者もいない。
「誰かッ!! いるだろッ‼」
ドサッと音がして、そちらを向くと、城壁の門の間から、誰かの腕が見えた。
「何があったッ‼」
近寄ろうとした瞬間、門がゆっくりと開き、上半身だけのもう死んでいる兵士が見えた。
絶句。
思考が停止した。
ただただ意味が分からない。
瞬間、影が頭の上を通った。
反射的に顔を上げるが、何もない。
代わりに、背後で何かを潰したような音。
背後に降り立ったそれに夕日が遮られ、真っ黒な影に包まれた。
振り返った先に、大きな、大きな怪物がいた。
城壁を越える大きさで、四本足で立つそれは白銀の狼に見える。
そして、その化け物の足の下からは、新しい血が流れ出ていた。
さっきまでいた監査官が一人いない。
その場の全員が監査官の死を理解した。
「あああぁぁぁぁぁぁッ‼」
奇声を上げて走り出した監査官の右足が地を踏む前に、彼の上半身はなくなっていた。
叫ぶのを我慢して逃げ出した他の監査官を、巨大な狼はゆっくりと一瞥する。
次の瞬間には巨大な狼は消え、監査官が走っていたところに音もなく現れた。
狼の足元には新しい血だまりが生まれた。
次に狼が見たのは他の監査官。
…チャンスだ。
心の中で呟くと同時、後ずさっていた。
ゆっくり、音を立てずに、目立たずに。
背後にあった城門の隙間を抜けると、死体が無造作に転がっていた。
兵士がいなくなっていく中で、それでも城壁を守り続けた者達は呆気なく死んでいた。
地面を踏みしめる度にピチャピチャと音がなる。
たまらず駆け出した、魔界の方へ。
城壁の影から抜け出すと、辺りは夕日に紅く染まっていた。
踏みしめる大地も、大いなる空も、走った先に見える森も。
どれもこれも血にまみれているようにしか見えない。
恐怖が体を覆うが、足は止まらなかった。
少しでも遠く。
あの化け物から遠くへ。
願って空を見上げた瞬間には影の中にいた。
無様に転んで、足を擦りむいた。
それでも、後ろを振り向けない。
紅く染まる世界の中、自分一人、影の中にいた。
ゆっくりと深呼吸をして振り返る。
何千年もかけて育った大樹のように太い脚が顔の前にあった。
天高くにある顔を見ると、無表情にその狼はこちらを見下ろしている。
口の中にあった肉塊を吐き捨てると、次はお前だ、とばかり口を大きく開く。
暗く大きな口の中からは凄まじい悪臭がした。
血と臓物が入り交じったそこに、自分もいくことになるのか。
何だ? こいつは。
銀色の体毛を纏う狼に似た魔獣なら知っているが、こんなに大きな個体は、見たことも聞いたこともない。
まさか、…魔王…なのか?
恐怖の中で、ただただ思った。
死にたくない。
「…死に…たくない……死にたくない…死にたくないッ‼」
必然の死を予見して、頭の中を走馬灯が駆け巡った。
思い出の中に見えた、ほほえむ妻。
「死にたくないッ‼ ……エリシ…ア――――」
巨大な口の中、無限に広がる暗闇に飲み込まれた。




