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元勇者の先生と勇者になりたい少女  作者: 小骨 武
貴族編
49/82

49. 最前線 β


 日が登り始め、最前線では仕事が始まる時間。

 俺は優雅にティーを味わいながら、気品と余裕を見せつけていた。


 いつもならこんなことに金は使わない。

 お茶を飲んだのはいつぶりだろうか。

 いつでもいい。

 重要なのは、目の前の監査官に、俺がいかに隊長として相応しいか疑わせないことだ。



「オルットさん、随分と余裕がありますね」


「いえいえ、むしろ逆です。

 少し落ち着かない気持ちでして、こんなときはこれを飲むに限ります」



 ティーをすすりつつ、視線をやると、キツい目付きでこちらを睨む監査官。

 俺よりも年と研鑽を積み重ねてきたであろう者達が、無言で紙に何かを書いている。

 そして、時おり、『お前がやったんだろう?』と疑いを持った目で睨んでくる。


 何故こんなことになったのか。


 始まりはやはり、約一ヶ月前の、あの影からだ。

 あの不審な影を見た次の日。

 事件は起こった。


 俺と同じように、影を見た下っぱの兵士がいた。

 その男が次の日。

 忽然と姿を消した。


 この最前線での仕事はただただ退屈で、将来を考えるなら、こんなとこにいるのはおすすめ出来ない。

 だから、下っぱの兵士が突然仕事を辞めることもある。

 何年かに一度失踪する馬鹿もいるが、詳しく調査すると、近くの町で働いていたりする。


 そんな訳でいなくなることは不自然ではない。

 では、何がおかしいのか。


 それは副隊長のミナンが見つけた『靴』だ。

 影の目撃情報があってから俺とミナンは見回りを強化していた。

 下っぱの兵士がいなくなった翌朝、ミナンがその兵士の物と思われる靴の片方を発見したのだ。


 それだけではない。

 なんと、『お金』が見つかったのだ。

 いなくなった下っぱ兵士が貯めていたと思われる金が、枕の中から見つかった。

 失踪することはあっても、金を置いていく奴はいない。

 わざわざ枕に隠すような奴なら間違いない。

 

 そうして、この兵士は殺されたのではないか?という疑念が生まれた。

 その情報はすぐに最前線を管理する軍に伝わり、調査が始まった。

 しかし、人間関係に問題はなく、金がそのままなことから、金目当ての殺人も考えられない。

 事件は未解決で終わりを迎えるかに思えた。


 しかし、数日後、またもや兵士が死んだ。

 次に死んだ人間は…。


 朝、俺が見回りをするとき、いつもミナンは準備を終えて、先に見回りを開始していた。

 あの日、俺はミナンに出会わなかったので不思議に思ったが、既に見回りを始めたのだろうと気にしなかった。


 そうして、見回り開始から数十分後、俺は血の滴る右腕を発見した。

 ポツンと道の真ん中に残されたそれは、ドクドクと新鮮な血を垂れ流し続けていた。

 今、この瞬間にこの右腕の持ち主が死んだのだ、と分かった。

 辺りを見渡しても、何も見つからない。


 俺は大声で周囲の兵士を呼び、怪しい人物がいないか探させたが、効果はなかった。

 いなくなった人間を調べるために点呼をしようとしたが、ミナンが見つからなかった。

 いつもはミナンが率先して皆をまとめてくれる。

 嫌な予感がした俺は、周囲の兵士にミナンを探させた。

 

 しかし、昼が過ぎても、ミナンは見つからなかった。


 それからと言うもの、日に日に兵士が減っていた。

 耳をすませば、『こんなとこにいられるか!!』と出ていこうと話しているのが聞こえる。


 いなくなった兵士は死んでいるのか、それとも、一目散に逃げ出したのか。


 事態の収拾は不可能と判断した俺は、軍に詳細を伝えた。

 しかし、あの影の話はしなかった。


 疑われたくない。

 

