35. 幻覚と現実
ふわふわと浮游する感覚。
重力のない雲の上にいるような。
何の感覚かは、わからない。
自分がどうなっているか、よくわからない。
ここにいるようでいて、ここにいない。
ここにいない自分を、ここにいる自分が見ている。
本当に見えているのかはわからない。
何となく感じる。
「…………………………………」
何も聞こえない。
しかし、何かが聞こえた感覚がある。
浮遊感に流れが出来たように感じる。
何となく自分の中で動き出す。
心臓か、血流か。
考えていたのかすらわからない自分に意識が戻り始めた。
意識というものを意識し始める。
まるで天国のどこかにいたような感覚は、何となく沸き起こる不快感に変わっていく。
重力があって、上と下があって、地面があって、そこに自分がいる。
地面は私と繋がっていて、重力はいつだって絡み付いている。
現実とは確かにそんなものだった。
覚醒は瞬間だった。
少なくとも自分ではそう感じた。
何となく、まるで何時間も昼寝をしてしまったかのような罪悪感がある。
自分に起こったことを思い出そうともがく内に、現実に戻ったような気がする。
まぶたの幕が上がると、強力な力で現実に引き戻された。
目を開けると、眩しすぎる光がおぼろげな眼を焼く。
堪らず目を閉じた。
だが、一度覚醒した意識はその程度ではおさまらない。
視覚が消えたことで触覚が現れる。
湿っていて冷たい土と砂の大地。
体にあたる風の冷たさ。
そして、私を抱き締める誰かの熱。
とても熱い。
……温かい。
人の温もりを知って、自分の体が異様なまでに冷えていることに気づいた。
落ち着いて、もう一度目を開ける。
相変わらず眩しい光がある。
しかし、その光以外は真っ暗。
時間帯は夜だった。
自分の周りには数人の大人がいて、心配そうに覗き込んでくる。
そして、自分を抱き締めている人が視界に入る。
体が大きく筋肉質で、金色の髪が垂れている。
「ナ……テ………せん……せ」
口を開いたが、音がちゃんと出てこない。
凍えているようだ。
しゃべれないことはわかったが、ではどうするか。
どうすればいいかを考えようとすると、ナティ先生が顔を上げた。
目を赤く晴らしていた。
その顔に驚いた。
初めて見る顔だった。
そんな顔をする人だったんだ、と思いつつ、それが自分に向けられていることを申し訳なく思った。
謝罪を口にしようとするが、言葉が出ない、力も出ない。
何も出来ないでいる自分を抱き抱えて、温かく包み込んで、ナティ先生は走った。
あの眩しい光を置き去りにして、暗闇を駆ける。
ナティ先生が力強く地面を踏みしめている。
安心感に満たされた。
覚醒した意識が温もりに包まれて、感覚が遠退き始めた。
再び目を開けると、何事もなかったように穏やかな朝だった。
窓からは朝日が漏れていて、夜の間に冷えた空気が少しずつ熱を持ちはじめている。
誰もいない空間に、妙に寂しさを感じた。
布団から出て食堂に行けば、みんなが待っている。
特に何も考えず、布団から出ようとするが、何だか足元が揺れている。
動きの悪い体に身体能力向上をして、部屋を出た。
大丈夫、動ける。
階段を下りようとしたとき、近くの扉が開き、荷物をまとめたナルミシアがこちらを見ていた。
「おはようございます」
「何やってんの‼寝といた方がいいよ。食事ならナティ先生が運ぶって言ってたから」
「いえ、食事くらい自分で………」
「ダメダメ」
魔法を使っているものの、ナルミシアに軽く押されただけで後ろに下がってしまった。
そのまま部屋の中に押し戻され、ベッドに押し付けられる。
そして、上から布団を被せると、じゃあね、と言葉を残してナルミシアは部屋を出た。
何とも言えない無力感がある。
しかし、もう一度部屋を出ても、またナルミシアに捕まるだろう。
大人しく、寝ておくしかない。
ぼんやりとして働かない頭を枕に乗せて、考える。
あれ?何でこんなに疲れてるんですか?あれ?
ガバッと布団をはね除けた。
こんなことをしている場合じゃない。
そうだ、クラーケンに襲われて、それで子供がいなくて…。
いても立ってもいられず部屋を出ようとしたとき、ナティが扉を開けた。
「ナルミシアに寝とくように言われたんじゃないのか。ほら、食事を持ってきたから焦らず、座れ」
「は、はい」
昨日のナティ先生の顔を思い出し、何も言えなくなってしまう。
ナティ先生は気にしていない様子だが、それは隠しているだけかもしれない。
シチューを口に運びつつ、ナティ先生の方を見た。
目が合った。
気まずくなって目を伏せる。
察したようにナティ先生が話し出した。
「何があったんだ」
聞かれるがままに、全てを話した。
二人の子供を注意しにいったこと。
海に投げ飛ばされたこと。
クラーケンのような魔獣がいたこと。
二人の子供がどこにいるか、わからなかったこと。
ナティ先生は終始微妙な顔をして、後から部屋に入ってきたルイノールさんと一緒に、首を傾げていた。
「その、子供ってのは君よりもちっちゃかった、のか?」
「ええ」
「今回の祭りに参加したやつで、子供って言ったら、君ら三人ぐらいだったはずだ。
近くの町って言っても遠いからな。もしいなくなったなら、結構前にいなくなったはずだ。
だがな、俺のところにそんな話は来てない」
気を使いながら話すルイノール。
ユニはナティとルイノールが言おうとしていることを理解した。
それは、溺れたときに見た幻覚じゃないのか…。
確かに溺れた苦しさから現実でないものを見たかもしれない。
しかし、二人の子供の姿、海に消えていくクラーケン、どちらも明瞭に思い出せた。
現実だという確信がある。
だが、あえて口にした。
「忘れてください。そんなことあるはずがありませんね。幻覚、ですね」
いない子供の消失、大災害をもたらすクラーケンが存在を知らせずに帰っていく。
考えてみれば、おかしいことだらけだ。
どう考えてもおかしい。
現実だと確信しているのに、現実的でない。
なら、せめて、自分以外の人だけでも混乱させないようにする。
冷静に判断をして、自分の意見を切り捨てた。
ナティ先生とルイノールさんが困った顔をしていたが、とりあえず話はそれで終わった。
「そう言えば、どうやって私を助けたんですか?誰にも言わずに行きましたけど」
「あぁ、それなんだが、ヒメカ元帥なんだ。」
「………?、ヒメカ元帥は祭りが終わってすぐ帰ったはずじゃ」
「帰ったんだが、帰る前に言われたんだ。
ユニが夜に溺れるだろう、って。
言われた通りに探していたら、ユニが海に浮いていたってわけだ」
「…………ヒメカ元帥は何でわかったんですか?」
「わからない」
こうして、多くの謎を残したまま、事件は幕を閉じた。
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「おい、ルーダ、『海王祭』なんてどうだ?」
「おいおい、オヤジ。それはないだろ。やっぱり祭りの名前は『海の男祭り』、これで決定だろ」
「お前、またナティさんに怒られたいのか?男も女も関係ない、ってナティさんに言われたばっかだろ」
「うっ………。それじゃあ、次は…………」




