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元勇者の先生と勇者になりたい少女  作者: 小骨 武
貴族編
44/82

44. 最前線 α


 壁を挟んで、遠くから鳥の鳴く声が聞こえる。

 朝を告げるその声に従い、ベッドから体を起こした。

 少し眠気が残っているのはいつものことだが、寝起きの床の誘惑と言うのは、いつだって強力だ。

 惰眠を貪りたい欲求を堪えて、着替えを終える。

 そして、一言、



「エリシア、行ってくる」



 虚空に妻の名を呟いた。



 俺の名はオルット。

 この最前線の一区画で、隊長を任命されている。

 最前線は、大陸を縦に長く分断するように形成されており、一定距離毎に区画が作られていて、その中で統治が行われている。

 俺の担当する区画は、最前線の比較的真ん中に近い場所だ。

 ただし、端だろうが、真ん中だろうが、そんなことは大して重要ではない。

 魔王は何処からでも来る可能性がある。


 前回魔王の襲撃を受けたのは約10年前。

 第四の勇者が討伐したが、その後色々あったらしい。

 興味はないので、覚えていないが…。

 その時は、ここから離れた区画を、魔王は突破していった。

 応援に送り込まれて、城壁の修理など忙しく過ごしたので覚えている。


 そう言えば、あの頃は俺も最前線に来たばかりの雑兵だった。

 給料は安く、苦しい生活だったが、故郷にいる妻を思うと頑張れた。

 体の弱い妻のために、給料の高い職に就こうと思った俺だったが、年を取った傭兵にそんな仕事を与えてくれるところは無かった。


 困り果てた末に、最前線での仕事を紹介された。

 最前線の維持は魔王がいる限り永遠になくならない。

 最初のうちは給料が安いが、クビになることは滅多にない。

 そして、しばらく働いているだけで、今の俺のように役職を得ることができる。

 そうなれば、給料は次第に上がっていく。

 俺のような無能でも出来る簡単な仕事なのに、だ。


 何故こんな俺に役職が与えられるのか?

 それは最前線と言う場所の性質が原因だ。

 魔王の襲来時に被害を抑えるために最前線は形成されているが、それ以外に魔獣と戦う仕事もある。

 最前線は人界と魔界の間。

 向かいの魔界には魔獣がうようよいるのだから、その一部がこちら側に向かってくることぐらいあるのだ。

 そして、その内の一匹が城壁を越えることもある。

 その為、最前線の近くの土地は人気がない。

 稼いだ後に住むなら、王都に近い安全な町だろう。

 そうやって、俺よりも優秀な奴は最前線から離れて王都を目指す。

 向上心も何もない俺は、いつまでも最前線に残るだけだ。



「オルット隊長、おはようございます」


「朝から元気だねぇ、今日も宜しく頼むよ」


「はいっ‼」



 あいつは副隊長のミナンだ。

 やたらと挨拶がしっかりしている。

 昇格しそうな男だ。

 そんなに畏まる必要はないのに、いつもあの調子だ。

 役職で上下関係があれど、隊長の俺がやっていることなど誰だって出来る。

 見回りをして安全確認、物資の管理が出来ているかの把握、書類に判子を押せば、一日の仕事は終わりだ。

 そこら辺の奴に任せたって出来るだろう。


 だが、給料が減るのは嫌なので、一応全ての仕事を自分でこなしている。

 妻への送金をしなくてはならないので、簡単な役職ではあるが、油断は出来ない。



「朝の見回りはこのぐらいにしておこう。次は書類仕事かな」



 次の仕事場に向かおうとしたが、足の軽さに違和感を覚えた。

 靴紐がほどけているな。

 屈んで、結び直す。


 よし、これで大丈夫だ。


 靴から視線を上げようとした瞬間。

 体を大きな影が覆った、…ように見えた。


 まさに一瞬の出来事だ。

 即座に上を見れば、太陽が輝いている。

 太陽にかかる雲は見当たらない。



「どうかしたんですか?」



 近くにいた下っぱの兵士が気楽に話しかけてきた。

 ミナンが堅苦しいだけで、普通はこういう関係性だ。

 そんなことよりも、今は聞くべきことがある。



「今、何か上を飛んでいなかったか?」


「上? 鳥ですか?

 もしかして、食用の鶏が逃げ出したんですか?」


「いや、そうゆうことではない。

 何でもない。忘れてくれ」



 下っぱの兵士は不思議そうに去っていった。


 最前線の役割の一つ。

 魔獣を始末すること。

 少し前に、王都で魔獣の目撃が噂された。

 王都に魔獣がいるわけがない。

 誰だって思うが、噂は広がりを続け、最終的に『最前線が魔獣に突破されたのでは?』と不安の矛先はこちらに向けられた。


 否定したいが、意外とありそうなことではある。

 流石に最前線から王都まで行ったというのは考えられないが、少しくらい闇夜に紛れて人界に入り込むことはある。

 ただし、それを見逃したとなると厳罰をくらうかもしれない。

 なんとも面倒な話だ。

 

 さて、今見えた影は一体なんだったのか……?

 不審な影を目撃したと上に報告するか?