 そんな気持ちに反してある噂が囁かれるようになった。


 以前、怪しげな影を見て、それを報告したが、隊長は軍に報告しなかったらしい、と。


「魔獣に突破されたのを知っていながら、それを揉み消していたのでは?」


「そう言えば、最近見回りを増やしていたな。

 それが理由だったんじゃないのか?」


「それがバレないよう、隊長は影を見た兵士を殺したんじゃないのか?」


「きっとそうだ。

 副隊長のミナンは隊長候補と噂されていた。

 自分の立場が危うくなったオルットが殺したに違いない」


 その話は軍に伝わり、複数名の監査官に囲まれて、仕事をするのが日常になった。


 今日も朝の見回りを軽く済ますと、書類に判子を押し続けた。

 大した内容のない報告にも真面目な顔をして取り組み、考えてる風な表情と十分な時間をもって、判子を降り下ろす。

 その間も、カエルを睨むヘビの如く、監査官はこちらを睨んでいた。



「そろそろ昼食にします」



 反応のない監査官に行き先を伝え、食堂にやって来た。

 以前はそれなりに賑わっていた食堂も、今はガランとしている。

 一人で席に着き、監査官の監視の下、食事にありついた。 


 それからトイレに行くときも、監査官に監視されていた。

 今日もこれでもかと言うほど息が詰まったが、これで終わりだ。



「夕方の見回りに行きます」



 反応のない監査官を引き連れて、区画をぐるりと回った。

 最後にやって来るのは、ここ。

 あの嫌いな景色を見なければ、仕事は終われない。


 いつも通り城壁に近づくが、門番が見当たらない。

 よく見ると城壁の門が少し開いていた。

 どうやら交代をしている最中らしい。


 『お疲れさま』と言ってやろう。

 それで仕事は終わりだ。


 踏み出した右足が地面を捕らえる前に、



「あれは何だ?」



 と、監査官の声が聞こえた。

 ギョッとして見ると、物見(やぐら)から体を乗り出している兵士が見えた。

 後ろを振り替えれば、深刻そうに見つめる監査官。


 ヤバイ。どう言い繕うべきだ?

 下っぱの不祥事は上司の責任。

 あそこで遊んでいる兵士を教育できなかったとして、俺が責任を追及されるのか?



「どうなっているッ‼」


「あ、あれは…」


「死んでいるぞ‼」


「…………………………へ?」



 見上げると、(やぐら)から乗り出した体から、血が垂れていた。

 この時間帯、夕焼けで紅く染まっていたせいで気が付かなかった。

 頭はなく、両腕が肘の上辺りで途切れている。

 どう見ても死体だった。



「………………………………ッ!?」



 状況を理解したが、意味が分からなかった。

 

 何が起こっているんだ?

 なぜ死体が?


 ど、どうすれば…。

 そうだ。兵士だ。

 とりあえず兵士を呼ぼう。



「おい、誰かッ!! 来てくれッ‼」



 ……沈黙。

 誰も返事をしなかった。

 駆けつける者もいない。



「誰かッ!! いるだろッ‼」



 ドサッと音がして、そちらを向くと、城壁の門の間から、誰かの腕が見えた。



「何があったッ‼」



 近寄ろうとした瞬間、門がゆっくりと開き、上半身だけのもう死んでいる兵士が見えた。


 絶句。

 思考が停止した。

 ただただ意味が分からない。


 瞬間、影が頭の上を通った。


 反射的に顔を上げるが、何もない。

 代わりに、背後で何かを潰したような音。

 背後に降り立ったそれに夕日が遮られ、真っ黒な影に包まれた。


 振り返った先に、大きな、大きな怪物がいた。

 城壁を越える大きさで、四本足で立つそれは白銀の狼に見える。

 そして、その化け物の足の下からは、新しい血が流れ出ていた。


 さっきまでいた監査官が一人いない。

 その場の全員が監査官の死を理解した。



「あああぁぁぁぁぁぁッ‼」



 奇声を上げて走り出した監査官の右足が地を踏む前に、彼の上半身はなくなっていた。


 叫ぶのを我慢して逃げ出した他の監査官を、巨大な狼はゆっくりと一瞥する。 

 次の瞬間には巨大な狼は消え、監査官が走っていたところに音もなく現れた。

 狼の足元には新しい血だまりが生まれた。

 次に狼が見たのは他の監査官。


 …チャンスだ。


 心の中で呟くと同時、後ずさっていた。

 ゆっくり、音を立てずに、目立たずに。


 背後にあった城門の隙間を抜けると、死体が無造作に転がっていた。

 兵士がいなくなっていく中で、それでも城壁を守り続けた者達は呆気なく死んでいた。


 地面を踏みしめる度にピチャピチャと音がなる。

 たまらず駆け出した、魔界の方へ。


 城壁の影から抜け出すと、辺りは夕日に紅く染まっていた。

 踏みしめる大地も、大いなる空も、走った先に見える森も。

 

 どれもこれも血にまみれているようにしか見えない。

 恐怖が体を覆うが、足は止まらなかった。

 少しでも遠く。

 あの化け物から遠くへ。


 願って空を見上げた瞬間には影の中にいた。

 無様に転んで、足を擦りむいた。

 それでも、後ろを振り向けない。


 紅く染まる世界の中、自分一人、影の中にいた。


 ゆっくりと深呼吸をして振り返る。


 何千年もかけて育った大樹のように太い脚が顔の前にあった。

 天高くにある顔を見ると、無表情にその狼はこちらを見下ろしている。

 口の中にあった肉塊を吐き捨てると、次はお前だ、とばかり口を大きく開く。


 暗く大きな口の中からは凄まじい悪臭がした。


 血と臓物が入り交じったそこに、自分もいくことになるのか。

 何だ? こいつは。

 銀色の体毛を纏う狼に似た魔獣なら知っているが、こんなに大きな個体は、見たことも聞いたこともない。

 まさか、…魔王…なのか?


 恐怖の中で、ただただ思った。


 死にたくない。



 「…死に…たくない……死にたくない…死にたくないッ‼」


 必然の死を予見して、頭の中を走馬灯が駆け巡った。

 思い出の中に見えた、ほほえむ妻。



「死にたくないッ‼ ……エリシ…ア――――」 



 巨大な口の中、無限に広がる暗闇に飲み込まれた。



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