 ないな。見失ったとなれば、実際にいたかどうかは関係なく厳罰になる。

 下らないことで減給は勘弁だ。

 おそらく今のは見間違い。

 自身の影を誤認したのだろう。

 仮に魔獣だったところで大した被害は出ない。

 それに、黙っていれば、何処から突破されたか分からないはずだ。

 胸のざわめきを抑え込んで、俺は仕事に戻った。


 その後、昼食を挟んで書類に目を通すと、時刻は夕方になっていた。

 二回目の見回りの時間だ。

 見回りと称した散歩をしつつ、あまり気の進まない場所に着いた。

 門番に会釈をすると、いつも通り城壁を少し開けてくれる。

 

 城壁の外には数名の腕の立つ兵士がいる。

 警備なら城壁の上から出来るが、城壁の前まで来た魔獣を始末するのは、上からではやりずらかった。

 仕方なく、数名の兵士を城壁の外に配置して、魔獣を始末させているのである。

 危険は勿論ある。

 しかし、戦える兵士複数名で袋叩きにすれば、ある程度安全になる。

 俺からも無理はしないように言ってあるし、怪我を負った者はほとんどいない。



「そろそろ交代の時間だ。あと少し頑張ってくれ」



 屈強な兵士達からそれぞれに返事が返ってくる。

 兵士達に緊張している様子はなく、落ち着いて次の獲物を待っているようだった。

 その様子に安心感が沸いてくるが、同時に、やはりここに来たことに少しの後悔が生まれていた。


 この時間、日は沈みだし、城壁の方から魔界に向かって、斜めに夕陽が差している。

 傾く太陽はその色を赤に変え、最前線を染め上げていた。

 最前線は視界をよくするために広大な土地の木々を伐採しており、禿げた大地の先で突然森が現れる。

 今、その大地と魔界の森はまるで大量の血しぶきを浴びたように一面が真っ赤に染まっているのだ。


 俺はこの瞬間の景色が嫌いだった。

 あまりにも赤いその景色は、平和な日常ではなく、悲惨な戦場にいるかのように思わせる。

 見ているだけで気が狂いそうだ。

 この光景をじっと見つめながら魔獣を警戒する兵士達は凄いと思う。

 俺には務まらない。


 いつも通り考え事をしていると、城壁の方から鎧の擦れる音が聞こえてきた。

 ちょうど交代の兵士が来たらしい。

 よく見ると、そこに副隊長のミナンが混ざっていた。



「ミナン、どうかしたのか?」


「あの、一応報告すべきと思いまして…」



 何やら不穏な様子のミナンに連れられて、兵舎の個室に入った。

 少し緊張した面持ちのミナンは小声で話し出した。



「隊長と同じように、私も見回りをしていたのですが…」


「何かあったのか? …鶏が逃げ出したとか…」


「いえ、そうではなく。

 兵士の中に、大きな影を見た者がいるらしく…」


「成る程。それで?」


「それだけですが、一応報告を、と思いまして」


「つまりは、姿を視認出来なかったんだな?

 それならば…そうだな…、"雲"の影だったりするんじゃないか?」


「兵士もその可能性を考えて、すぐに空を確認したそうですが……。

 雲一つない晴天だった、と」


「時刻はいつかな?」


「昼前だったそうです」



 同じ時間帯か…。

 嫌な物を感じるが…。



「もう一度聞くが、姿を見たわけではないのだな?」


「ええ」


「では、兵士の中に視認出来た者がいたら、もう一度報告してくれ」


「それは…つまり、上には報告しないと言うことですか?」


「区画全体の管理をする上層部は忙しい。

 不確かな情報を上に伝えるわけにはいかない。

 分かってくれるな?」



 言わなくても分かってくれるな?

 魔獣がこの区画から漏れたなんて、確定してもいないのに言えない。

 俺の安寧のために、言うわけにはいかない。



「…分かりました。

 念のため私の見回り回数を増やしますが、構いませんか?」


「……まあ、それは構わない。

 私も回数を増やしてみるよ」



 城壁を越えた魔獣がそのまま居座るとは思えない。

 本当に魔獣だったなら、すでに他の地域に向かっているはず。

 ミナンが見回り回数を増やしても見つかることはないだろう。


 ミナンは少し不満げではあったが、口に出すことはなく、部屋を出た。

 「上に報告しない」と言ったときの、あいつの表情。

 忠義に厚い男だからこそ、誰の下に着くかは選ぶだろう。

 不信を重ねれば、ミナンは言うことを聞かなくなるに違いない。

 最後には俺の適正が疑われるようになる。


 それはまずい。


 俺の適正なんてあるわけがない。

 他にマシな奴なんていくらでもいる。

 一度疑われれば、役職を下に降ろされるのは間違いない。

 だが、そうなったら俺がもう一度成り上がるのは絶望的だろう。


 勘弁してくれ。

 俺には他に行き場なんてないんだ。


 不安に押し潰されそうになる中、無意識に妻エリシアの顔が頭に浮かんだ。


 …そう、俺には妻がいるのだ。

 俺がどうなろうと知ったことではないが、妻を失うのはダメだ。

 どうか…平穏な生活が続いてくれッッ


 追い詰められても、出来ることは祈るだけ。

 オルットは心の中で、青い空を拝んだ。



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